寺院 

奈良

4月 

花こよみ
1976年の再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像を安置する
塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失し、現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建されたものである。デザインは東塔と似ているが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であったが修復で白壁にされた。一見すると東塔に比べ若干高く見えるが、これは1300年の年月の内に、東塔に材木の撓みと基礎の沈下が起きたためであり、再建された西塔はそのような年月の経過を経験していないため、若干高く見えるとのことである。西塔の再建に当たった文化財保存技術者西岡常一によれば、500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着く計算とのことである。
現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。

東塔

西塔

20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代末期仮再建の金堂、講堂がわびしく建ち、創建当時の華麗な伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建された。
なお、旧金堂は現在興福寺の仮中金堂として移築され、外観を変えながらも現存している。

金堂

1987年10月4日

薬師寺は7世紀末、飛鳥(奈良県橿原市城殿(きどの)町)の地に創建され、平城遷都後の8世紀初めに現在地に移転したものである
奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。
南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇である。
奈良市西ノ京町457

薬師寺

★地図

inserted by FC2 system