アトランティス

神智学文献

 ※プラトン 「ティマイオス」

  ・・ソクラテスとクリティアスの対話で、クリティアスが自分の祖父クリティアスから聞いた話を伝えている。 その祖父クリティアスは七賢人の一人であるソロンから聞いている。
  対話しているクリティアスはプラトンの母のいとこであるクリティアスの祖父。
 ウィキペディアのプラトンの血統関係図によれば、ソロンは638-559:B.C. 祖父クリティアスは500-420:B.C. 対話するクリティアスは460-403:B.C.
  プラトンは427-347:B.C. これから見てソロンはプラトンより200年前の人物。



「ティマイオス」(ティマイオス/クリティアス 岸見一郎訳)
 P28 - 大洋にはあなた方が「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡)と呼ぶ入口の前方に、リビュア(今日のエジプト以西のアフリカ)とアシアを合わせたよりも大きな島があったからである。このアトランティス大陸に、驚くべき巨大な諸王侯の勢力が出現した。 それがその島の全土を初めとして、他の多くの島々や大陸のいくつかの部分をも支配した。 しかし後に、異常な地震と洪水が何度も起こり、突如過酷に一昼夜が降りかかった時、・・・一度に大地に呑み込まれ、アトランティス島も同様に、海に没し姿を消したのだ。

 ・・・私見〜〜 初めには「大陸」と表現し、後には「島」と言っている。ここにアトランティスが時間を経て縮小していったことが推測される。そして「異常な地震と洪水が何度も起こり」とあることから、その壊滅の過程は一度ではなく何度も繰り返して徐々に消えて行ったことになる。

 「クリティアス」(ティマイオス/クリティアス 岸見一郎訳)
 P176 - ヘラクレスの柱のかなた(アトランティス)に住む人々と、こちら(ギリシャ)に住む人々との間の戦争が語り伝えられてから9,000年経っている。
 P178 - 彼らの名前は残されているが、業績の方は、後継者が絶えたり、長い歳月が経ったので、消し去られてしまった。 その都度残ったのは無学の者たちばかりで、国を統治していた人たちの名前だけは覚えられたが、その業績は忘れられた。 そのように後世の人々は自分の生活に必要なことしか関心を持たず、昔に何が起こったかは関心を持たなかったので、業績については漠然としか伝えられず、ただ名前だけが自分の身内に名付けるような形で受け継がれて知られていった。   

 ・・・私見〜〜ここで9,000年という具体的な年数が示されている。9,000年間、この伝説が「語り伝えられて」とあるなら、その方法は文字ではなく口伝えとなる。 口伝えだけで9,000年前の出来事がどれだけ正確に伝えられるのか疑問だが、少なくともアトランティスに関する最古の記録と言われるプラトンの「クリティアス」では非常に詳細に語られている。)


 古典の原典でアトランティスに言及しているのは、『ティマイオス』『クリティアス』だけで、アトランティスの伝説はプラトン以前に遡ることはできない。


 ---------------------------------------------------


  この国の始祖ポセイドンの長子アトラスが初代の王となったところから、島全体にも周辺の海にもアトランティコスの名がついた。
 全盛期、首都は海とつながる三重の環状運河(最大幅533m)でかこまれていた。
 アトランティスには、白、黒、赤の石があって、三色の石を使ってまだら色にした建造物もあった。
 王宮は中央の島のアクロポリスの丘にあった。ここにはポセイドンと愛人クレイトーをまつった神殿があり、黄金の壁でかこまれていた。
 こうした建造物は金、銀、真鍮、錫、象牙などや、「火のごとく輝く」不思議な金属オレイカルコス(オリハルコン)などで豪華に装飾されていた。
 運河の環状陸帯には公園、学校、兵舎、競馬場などがあり、陸帯は塔と門のついた橋で互いにつながれていた。大きな波止場は各地から集まる商人たちで昼も夜も雑踏をきわめた。
  冷泉、温泉ともに豊富で、これを利用して野天の水浴場、屋内の温浴場などがあった。
 香料、調味料、油などのとれる植物が豊富で、果実類もよくみのった。家畜も野生動物も多く、さまざまな種類のゾウも生息していた。
 広大な耕地を、縦横に流れる灌漑用水路がうるおし、作物の収穫は年に二度おこなわれた。こうした水路は、産物の輸送用水路にも利用された。
  軍隊は戦時に六万の地区別に徴集され、陸軍は重戦車一万台、軽戦車六万台、兵士百万余、海軍は軍船1200隻、水兵二十四万名という大軍で、これは王都直属の兵員で、ほかの九王国にもそれぞれの軍隊がある。つまり、アトランティスでは、十人の王がそれぞれ領土を治めていて、この王たちは始祖ポセイドンの神命をよく守り、固く結束していた....。


