1月5日
スコット・ロスのスカルラッティ
スコット・ロスが時々気になる・・・ 彼の生き方に?
スコット・ロス Scott Stonebreaker Ross は、フランスとカナダを中心に活躍した米国生まれのチェンバロ、オルガン奏者。その演奏は、古楽演奏にありがちな表面的な効果や学術志向にとらわれることなく、音楽の生き生きとした本質に迫るものであり、圧倒的技術によってそれがなされるところが大きな魅力である。
1951年の3月1日にアメリカ合衆国ピッツバーグ(ペンシルヴァニア州)に生を受けた。1956年に父親を失っている。翌年、6歳のときにピアノを習い始め、12歳からオルガンを始める。1964年に渡仏し、親兄弟と離れてニースのコンセルヴァトワール(音楽院)に入学。オルガンはルネ・サオルジャン、チャンバロはユゲット・グレミー=ショーリアックに学ぶ。卒業後は、パリ国立高等音楽院に進む。1971年、ブリュージュ国際チェンバロ・コンクールにジーンズに長髪のスタイルで出場し、優勝を飾っている。
1973年に22歳の彼は最初のレコード Monsieur Bach (= Mr. Bach) を発表し、カナダのケベック市にあるラヴァール大学で音楽科チェンバロ講師として勤務するようになる。75年には Rameauのチェンバロ作品全集を、77-78年にはFrancois Couperin のチェンバロ作品全集を録音し、共に高い評価を受けた。80年代中頃からフランスに拠点を戻し、録音とコンサート・ツアー中心の生活に転じる。1985年、最大の偉業である Domenico Scarlatti のソナタ全集(555曲)を録音した。1989年6月13日モンペリエ近郊のアサスで、エイズのために永眠。享年38歳。
1月17日
クラシック遍歴 1 〜モーツァルトとベートーヴェン
好きな音楽のジャンルはけっこう広くて〜ロック〜特にプログレ、シンセ系、インド音楽、ケルト音楽、バロックなどだが、心の癒し・・・となると、やっぱりモーツァルトになる。
最初にモーツァルトを聴いたのは、中学生の頃だったか・・・もちろん、一番有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だが、それ以上に魅かれたのが、ハフナー・セレナード。たまたま兄がこのレコードを持っていて、よく聴いたもので、特にロンドのこの曲が一番好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=i8spxIzW3BI
ただ、この頃は精神的に暗い時期だったので、モーツァルトは軽すぎて、ベートーヴェンばかり聴いていた。
特に聴いていたのがピアノ・ソナタ「月光」
中学時代はこんな曲を好んで聴いていた〜
1月18日
クラシック遍歴 2 〜ベートーヴェンのコンサート
中学時代、最初に行ったコンサートが、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲、スターン・トリオの演奏。
曲や演奏者の内容はまったく知らず、ただベートーヴェンの音楽だ、ということで聴きに行った。
次に行ったのが、クルト・マズア指揮、ライプツィヒ・ゲバントハウス・オーケストラで、
ベートーヴェンの交響曲第3番と第6番。
当時は情熱的な音楽が好きで、心の唯一の支えだった・・・
クラシック遍歴 3〜 初めてのオペラ鑑賞=ベルリーニ「ノルマ」
クラシックの歌曲と言えば、なぜか学校ではシューベルトの「魔王」が第一に教えられる。
「魔王」も決して悪くはないけれど、個人的には、あのような歌からクラシックの世界に入ると、クラシックが非常に堅苦しくて重い印象に感じてしまう。
モーツァルトには、もっと軽くて愛らしい歌曲が一杯あるのに・・・
で、私がクラシックの歌を、オペラとして聴いた最初の作品が、ベルリーニの「ノルマ」。
1970年頃、NHK教育で二回放送された。私がこれに興味を持った理由は、舞台が古代ローマのようだったから。
クラシック遍歴 4〜モーツァルト
若い頃は軽すぎると感じていたモーツァルトに興味を持ったのは、映画「アマデウス」を見てから。
全編がまさにベスト・オブ・モーツァルトのような選曲だが、特に印象的だった曲が、サリエリがコンスタンツェからモーツァルトのオリジナルの楽譜を見せられて、その完成度の高さに驚く場面に流れていたヴァイオリンのソロ曲。
後で、これがヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲と知った。
こだわり性の性格から、この10年後に、モーツァルトのCD収集を始める。
どんな曲があるのか、どの演奏家がいいのか、その基準にしたのが、井上太郎の「モーツァルト・ガイドブック」
