史跡 賀茂御祖神社境内(かもみおや)   (昭和58年3月29日指定)
賀茂御祖神社(通称 下鴨神社)は、「山城国風土記」逸文に祭神の賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依姫命の神話伝承が、そして「続日本紀」に賀茂祭のこと、さらに「社記』には崇神天皇時代の記録などが記されているように、古くからの大社であった。また、玉依姫命の御子神は、賀茂別雷神社(通称 上賀茂神社)に祀られている。
境内の糺の森(ただすのもり)は、鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは、古くから物語や詩歌にうたわれてきた。

糺の森

鴨 長明

摂社 河合神社

神社

1997年8月14日

2009年7月4日


 社殿の造営は、「社記」に天武天皇6年(677)のこととされ、長元9年(1036)には、21年ごとの式年遷宮が定められた。現在の社殿は、江戸時代の造営で、両本殿が国宝、他の社殿53棟は重要文化財である。
 平安遷都以降は、皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と称され、全国に60以上の荘園を持ち、山城国の一の宮、全国賀茂神社1300社の総本社として広く崇拝されてきた。弘仁元年(810)には、賀茂齋院の制が定められ、皇女を斎王として35代約400年間賀茂社の神事に仕えさせられた。齋院御所は、この糺の森の北西に、常の御所は、紫野大宮に設けられていた。
 また、桓武天皇が延暦13年(794)平安遷都祈願の行幸をされて以来、歴代天皇、上皇、関白などの賀茂詣でも盛んであった。
 さらに、毎年5月15日に賀茂祭(葵祭)が行われ、この祭は、「源氏物語」をはじめ王朝の文学、詩歌にその華やかな行列の様子が描かれ、単に祭と言えばこの葵祭を指すほどの盛儀で、その起元は、欽明天皇5年(545)にさかのぼる。また、御影祭、騎射(流鏑馬)、蹴鞠、歌舞など千数百年伝承されている神事も多い。
 

1997年8月14日

御祭神 玉依姫命 (たまよりひめのみこと)      東殿
加茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) 西殿
京都市左京区下鴨泉川町59番地

神社 京都

国家「君が代」に歌われた「さざれ石」

 「さざれ石」とは、小さな石という意味。火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石で、長野県の天然記念物になっている。
 日本各地には、子持ち石とか赤子石など石を神として祀る信仰がたくさんある。「さざれ石」は、年とともに成長し、岩となると信じられている神霊の宿る石。「古今和歌集」には私たちの遠い祖先から信仰してきた生石(いきいし)伝説の「さざれ石」が詠まれており、国家の原典となっている。
 当神社にも「鴨の七不思議」のなかに「泉川の浮き石」や「御手洗の神石」という伝承と式年遷宮の祭事に「石拾い」という神事がある。いずれも永遠の生命力と不思議な力を現している。

奈良殿神地 (ならどののかみのにわ)
 --- 卯の花神事の祭場

平安時代の和歌に、
四月、神まつるところ、卯の花に、うちみえまよふ ゆふしてて けふこそ神を まつるへらなる
と詠われている、葵祭を前にして解除(お祓)の神事がおこなわれた祭場。また、平安時代の「左経記」という史料 長元四年(1031)、賀茂斎王が難良刀自之神(ならとじのかみ)を祀られた条りにみられるように、歴代賀茂斎王が大祭を前に祭祀をおこなわれていた祭りの地(にわ)である。
 奈良殿神は、御供え物や器などを司る神であり、当神社御祭神の神話伝承により、川の中の「舩」形の島を磐座とした。神殿を設けない無社殿神地として古代祭祀が伝えられている。島の周辺に卯の花が群生していたところから詩歌によく詠まれている。
 また、舩島の周囲を流れる川を「奈良の小川」と呼ぶのも難良刀自之神の由来から。

下鴨神社
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