晩年のおりょう

高松太郎 (1842-98)
龍馬の長姉千鶴の長男。
常に龍馬の近くにあって、亀山社中、海援隊の活動に打ち込んだ。

近藤長次郎 (1838-66)
高知城下の饅頭屋の倅。
龍馬とともに日本最初の商社・亀山社中の設立に尽力した。河田小龍門下の俊才。
グラバーの斡旋でイギリスへの単独外遊を企てたが、それが社規に反したとして切腹して果てる。慶応2年(1866)1月14日、29歳。

池内蔵太 いけくらた
(1841-66)
土佐勤王党加入ののち脱藩。天誅組に参加し、蛤御門の変で奮戦する。
亀山社中、海援隊に参加。龍馬との親交は深かったが、ワイルウェフ号の遭難にあい、不慮の死をとげる。

沢村惣之丞 (1843-68)
土佐勤王党の同志から、手を携えての脱藩、そして神戸海軍塾から海援隊へと、龍馬と常に同じコースを歩んだ。明治元年(1868)薩摩藩士を誤って殺し、責を負って自刃した。

坂本龍馬

京都幕末維新史跡

龍馬をめぐる人物

おりょう
生年不明。才気煥発、負けず嫌いの性格に加え、因習に縛られぬ自由な心を持つ。
父は柳馬場三条下ルの町医者楢崎将作、安政の大獄に投獄され、1862年に獄死。母と四人の弟妹をかかえて長女のおりょうは生活の重荷を背負うことになる。龍馬の妻となり、日本で最初の新婚旅行に行く。
左下の古写真は龍馬が暗殺された近江屋井口家に伝わったもの。

海援隊

河田小龍 (1824 - 98)
高知城下東浦戸坊片町生まれ。狩野派絵師。広い視野と鋭い時代感覚を持つ啓蒙家。
ジョン・万次郎がアメリカより帰国したとき、この取調べに当り、万次郎の漂流記録を「漂巽記略」四巻としてまとめ山内容堂に献じた。
龍馬は安政元年(1854)冬にこの小龍を訪ね、世界の情勢を聞かされる。

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