土宮の祭神はは外宮所在地の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる。度会行忠が1285年(弘安8年)に記した『神名秘書』では、山田原地主の大年神、字迦魂神、土御祖神の土宮3座であった。
風宮の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと)である。
本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となった。
風宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓に位置する外宮の別宮である。
祭神は内宮(皇大神宮)別宮の風日祈宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命で、外宮正宮前の池の横の多賀宮への参道にある亀石を渡った左側に風宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
風宮が別宮となったのは1293年(正応6年)と最後であり、4別宮の中で第4位とされる。
古くは現在の末社格の風社(かぜのやしろ、風神社とも)であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。
祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる。
正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮がある。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。
多賀宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
丘の上の高い場所にあったことから高宮であったが、縁起のよい字を用いて多賀宮になったと考えられている。
豊受大神宮(とようけたいじんぐう、又は、とゆうけたいじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社で、伊勢の神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。式内社。
豊受大御神を主祭神とし、相殿神として御伴神三座を祀る。豊受大御神とは穀物の神で、天照大御神の食物を調達するという意味をもつらしいが、記紀ではこの神の神系や事績は明らかではない。宮下文書では、日本最初の天皇(神皇)であり丹波に鎮座する国祖、国常立命が天照大御神の神託によって迎え入れられたもの、といっている。
別宮として、多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮がある。
風宮
正宮
多賀宮
土宮
2007年8月25日
御祭神 | 豊受大御神 (とようけおおみかみ) |
とようけだいじんぐう
(豊受大神宮)
伊勢神宮外宮