                      

『ティマイオス』と『クリティアス』は、プラトンがシュラクサイの僭主ディオニュシオス2世 (Dionysios, 紀元前390頃-330頃) の下で理想国家建設に失敗した後、晩年にアテナイで執筆した作品と考えられている。
両作品はプラトンの師匠である哲学者ソクラテス (紀元前470頃-399)、プラトンの数学の教師とも伝えられているロクリスの政治家・哲学者ティマイオス (紀元前5世紀後半)、プラトンの曾祖父であるクリティアス (紀元前500頃-420頃)、そして、シュラクサイの政治家・軍人ヘルモクラテス (紀元前450頃-408/407) の4名の対談の形式で執筆されている。『ティマイオス』では主にティマイオスが宇宙論について語り、『クリティアス』では主にクリティアスが実家に伝わっているアトランティス伝説について語っている。
ヘルモクラテスは一連の作品群で語りの役割を果たしていないが、作品中ソクラテスによって第三の語り手と紹介されていることから、 アトランティスとアテナイの間の戦争に関して軍人ヘルモクラテスに分析させた、『ヘルモクラテス』という作品が構想されていたという説が、プラトンの対話集の英訳で知られる英国の古典学者ベンジャミン・ジャウエット (Benjamin Jowett, 1817-1893)などにより提唱されている。

クリティアスの家で行われたとされるこの対談が現実のものであったとするのなら、ニキアスの和約が成立した紀元前421年8月頃のパンアテナイア祭りの最中で、クリティアスの孫のプラトンはまだ6歳の少年としてこの話を横で聞いたということになる。また、対談には病気で欠席した人間がいることになっている。

核となる伝説は、アテナイの政治家ソロン (紀元前638頃-559頃) がエジプトのサイス (Sais) の神官から伝え聞いた話を親族にして友人のドロピデス(Dropides, 紀元前6世紀前半頃) に伝え、更にその息子のクリティアス (紀元前580頃-490頃) が引き継ぎ、更に同名の孫のクリティアスが10歳の頃に90歳となった祖父のクリティアスからアパトゥリア祭 (Apaturia) の時に聞かされた事として、対話集の中で披露されている(ソロンとクリティアス、プラトンの血縁関係はクリティアス (プラトンの曾祖父)。 作中の神官によると、伝説の詳細は手に取ることのできる文書に文字で書かれていることになっている。
ソロンはこの物語を詩作に利用しようと思って固有名詞を調べたところ、これらの単語は一度エジプトの言葉に翻訳されていることに気付いた。そこでソロンはエジプトで聞いた伝説に登場する固有名詞を全てギリシア語風に再翻訳して文書に書き残し、その文書がクリティアスの実家に伝わったという。ソロンは結局帰国後も国政に忙しかったため、この伝説を詩に纏めることができなかったとされる。


                      

『ティマイオス』

『ティマイオス』の冒頭でソクラテスが前日にソクラテスの家で開催した饗宴で語ったという理想国家論が要約されるが、その内容はプラトンの国家とほぼ対応している。そして、そのような理想国家がかつてアテナイに存在し、その敵対国家としてアトランティスの伝説が語られる。

