神社

奈良

権現桜

弥勒菩薩石仏

拝殿

滝藏山梵鐘の由来
 今を去る五百数十年前 即ち応永二十六年(西厂一四一九年 第一〇一代称光天皇 執権足利氏)長谷寺の高僧善照る上人はあ同寺の本地主たる瀧藏神社(当時は神宮寺)の霊験の顕たかさに感激されこの梵鐘を寄進賜りその刻銘を見る事が出来ます。以来護摩供養を説経して諸願成就、七難即滅の鐘として今に至って居る。
 御祭神は、中央の高いところ、三間社・流造で朱塗りの本殿に伊弉諾尊(中殿)、伊弉冊尊(向かって右殿)、速玉命(向かって左殿)が鎮座する。

 本殿の一段下の右壇上、末社の六社神社本殿には、右側より国狭土尊、沙土煮尊、豊雲野御子、大戸道尊、天忍穂身尊、葺不合尊が鎮座する。

 左壇上の六社神社の御祭神は、右側より、面足尊、天彦火瓊々杵尊、煌根尊、火々出尊、泥土煮尊、大苫邊尊が鎮座する。

2009年8月16日

神話唯一の夫婦神と御子を祭り、三社権現にて滝倉権現・滝倉明神・滝倉大菩薩と呼ばれる。後に毘沙門天・疱瘡神を合祀す。
一、神階 延喜二十年(921)従四位下
     天慶 三年(940)正二位
一、神殿 創建年代不詳・三間社流造・権現鳥居
     (棟札)文禄三年(1594)修復以後十一回
一、文献
   元長谷八郷の鎮守、地主神にて天慶九年(946)「長谷寺延喜」に滝倉権現のお告げに依り大泊瀬<おおはつせ>山を「与喜地」・「与喜山」として菅原道真公に護られたとの夢物語が書き残され、以来滝倉を「本地主神」、与喜山を「今地主神」と云われた。
 長谷寺の奥の院と称し、古来より信仰深き神社にて長谷寺へお詣りしても当社へ参詣しなければ御利益は半減すると伝えられ「今昔物語」巻十九に平安時代当時の滝倉明神の社殿その他長谷寺との関係が具体的に書かれている。
 鎌倉初期・保延四年(1138)に書かれた「長谷寺観音記」に美福院(七四代鳥羽天皇妃)長谷寺に参詣、夢のお告げにより滝倉権現の尼の力で姫を若宮(七六代近衛天皇)と取り替えて貰ったという誕生の秘密が記されて有り、院はお礼に「滝倉の拝殿を営作す」と有る。
 尚、「豊<ぶ>山玉石集」には、当山を滝倉大菩薩と云う三社有り「新宮権現」は女体柔和の姿。本地「薬師如来」・「滝倉権現」は老父の形・本地「虚空菩薩」・「石蔵権現」は比丘の姿。本地「地蔵菩薩」有る。

2009年8月16日

祭神
 右殿 伊弉册尊
 中殿 伊弉諾尊
 左殿 速玉尊
 またの名を三社権現(滝倉権現、滝倉明神、滝倉大菩薩)
 配祀 毘沙門天、疱瘡神
 摂社 国狭土尊、沙土煮尊、豊雲野尊、大戸道尊、泥土煮尊、大苫邊尊
 摂社 面足尊、天彦瓊々杵尊、煌根尊、火々出見尊 天忍穂耳尊、葺不合尊

1999年3月6日

奈良県桜井市大字瀧倉

神社

瀧蔵神社

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弥勒菩薩石仏

権現桜

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