幕末維新紀行

大村益次郎
大村益次郎〜磯田道史解説

「100分de名著 司馬遼太郎SP 第2回 「花神」大村益次郎」の回。
司馬遼太郎の4冊の小説を取り上げ、それぞれについて磯田先生が解説する。100分を4回に分けたもので、これはその2回目のもの。放送されたのは2016年3月。

なによりも伊集院 光の話の引き出し方がうまいので、聞いていておもしろい。一番好きな番組なので、ここで語られていることをそのまま文字にした〜 時間にして23分ほどの映像〜 


 動乱の時代を描いた作家、司馬遼太郎。司馬が歴史小説を書き始めたのは戦争体験がきっかけだった。学徒出陣で戦車隊に配属された司馬は、精神論を掲げ、理不尽なことが横行する軍に不信感を抱き始める。「なぜこんな軍隊になってしまったのか」司馬は「花神」を描くことで組織の本来あるべき姿を提示しようとする。
 主人公は大村益次郎。激動の時代、軍隊の近代化を果たし、新政府軍を勝利に導いた。司馬はそんな大村の徹底した合理主義に一つの答えを見つけた。
 「花神」から現代に通ずるリーダー像を紐解く〜


 司会-武内陶子 伊集院 光  
 指南役-磯田道史


 伊集院「大村益次郎・・・、世間でもそんなに有名じゃないという手ごたえなんですけれど・・・」

 磯田「変革期を書く作家なんですよ、司馬さんというのは。例えば戦国時代とか江戸時代がやってくる時期、そして明治時代がやってくる時期が幕末ですよね。だから信長と並び立つ存在のように大村益次郎を描くんです。この人を見ることによって日本が変わる時のリーダー論というのを見ていこうということですね。」


※ナレーション
 まずは「花神」のストーリー〜

 --- 長州藩、今の山口県の村医者の家に生まれた村田蔵六、後の大村益次郎は幼少から勉学に優れ、22歳の時に緒方洪庵の適塾に入る。蘭学、医学、兵学を学び、3年後には塾頭になるほど優秀だった大村。
 しかし父に故郷に帰ってきてほしいと乞われ、長州に戻り、医者を開業する。無口で無愛想な性格のため、患者からの評判が悪かった大村、自分は医者に向いていないのではと考えるようになる。
 そんなある時、大村は宇和島藩で蒸気で動く軍艦と西洋式砲台を作る機会を与えられる。軍艦と砲台など見たこともない大村だったが、オランダの専門書を読み解きながら見事に完成させた。
 その後、洋学研究に没頭していた大村に運命的な出会いが訪れる。軍隊を洋式化しなければならないと考えていた
 長州藩士桂 小五郎が大村を長州藩に呼び戻した。大村は奇兵隊など長州軍の諸隊に西洋の武器や訓練法を伝授。日本の軍隊に変革をもたらす。そして第二次長州戦争では大村の指揮する長州軍が見事幕府軍の包囲を打ち破り、勝利、さらに戊辰戦争では新政府軍を指揮し、勝利へと導いた。大村はその功績が認められ、新政府において兵部大輔に任命される。明治の新しい陸軍のトップに就任した。


 武内「村医者の身分にもかかわらず陸軍のトップにまで上り詰める。」

 磯田「普通は変革期じゃないとそんなことは起きないんですけれど、でも武士でもないのに戦いをやるわけですよね。で、剣道もできない。だから戦場に行く時に腰に手ぬぐいを下げて梯子だけを持たせて行く。
 ようするに敵を見るのが指揮官の仕事だと思っているので、屋根に登るための梯子を持っていく。不思議な指揮官ですよね。」

 伊集院「一回もボールを投げたことのない人がプロ野球の監督になるみたいな・・・、それでずーっと勝ち続けるという感じですね。」

 磯田「あいつに指揮が出来るのかと思うと、もう簡単にやられてしまう。つまり身分制度の一番上に胡坐をかいている武士が、その階級が完全に壊されていく。
 江戸時代を明治に、近代にしたものはやはり軍隊なんですよね。西洋式の軍隊にしたこと、つまり火縄銃の段階だと簡単には時代は進まない。火縄銃って1分に1発か2発しか打てない。しかも100mくらい離れればパーンと身体に当たっても死なない。
 だけとライフル銃になったらこれは完全に西洋式軍隊になりますね。500m先の敵を撃ち殺してしまう。ですからいくら俺は馬術が上手いんだ、剣道が上手いとか言って鎧を着て馬に乗れるとか威張ってみたところで500m先からパーンと打たれたらそれで終わりですから、武士の世は終わるんですよね。
 それを早く認識して技術的なレベルで考えたのが大村益次郎。技術者が時代を変える。その滑稽さをよく拾い取ったと思える。」

 伊集院「変革期の技術が世の中の仕組みすら一気に変えるみたいになって、例えばインターネットなんてそうじゃないですか。元々の価値観がまったく変わっちゃう。それを理解できて使いこなせる人がトップみたいな・・」

 磯田「大抵は道具の方が最初に登場して人間の頭や制度はそれについていかない。みんなライフル銃があることは日本中の人たちが知っているけれど、これをどのように組み上げて軍を作れば国内を統一できるか、ということは天才の頭にしか降りてこない。」

 伊集院「そうすると地味だけれど効いてくるのは、剣道をやったことがない、というのは効いてきますね。」
 
 磯田「やったことがないからできないじゃなくて、やったことないからできる。」

 武内「それで司馬さんは「花神」の後書きにこのように書いています。
 要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。ただほんのわずか普通人、特に他の日本人と違っているところは、合理主義の信徒だったということである。」