井上太郎は他にも「モーツァルトのいる部屋」や「モーツァルトのいる街」など、多くのモーツァルトに関する本を書いている。
その頃、仙台レコードというクラシックを主に扱っているレコード店を音楽雑誌の広告で見つけ、ほとんどこの店から通販でCDを買い集めた。
で、ほとんど全ての作品を集めた。
演奏家の選出は・・・
交響曲は、「アマデウス」の中の曲の指揮者でもあるネビル・マリナーが好きだったが、全曲となるとマリナーではなかなか揃わなくて、トレバー・ピノック指揮の全曲集を購入した。
ディヴェルティメントは、イ・ムジチか、アカデミー室内楽団のもの、ヴェーグの演奏もいい。
ピアノ・ソナタは、内田光子。
ピアノ協奏曲は、内田光子とジェフェリー・テイト。一番好きな23番から第三楽章
ヴァイオリン・ソナタは定番としてグリュミオーとハスキル。
ミサ曲は、ノイマン指揮によるもの。
オペラでは、「イドメネオ」以降の作品は全てLDかVHSで持っている。やはり「フィガロの結婚」か「魔笛」がいい。
1月19日
昔、ドイツのケルンに行った時、なにげなくCD店でルネッサンス・リュートのCDを買った。
何の予備知識もなく、ただルネッサンスの時代が好きなのと、リュートという楽器に興味があったので・・・
ヨーロッパのCD店では、だいたいCDは買う前に試聴できる。内容を知って、気に入れば買うことができる。試聴だけして買わなくても、問題ない。
ルネッサンス・リュートの代表と言えば、ジョン・ダウランド。
同じ店で、バッハのリュートのCDも買った。ただそのCDジャケットの絵が好きだったので、その絵の現物には、後でヴェネツィアの美術館で出会うことになる。
それまで、バッハの音楽はどこか近寄り難かったが、このCDの中のガボットを聴いてから、バッハにも興味を持ち始めた。
1月20日
モーツァルトと聞いて、子供っぽいとか、眠たくなる、と言う人がよくいる。私が、モーツァルトが好きだ、と言うと、よくそんな風に言われることが多い。ヴィヴァルディも、「四季」のイメージが強くて、それしか知らない人が多いのでは・・・ この二人の作曲家は、一般的に、なんとなく軽く、低く評価されているように感じる。しかし、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、ベートーヴェンが手本にして学んだと言われている。
また、ヴィヴァルディの「調和の幻想」からは数曲がバッハによってコピーされている。
ヴィヴァルディ「調和の幻想」第3番 3楽章はバッハBWV978
たぶん、この二人が軽く見られるのは、その音楽が聞きやすいからなのかな・・・小難しい音楽の方が優れている、と思われているのだろうか・・・でも、専門家は評価するが、素人はバカにする、という図式が見えるな〜 逆に言えば、素人にはこの二人の作曲家の本質、というか素晴らしさはわからない、と言えるだろう。
1月21日
バロック音楽にいつから親しむようになったのか・・・ だいたい、バッハが近寄り難かったから、それ以前の音楽はもっと堅苦しいのでは?という先入観を持っていた。中世、いわゆるキリスト教が支配していた時代だから、教会音楽、ミサ曲のイメージが強かったのだろう。
たまたま、どこかでバッハのG線上のアリアを聴いて、こんな曲をもっと聴きたいと思い、ネット上でこんな類の音楽の紹介を問い合わせて、教えてもらったのが、マラン・マレのヴィオール曲集とビーバーのロザリオ・ソナタ。
どちらにも感動した!なんと自由でワイルドな音楽か〜〜先入観は完全に壊された。バロック音楽の方が、バッハ以降の古典主義よりも自由に伸び伸びとしているように感じられた。それから、もっとバロックの音楽を聴きたいと思い、「古楽CD100ガイド」という本を手に入れて、それを頼りに買い集めた。この本は優れもの。
グレゴリオ聖歌や、パーセル、モンテヴェルディなどは知っていたが、この本で初めて知ったのが、モンセラートの朱い本
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、デュファイ、コレッリ、クープラン、テレマンなど・・・
まだほんの一部しか知らないが、バロック〜古楽の世界はのめり込むと面白い世界だ。
2月1日
宮下富実夫はヒーリング・ミュージックの第一人者。もともと、若い頃は「ファー・イースト・ファミリー・バンド」というプログレ系のロック・バンドのリーダーだった。そのバンドには喜多郎も所属していた。
宮下氏のCDは初期のもので15枚持っている。ファー・イースト時代のLP「NIPPONJIN」も持っている。
昔、奈良の飛鳥の里、石舞台古墳の公園でのコンサートも聞きに行った。
