神社

奈良

奈良

神社

 宝永の「寺社御改帳」に「牛頭天王社」として「右氏神之境内ニ在之候寮ノ梁行弐間半桁行四間半宮ノ守と申し相鞆申候看主差置申候古来ハ神宮寺と申寺号在之之申申伝へ候も只今ハ宮寺と唱申候」と真言宗の宮寺があった由、記されている。

 十月二日頭屋の家に前もって作られた神の依代である「オハキ」(御刷毛)に神霊を奉迎して祀り、九日深夜稲束の笠を破った頭屋が「ゴヤオクリ」と称して神籠った「オハキ」を神社に神送りして翌十日祭典が行われる。  

神霊の送迎奉祀する頭屋とケヨニン(継人か)は、社前の禊場の礫川渓流で禊を続ける習わしである。

2009年5月25日


 櫟原川に沿い、鳴川千光寺への旧道と向浦より鳴川への三叉路丘陵上に鎮座する式内大社で、現祭神は素戔嗚命と櫛稲田姫命。『大和志』には今滝宮と称すとあるが、近世には牛頭天王社と称し、元は西南の滝近くにあったという。
 永享六年(1434)二月焼失したので、同年一月再建したと宝永二年(1705)の本殿棟札に記されている。式内伊古麻山口神社として『三代実録』貞観元年(859)正月二十七日に従五位上に昇叙、同年九月八日、風雨を祈って隋使奉幣された。

 大和国内の山口十四社の一として、風雨の順調を祈願する神社として皇室の崇敬が篤かった。延喜の制では大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預かり、延喜四時祭式の祈年祭の条に「胆駒山口社、加馬一匹」とあり、臨時祭には祈雨神祭八十五座の中に「胆駒山口社一座」として特別の奉幣があった。
 「神社覈録」や「特選神名牒」にいうように本来の祭神は大山祇命であったことは、「日本惣国風土記」に「圭田五十六束七字所祭大山祇也」と記されているように、恐らく生駒山系の守護神であったとみられる。
御祭神 素盞鳴命 (すさのうのみこと)
櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)
奈良県生駒郡平群町櫟原字滝ノ宮5ノ1

生駒山口神社

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