寺院 

奈良

 法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として創められた法華減罪之寺である。
 寺地は平城京の東北に位置し、藤原不比等公の邸宅だったのを、皇后が先帝ならびに考妣のおんために改めて伽藍となし給うたもので、以来星霜千二百余年、おん悲しみ深かった皇后の御精神を伝え、道心堅固に護られてきた女人道場「法華寺御所」である。
 従って草創以来朝野の尊崇を集め、天平勝宝元年には詔して墾田一千町歩を施入せられ、大同年中には駿河、美濃、上野、武蔵、越後、伯耆、出雲その他に寺封五百五十戸を持つなど、天平の大伽藍にふさわしく堂宇もまた金堂、講堂、東西両塔、阿弥陀浄土院と荘厳のかぎりをつくしていたのである。
 しかしながら時勢とともに寺運ようやく衰え、中世の記録はさだかでないが、叡尊興正菩薩の再興、さらには豊臣秀頼公の外護、徳川氏の寺領二百二十石寄進などあったとは申せ、ついにほとんど旧来の寺観を失うて今日に及んだ

寺院

2009年5月31日

1996年5月26日

1994年5月2日
奈良県奈良市法華寺町にある光明宗の寺院。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。山号はなし。本尊は十一面観音、開基は光明皇后である。
奈良市法華寺町882

法華寺

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