(本名) 中浜万次郎  文政10年-明治31年 (1827-1898)

日本各地への旅

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幕末維新紀行

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2005年3月19日

ジョン万次郎

9:00 - 16:00
観覧料 300円

高知県土佐清水市足摺岬
TEL 0880-88-1136

晩年のジョン万次郎

27歳のジョン万次郎

            ジョン万次郎年表

1827年(文政10年)....1月1日 万次郎誕生
1841年(天保12年)....1月 土佐高岡郡宇佐浦を出漁。嵐のため漂流し、伊豆諸島の鳥島に漂着。
             5月 米捕鯨船に救助される。
             10月 ホノルル入港。アメリカへ向かう。
1843年(天保14年)     捕鯨に同行。グァム島、台湾近海、東シナ海、タヒチ海、フィジー諸島などを巡航。
1844年(弘化元年).....2月 アメリカ・バートレット・アカデミーに入学。数学、航海術、測量術などを学ぶ。
1848年(嘉永元年).....2月 グァム島。
              5月 フィリピン近海、台湾東岸、琉球、日本近海で捕鯨。 
1850年(嘉永3年)........5月 サンフランシスコ入港。シエラネヴァダ山脈の金山で一ヶ月働く。
1851年(嘉永4年)........2月 琉球に上陸、日本に帰国。
1857年(安静4年)........4月 軍艦教授所の教授となる。
             10月 捕鯨指導で函館に出張
1860年(万延元年)......1月 通訳として咸臨丸に搭乗、浦賀より出航。
              2月 サンフランシスコ入港。
1864年(元冶元年)....11月 薩摩藩開成所の教授に招かれ、航海実習、測量・造船所、英語などを教える。
1868年(慶応4年)........4月 土佐藩士となる。
1870年(明治3年)........8月 普仏戦争観戦団に通訳として同行、横浜出航。
1871年(明治4年)........春に単身帰国、足の療養に努める。
1898年(明治31年).....11月 東京京橋の長男宅で死去。

★地図

土佐国幡多郡中ノ浜(現土佐清水市)の漁師悦助の次男に生まれる。
天保12年(1841年)暴風に遭遇、無人島の鳥島に漂着した。 
(鳥島の地図)
米国捕鯨船に救助され、船長ホイット・フィールドに才能を見込まれて、フェアヘイブンで初等教育を受けた。
測量術、語学、習字を学習。のち捕鯨船乗員や鉱夫となり、金を貯え、嘉永3年(1850年)上海行き米国船に便乗、11年ぶりに帰国。河田小龍が取り調べに当たり、万次郎を自宅に三ヶ月も逗留させて彼のアメリカ周航体験紀を「漂巽記略」四巻としてまとめる。坂本龍馬がこれより影響を受けて、海外、開国へと目が開く。
翌年のペリー艦隊渡来の際に幕府に召されて、伊豆韮山代官江川英龍の手付となる。万延元年(1860年)には咸臨丸通訳として渡米、維新後は開成学校教授に任ぜられて英学を講じた。
明治31年、東京京橋弓町で没する。71歳。

ジョン万ハウス

★地図

中浜万次郎誕生地

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