今屋敷の防火壁
石垣は対馬の名物であるが、火災の類焼を防ぐため、火切として高く築かれた石垣の防火壁が、昔の町割の線に沿って設けられた。 現在残っているのは数箇所に過ぎないが、最も状況が良いのが左の壁である。
刻銘には、「天保15年甲辰正月 消防為 火切築え 高サ一丈三尺 根幅五尺」とある。 石垣の全面に火で焙られた痕跡があり、府中(厳原)町屋の軒並を護った貴重な遺跡である。 昔は江戸市中にも火切があったが、現在は跡形もなく消滅し、日本中で遺っているのは対馬の厳原だけという。
厳原町教育委員会
長崎対馬 - 武家屋敷跡
2003年10月5日