日本各地への旅

藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋(はりまや)と、富商櫃屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになった。 当時は、簡素な木造りの橋だった。
橋は、時代とともに幾度か架け替えられ、昭和33年には南国博覧会のため、朱色の欄干が登場する。
翌年、歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットしたことで、同名の映画が創られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として、全国に知られるようになる。
 ここに架かる木造りの橋は、平成5年、全国から寄せられた680件の「はりまや橋に対する○○(読み取り困難)のイメージ」を基に、江戸期のはりまや橋として再現したもの。

高知県高知市はりまや町

2003年11月16日

はりまや橋

★地図

名前は有名だが本当に小さい橋。

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