そんな宮下氏は2003年に肺ガンで亡くなっている。54歳の若さだった。その彼の最期の様子を、先に紹介した地球人スピリット・ジャーナルのブログで知った。
それによれば・・・『最初、左肺上部にできた1センチほどの小さなガンは、痛みもなく、その時点で「切除」してしまえば、延命できた可能性はゼロではなかったようだ。しかし、彼は、「やっぱり俺手術は出来ないよ。だって、ヒーリング・ミュージックを人に啓蒙しているんだから、ここは率先して癒しの力に賭けてみるよ……」と言った、とされている。それから1年半の闘病だった。』・・・と書かれてある。
彼の著書「リズム絶対主義」の中では、こうも言っている。「西洋医学では身体にどこか悪い部位があった場合、単純にそこを切除してしまいます。 医食同源に基づく東洋医学では、悪いところがあるのはその原因があり、それをたどっていかなければ完全に治らないと考える。ですから、食事療法などで「極陰」や「極陽」ではない「正道」に身体をもっていかなければなりません。」
わかるけど・・・ 彼に近しい友人も、彼に現代医学の手術を受けることを勧めたらしいが、彼のポリシーというか、プライドがそれを受け入れられなかったのだろう。「癒しの力に賭けてみるよ……」
複雑な思いにかられた・・・
3月4日
ルベルのヴァイオリン・ソナタ
ジャン=フェリ・ルベルはフランスのバロック作曲家だが、ウィキペディアにも情報は少ない。
ジャン=フェリ・ルベル(Jean-Féry Rebel, 1666年 - 1747年)は、フランス盛期バロック音楽の作曲家・ヴァイオリニスト。不協和音に始まるバレエ音楽
《 四大元素 Les Elémens 》 によって有名(同名のバレエ音楽は、他にアンドレ・デトゥーシュによるものも存在する)。
ジャン=バティスト・リュリに師事。1699年に王立音楽アカデミーとパリ・オペラ座の首席ヴァイオリニストに就任。1700年にスペインを訪問。1705年に帰国後まもなく、宮廷楽団の一つ「王の24のヴァイオリン」に入団し、宮廷作曲家、王立音楽アカデミー楽長ならびにコンセール・スピリテュエルの指揮者を歴任。
4月6日
武久源造のチェンバロによるバッハの演奏
パーセルの曲が入った「シフォーチの祈り」のCDの演奏者、武久源造の演奏映像。
バッハ/フランス組曲第1番
http://www.youtube.com/watch?v=NFqCY77yVBw
バッハ/シャコンヌ(武久源造編)
http://www.youtube.com/watch?v=l_uI4euht-o
ウィキペディアより・・・・
武久 源造(たけひさ げんぞう、1957年-)は愛媛県松山市生まれの鍵盤楽器奏者、研究者、作曲家。フェリス女学院大学音楽学部器楽科講師、2011年辞任。
1歳の時に病気により失明。父親が音楽教師で、幼いころにピアノのレッスンを受けるが、ある時演奏会で耳にしたチェンバロの音に魅せられ、研究を始めた。近所の医師宅にチェンバロがあったため、そこへ通って演奏を続けた。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後、同大学大学院音楽研究科音楽学専攻に進学、音楽学を服部幸三に師事、オルガンを月岡正暁、秋元道雄、チェンバロを小林道夫、鍋島元子に師事した。1983年、ブクステフーデを研究し、同大学院を修了。コンヴェルスム・ムジクムを結成・主宰し、演奏会、録音の双方で、さまざまな編成でヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ヴィヴァルディ、シュッツ等をレパートリーにする他、オルガン、チェンバロのソロ活動も多く行い、現代作品演奏、即興演奏も行っている。古楽コンクール、国際チェンバロ製作家コンテスト等で審査員を歴任。
5月14日
マシュー・ロック(Matthew Locke, 1621年または1622年 おそらくデヴォン - 1677年8月 ロンドン)はイングランド初期バロック音楽の作曲家。
イギリス最初のオペラ作曲家であり、ヘンリー・パーセルに強い影響を及ぼした。確かにパーセルにも似たやや気だるい曲調が好み。
Fantazie from Suite nº 4 (The Broken Consort) - Matthew Locke
http://www.youtube.com/watch?v=jGNYdIap2kQ
Matthew Locke - Suite 1&2
http://www.youtube.com/watch?v=qi8vRlln-IA
Matthew Locke - How Doth the City Sit Solitary
http://www.youtube.com/watch?v=Z2sb3shm-Ng