神社

奈良

室生寺
当社の神への雨乞いが盛んであったことは、『日本紀略』「室生山年分度者奉状」や『類聚符宜抄』『御堂関白記』『扶桑略記』などに頻出する記事で明らかである。「室生山年分度者奉状」によると、天応元年(781)から承平七年(937)までにニ九度を数え、その都度感応があったと記されている。
 「宗教法人法による届出書」には、天児屋根命・素戔嗚命・大山祇命 ・水波能売命・埴山姫命を合祀するとある。明治初年の神仏分離までは、当社は室生寺の本地仏の鎮守としてその支配下にあり、その祭祀も主として仏式で行われたという。

                                                              
−奈良県史(神社)より−
大山祇命 (おおやまつみのみこと)
水波能売命 (みづはのめのみこと)
須佐之男命 (すさのうのみこと)
埴山姫命 (はにやまひめのみこと)
(あめのこやねのみこと)
天児屋根命
配祀
(たかおかみのかみ)

高龍神

主祭神

御祭神

奈良県宇陀市室生区室生1297

りゅうけつじんじゃ

龍穴神社

 室生寺の東方約1キロメートル、過ぎ・桧の巨樹が林立する森の中に鎮座の社が、式内室生竜穴神社に比定されている。社前の室生川は、宇陀川・名張川・木津川となって大阪湾へ注ぐが、当社はこれらの川の水源に鎮座する祈雨・止雨神として、古来国家的にも崇敬の篤い神社であった。
 祭神は、高龍神 で、竜神または竜王と称する司雨神である。当社の背後の山中の、室生川に注ぐ渓流沿いに約七百メートル登ると、岩窟があり、竜王の籠る洞窟として竜穴と呼ばれて古くから請雨祭祀の行われた所である。承平七年(937)四月の『室生山年分度者奉状』に、室生寺と当社のことを記し、『件の竜王を以って伽藍の御法神となせ、旱災ある毎に、竜王の穴地に臨み、甘雨を祈るに、祝言未だ訖らざるに、霖雨いよいよ降り、五穀忽ちに茂る』とある。
 『日本紀略』の弘仁九年(818)七月十四日の条に、山城国貴布禰神社と大和国室生竜穴等の処に雨を祈るとあり、『三代実録』貞観九年(867)八月十六日の条に従五位下より正五位下に昇叙とある。
延喜十年(910)八月二十三日祈雨の験あるによって従四位下に、さらに応和元年(961)八月十四日には正四位下に叙せられている(「日本紀略」)。
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