アマシス2世 (Amasis; アアフメス2世, 紀元前600頃-526年)が即位した後の紀元前570-560年頃、ソロンは賢者としてエジプトのサイスの神殿に招かれた。そこでソロンは、デウカリオンの洪水伝説で始まる人類の歴史の知識を披露する。

「すると神官たちの中より非常に年老いた者が言われた「おおソロンよ、ソロン。ヘレネス (ギリシア人) は常に子供だ。ヘレン (ギリシア) には老人 (賢者) がいない」

神官は、古来より水と火により人類滅亡の危機は何度も起こってきており、ギリシアではせっかくある程度文明が発達しても度重なる水害により都市とともに教養ある支配階級が絶滅してしまうため、歴史の記録が何度も失われてしまったが、ナイル河によって守られているエジプトではそれよりも古い記録が完全に残っており、デウカリオン以前にも大洪水が何度も起こったことを指摘する。
また、女神アテナと同一視される女神ネイト (Neith)が神官達の国家体制を建設してまだ8000年しか時間が経っていないが、 アテナイの町はそれよりさらに1000年古い9000年前 (即ち紀元前9560年頃) に成立しており、女神アテナのもたらした法の下で複数の階層社会を形成し、支配層に優れた戦士階級が形成されていたことを告げる。

その頃ヘラクレスの柱 (ジブラルタル海峡) の入り口の手前の外洋であるアトラスの海 (?τλαντικ?? πελαγο?, 大西洋)にリビアとアジアを合わせたよりも広い、アトランティスという1個の巨大な島が存在し、大洋を取り巻く彼方の大陸との往来も、彼方の大陸とアトランティス島との間に存在するその他の島々を介して可能であった。
アトランティス島に成立した恐るべき国家は、ヘラクレスの境界内 (地中海世界) を侵略し、エジプトよりも西のリビア全域と、テュレニアに至るまでのヨーロッパを支配した。その中でギリシア人の諸都市国家はアテナイを総指揮として団結してアトランティスと戦い、既にアトランティスに支配された地域を開放し、エジプトを含めた諸国をアトランティスの脅威から未然に防いだ。

「しかしやがて異常な地震と大洪水が起こり、過酷な一昼夜が訪れ、あなた方 (=アテナイ勢) の戦士全員が大地に呑み込まれ、アトランティス島も同様にして海に呑み込まれて消えてしまった。それ故その場所の海は、島が沈んだ際にできた浅い泥によって妨げられ、今なお航海も探索もできなくなっている」

ここでクリティアスは太古のアテナイとアトランティスの物語の簡単な紹介を終え、以降ティマイオスによる宇宙論へ対談の話題が移る。

『クリティアス』

作品の冒頭の記述から、この作品は先の『ティマイオス』の対談と同じ日に行われた続編にあたる対談であることが示唆されている。ティマイオスにおける宇宙論に引き続き、今度はクリティアスがアテナイとアトランティスの物語を披露する。

アトランティスと戦った時代のアテナイ

 9000年以上前、ヘラクレスの柱の彼方に住む人々とこちらに住む人々の間で戦争が行われた時、それぞれアテナイとアトランティスが軍勢を指揮した。当時のアテナイ市民は私有財産を持たず、多くの階層に分かれてそれぞれの本分を果たしていた。
また、当時のアテナイは現在よりも肥沃であり、約2万人の壮年男女からなる強大な軍勢を養うことが出来たし、アテナイのアクロポリスも遥かに広い台地であったが、デウカリオンの災害から逆算して三つ目に当たる彼の大洪水により多くの森が失われ、泉が枯れ、今日のような荒涼とした姿になってしまった。
また洪水のたびに山岳に住む無学の者ばかりが生き残るため、今日アテナイには当時の統治者の名前ぐらいしか伝わっていない。エジプトの神官は当時のアテナイの王の名前として、ケクロプス、エレクテウス 、エリクトニオス 、エリュシクトン などを挙げたとソロンは証言している。

