神社

奈良

神社

1999年7月3日

由緒  天理市の東部山中、浄土集落に鎮座する国史見在社で、旧郷社。創祀は明らかでないが、『元要記』には允恭天皇の三年正月三田宿禰が詔によって氷室の霊を祀ったと言う。

『日本書紀』の仁徳天皇六十二年の条に、額田大中彦皇子が闘鶏で狩された時、野中に盧叢様のものを発見された時、闘鶏稲着大山主命は氷室と称し丈余掘った土中に茅萩を敷き、氷をその上に置き、草をおおっておくと夏期もとけることなく、炎暑のころ酒に浸して飲用すると答えたので、
皇子はその氷を持ち帰って天皇に献上されたところ天皇喜ばれ、『是より以後、季冬に当る毎に、必ず氷を蔵む。春分に至りて、始めて氷を散る』とある。

 この氷室の守護神として祀ったのが当社で、『延喜式』主水司に氷池風神九所のうち大和国一所にあたり、毎年十一月氷池紳祭が行われるとある。中世に、当社は福住七郷の鎮守として、領主福住氏が神主となって奉祀した。

福住氏は、宗職の代に最盛期を迎えて福住の東北隅に氷室城を構えたが、当社所蔵の春日版嘉録本大般若経奥書に「大和国山辺郡福住庄氷室宮御宝前御経也 宗職(花押)時天文八年己亥八月五日」とある。宗職は筒井順慶の家老となったが後、永禄二年(1559)嫡子宗永に神主を譲渡し同年六月十七日に奉告祭祝詞を当社に納めて隠居した(吉田家文書)。

その後筒井一族の滅亡とともに福住氏も衰退、神社の祭祀権も郷民の手に移った。例祭は十月十五日で、当日は、氷室旧跡のお旅所で古式による神輿の渡御が行われ、氷神信仰の講社も参詣して賑わう。

 神社に天正十二年(1584)根生田(入田)村神事帳箱、慶長八年(1603)の鰐口があり、かっては境内に別当神宮寺があった。なお当社後方の室山は昔、朝廷への献氷をとった茅萩池の跡や氷を貯蔵した氷室跡と伝える所六ヶ所が現存している。

                                                              −奈良県史(神社)より−
額田大中彦命 (ぬかたのおおなかつひこのみこと)
大鷦鷯命 (おおささぎのみこと)
闘鶏稲置大山主命 (つげのいなぎおおやまぬしのみこと)
御祭神

氷室神社

奈良県天理市福住町1841

★地図

1999年7月3日

2011年2月23日

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