寺院 

奈良

 石仏
 
泣き笑い地蔵

11月 紅葉

12月 
南天

花こよみ

1998年12月27日

江戸時代に入り、慶長6年(1601年)には寺禄は約1000石を数えていたが、応仁の乱後に再興された82坊によって、往時の様を取り戻していた。本堂、三重塔、護摩堂、観音堂、地蔵堂、灌頂堂、鐘楼、経蔵、如法経堂、御影堂、十三重塔、弥勒堂、六所明神、鎮守などの堂塔伽藍が建ち並んでいたという。

寛永6年(1629年)、堂塔伽藍が焼失、300石の朱印地を与えられることとなった。

江戸中期以降は、法相宗の影響が次第に薄れ、真言宗の仁和寺の末寺となった。

明治の廃仏毀釈によって荒廃した。その往時の威容は、延々と続く石垣によってしのぶことができる。

昭和42年(1967年)、本山仁和寺から独立し、菩提山真言宗大本山を名乗る。

1996年4月29日

正暦3年(992年)、一条天皇の発願により、関白藤原兼家の子兼俊僧正が創建した。

往時には、報恩院以下86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院であったが、治承4年(1180年)に、平重衡による南都焼き討ちによって焼失した。

建保6年(1218年)、興福寺別当の信円僧正が法相宗の学問所として再興し、興福寺の別院正願院門跡となった。金堂、弥勒堂、講堂、十三重宝塔、経蔵、御影堂、鐘楼、六所社および別院などが整備された。

また、報恩院家が開山の兼俊僧正の別院として寺務を管轄し、安養院と別院仰接院は浄土宗の念仏道場となった。

奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)にある寺院。菩提山龍華寿院と号し、奈良と天理の間の山あいに位置する。菩提山真言宗の本山(単立寺院)。「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。また、境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、初めて清酒が醸造されたという伝承があり、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。

正暦寺

★地図

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