アトランティスの建国神話

 アトランティス島の南の海岸線から50スタディオン (約9.25 km)の位置に小高い山があり、そこで大地から生まれた原住民エウエノル が妻レウキッペ の間にクレイト という娘を生んだ。アトランティスの支配権を得た海神ポセイドンはクレイトと結ばれ、5組の双子の合計10人の子供が生まれた。
即ち『アトラスの海』 (大西洋) の語源となった初代のアトランティス王 アトラス、スペインのガデイラに面する地域の支配権を与えられたエウメロスことガデイロス 、アンペレス 、エウアイモン 、ムネセウス 、アウトクトン、エラシッポス 、メストル 、アザエス 、ディアプレペス で、ポセイドンによって分割された島の10の地域を支配する10の王家の先祖となり、何代にも渡り長子相続により王権が維持された。
ポセイドンは人間から隔離するために、クレイトの住む小高い山を取り囲む三重の堀を造ったが、やがてこの地をアクロポリスとするアトランティスの都、メトロポリスが人間の手で形作られていった。

アトランティスの都

 アクロポリスのあった中央の島は直径5スタディオン (約925m)で、その外側を幅1スタディオン (約185m)の環状海水路が取り囲み、その外側をそれぞれ幅2スタディオン (約370m) の内側の環状島と第2の環状海水路、それぞれ幅3スタディオン (約555m)の外側の環状島と第3の環状海水路が取り囲んでいた。
一番外側の海水路と外海は、幅3プレトロン (約92.5m)、深さ100プース (約30.8m)、長さ50スタディオン (約9.25km)の運河で結ばれており、どんな大きさの船も泊まれる3つの港が外側の環状海水路に面した外側の陸地に設けられた。
3つの環状水路には幅1プレトロン (約30.8 m) の橋が架けられ、それぞれの橋の下を出入り口とする、三段櫂船が一艘航行できるほどのトンネル状の水路によって互いに連結していた。環状水路や運河はすべて石塀で取り囲まれ、各連絡橋の両側、即ちトンネル状の水路の出入り口には櫓と門が建てられた。
これらの石の塀は様々な石材で飾られ、中央の島、内側の環状島、外側の環状島の石塀は、それぞれオレイカルコス(オリハルコン)、錫、銅の板で飾られた。内外の環状水路には石を切り出した跡の岩石を天井とする二つのドックが作られ、三段櫂の軍船が満ちていた。

 中央島のアクロポリスには王宮が置かれていた。王宮の中央には王家の始祖10人が生まれた場所とされる、クレイトとポセイドン両神を祀る神殿があり、黄金の柵で囲まれていた。これとは別に縦1 スタディオン (約185m)、横3プレトロン (約92.5m) の大きさの異国風の神殿があり、ポセイドンに捧げられていた。
ポセイドンの神殿は金、銀、オレイカルコス、象牙で飾られ、中央には6頭の空飛ぶ馬に引かせた戦車にまたがったポセイドンの黄金神像が安置され、その周りにはイルカに跨った100体のネレイデス像や、奉納された神像が配置されていた。
更に10の王家の歴代の王と王妃の黄金像、海外諸国などから奉納された巨大な神像が神殿の外側を囲んでいた。神殿の横には10人の王の相互関係を定めたポセイドンの戒律を刻んだオレイカルコスの柱が安置され、牡牛が放牧されていた。
5年または6年毎に10人の王はポセイドンの神殿に集まって会合を開き、オレイカルコスの柱の前で祭事を執り行った。即ち10人の王達の手によって捕えられた生贄の牡牛の血で柱の文字を染め、生贄を火に投じ、クラテル (葡萄酒を薄めるための甕) に満たした血の混じった酒を黄金の盃を用いて火に注ぎながら誓願を行ったのち、血酒を飲み、盃をポセイドンに献じ、その後礼服に着替えて生贄の灰の横で夜を過ごしながら裁きを行い、翌朝判決事項を黄金の板に記し、礼服を奉納するというものである。

