1998年6月6日
岩船寺
岩船寺は寺伝によると天平元年(729年)に聖武天皇の発願により行基が建立したと伝わる。その後、平安時代初期の大同元年(806年)に空海(弘法大師)の甥・智泉(ちせん)が入り、伝法灌頂(密教の儀式)の道場として報恩院を建立した。
弘仁4年(813年)には嵯峨天皇が皇子誕生を祈念して後の仁明天皇を授かったので、嵯峨天皇の皇后が伽藍を整え、岩船寺と称するようになったという。以上はあくまでも寺伝であり、中世以降の火災で古記録が失われているため、草創の正確な時期や事情ははっきりしていない。
なお、本尊の阿弥陀如来坐像は坐高2.8メートルを超える大作であり、像内に天慶9年(946年)の銘記があることから、遅くとも10世紀半ばには岩船寺はかなりの規模の寺院であったと推定される。
承久3年(1221年)の承久の変の兵火により建物のほとんどを焼失するが、室町時代に三重塔などが再建される。
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾の里に位置する。この地区は行政的には京都府に属するが、地理的には奈良に近く、文化的にも南都の影響が強いとされている。
近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏(多くは自然の岩壁に直接刻んだ磨崖仏)や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。
当尾には中世には、都会の喧騒を離れて修行に専念する僧が多数居住し、多くの寺院が建てられたと言われ、今に残る石仏・石塔群はその名残りであるといわれている。
1993年7月31日