 また、アクロポリスにはポセイドンが涌かせた冷泉と温泉があり、その泉から出た水をもとに『ポセイドンの果樹園』とよばれる庭園、屋外プールや屋内浴場が作られたほか、橋沿いに設けられた水道を通して内側と外側の環状島へ水が供給され、これらの内外の環状島にも神殿、庭園や運動場が作られた。
さらに外側の環状島には島をぐるりと一回りする幅1スタディオン(約185m)の戦車競技場が設けられ、その両側に護衛兵の住居が建てられた。より身分の高い護衛兵の居住は内側の環状島におかれ、王の親衛隊は中央島の王宮周辺に住むことを許された。 内側の3つの島々に王族や神官、軍人などが暮らしていたのに対し、港が設けられた外側の陸地には一般市民の暮らす住宅地が密集していた。
更にこれらの市街地の外側を半径50 スタディオン(約9.25km)の環状城壁が取り囲み、島の海岸線と内接円をなしていた。港と市街地は世界各地からやって来た船舶と商人で満ち溢れ、昼夜を問わず賑わっていた。

都に隣接する大平原と軍制

 アトランティス島は生活に必要な諸物資のほとんどを産する豊かな島で、オレイカルコスなどの地下鉱物資源、象などの野生動物や家畜、家畜の餌や木材となる草木、ハーブなどの香料植物、葡萄、穀物、野菜、果実など、様々な自然の恵みの恩恵を受けていた。

 島の南側の中央には一辺が3000スタディオン(約555km)、中央において海側からの幅が2000スタディオン(約370km)の広大な長方形の大平原が広がり、その外側を海面から聳える高い山々が取り囲んでいた。
山地には原住民の村が沢山あり、樹木や放牧に適した草原が豊かにあった。この広大な平原と周辺の山地を支配したのはアトラス王の血統の王国で、平原を土木工事により長方形に整形した。
平原は深さ1プレトロン(約31m)、幅1スタディオン(約185m)の総長10000スタディオン(約1850km)の大運河に取り囲まれ、山地から流れる谷川がこの大運河に流れ込むが、この水は東西からポリスに集まり、そこから海へ注いだ。大運河の中の平原は100スタディオン(約18.5km)の間隔で南北に100プース(約31m)の幅の運河が引かれていたが、更に碁盤目状に横断水路も掘られていた。
 運河のおかげで年に二度の収穫を上げたほか、これらの運河を材木や季節の産物の輸送に使った。

 平原は10スタディオン平方(約3.42km2)を単位とする6万の地区に分割され、平原全体で1万台の戦車と戦車用の馬12万頭と騎手12万人、戦車の無い馬12万頭とそれに騎乗する兵士6万人と御者6万人、重装歩兵12万人、弓兵12万人、投石兵12万人、軽装歩兵18万人、投槍兵18万人、1200艘の軍船のための24万人の水夫が招集できるように定められた。
山岳部もまたそれぞれの地区に分割され、軍役を負った。アトラス王の血統以外の他の9つの王家の支配する王国ではこれとは異なる軍備体制が敷かれた

アトランティスの堕落

 アトランティスの支配者達は、原住民との交配を繰り返す内に神性が薄まり、堕落してしまった。それを目にしたゼウスは天罰を下そうと考えた。

「(ゼウスは)総ての神々を、自分達が最も尊敬する住まい、即ち全宇宙の中心に位置し、生成に関わる総てのものを見下ろす所(= オリュンポス山)に召集し、集まるとこう仰った」

 ここで『クリティアス』の文章は途切れる。








★ プラトン

スピリチュアルTOP 
アトランティス TOP
 

inserted by FC2 system