 磯田「ここで司馬さんが普通の日本人をどう捕らえているかがわかるんですよ。
 普通の日本人は一番弱い言葉が『これまでこうしてきました』ともう一つは『みなさん、そうなさいます』なんですよ。みんなこれまでそうしてきたらやる、みなさん、そうやっている、と言ったら『うん』と頷いちゃう。
 だけど信長やこの大村益次郎の変革期の日本人の違うところは、『え?どうしてそれをやるんですか?』というWhy?があるんですよ。それで理由のついた事だったら、本当に合理的だと思ったら、周りが何と言おうと聞く耳持たずにやる。『前からこうやっています・・・ 意味ない。みなさん、こうやっています・・・ 意味ない。これで勝てます・・・ あ、意味があります。』こういう人ですよね。」

 武内「大村益次郎が医者だったということは何か関係がありますか?」

 磯田「大きいですね。医者としての科学的視点を持っていたことが非常に重要な要素で、つまりこの目的を成し遂げるためにこれとこれとこれの部品が必要だ、とか、これとこれとこれの要素が必要だとかいうことをたぶんひたすら機械的に行うという頭の持ち主なんです。」

 伊集院「精神論で骨折は治りませんよ、という、固定しないと治りませんよ、というところがやっぱりわかっているわけだ。」

 磯田「だからもし幕府を滅亡させようとすると、幕府軍は固まった密集隊形でやってきますと、それを京都の近郊の野原に並べてその上にバーンと打ち込んだら周りに金属片が飛び散る、砲弾を浴びせれはバタバタと倒れると、そういう作業です、と言う。
 そういう幕府を倒すという大きな問題をすごく即物的な、小さな問題、要素の問題に持ってきて実行するというただの技術屋です。もう血も涙もないですよ、本当に。情も何も考えない。」


 「花神」のストーリー〜

 --- 大村益次郎が宇和島藩の依頼で軍艦を完成させた時のこと〜。藩主伊達宗城を乗せ、試運転を始めると、船が進んだことに家老の松根図書が子供のようにはしゃぎ、大村に話しかける。「村田、進んでいるではないか」と振り返って叫んだ。
 が、蔵六は悪い癖が出た。「進むのは当たり前です」
 これには松根もむっとしたらしい。
「そのほうは何だ。ものの言い様がわからぬのか」と言った。
 蔵六は松根から見ればひどく冷ややかな表情で「当たり前のところまで持っていくのが技術というものです」と言った。

 ・・・大村の合理主義が行き過ぎ、人への配慮や情緒が欠如していた。人の神経を逆撫でするようなところがあった。


 伊集院「この行(くだり)は僕はとても気に入りましたね。ちょっと偉人の話になりますと、大抵、全てが優れていたという話になりがちで、全肯定をしがちじゃないですか。
 嫌なやつですからね、これって。もっと言い方があるだろうって言われると思うんですよね。」

 磯田「巨大な欠陥を持った大人物がいるんですよ。コミュニケーション能力とか問われたら最悪です。本当に重要な能力があるならば、他の欠陥に目を瞑れるかどうかということを試しているわけです。この人の存在と日本の歴史というのは。
 だけど変革期というのは、日本の変革期に、本当に日本人が困った時は、日本人は賢いのか、こういう人でも受け入れるものです。でも大抵は長続きしないですね。このタイプは日本社会では、ね。」

 伊集院「なんか、ただの頭がよくて性格に問題がない人が世の中を変えるという話でないのは、やっぱり裏付けのあるものだからすごくおもしろい。」

 武内「でも司馬さんは自分の戦争体験が基になって小説を書き始めるとありましたけれども、この大村益次郎、村田蔵六はその戦争へ導くという陸軍の基礎を作ったという・・・」
  
 磯田「そうなんです。昭和の陸軍の基を作ったのに、大村が作った時代の陸軍は違うはずだ、という思いが強かったでしょう。自分の時は襟まできちんとボタンを留めなければビンタが来る日本軍ですよ。
 しかし司馬さんが見た日本陸軍の基が発祥する時は指揮官は着流しですからね。そういう合理性を持っている。だってボタンを留めているかどうかは気分の問題には関わるかもしれないけれど、戦力にはなんら影響ないですからね。
 そういう陸軍が誕生時に持っていた合理性はどこに行ったのだ、という怒りの感情と共にやっぱり見ていくということを言いたいんじゃないですかね。ほら見ろ、勝つ軍隊ってこういう状態だったのに、時代が経って人間がそれを忘れ去った時に、どうも信じられないものになるんじゃないか、と、将来の人に見せたくて一生懸命活字として叩きつけていったと思うんですよ、司馬さんはね。
 やっばり活字ってただのインクの染みなんですけど、それを読んだ時に人間が泣いたり笑ったり前とは違う思想を持つようになると言うことがやっぱり文学の魅力だろうと思うし、本の魅力なんですけれど、十二分にやったのがこの本じゃないかと思うんですよね、司馬さんがね。」

 伊集院「精神論じゃないですから、戦術ですから、と言っていた人たちの作った軍がむしろ精神論になっていったわけじゃないですか。で、その棺桶みたいな戦車だって勝てると言って司馬さんは酷い目に遭うわけじゃないですか。」

 磯田「そう、もうほんと精神力で勝てと言われるわけですよ。」

 伊集院「この間に何があって、元々はそうじゃないとなれば、そりゃ書きたいですよね。」


※ナレーション
 ・・・司馬遼太郎は大村益次郎の合理主義を際立たせるため、幕末長州藩に広く浸透した攘夷思想を唱える人々を描き、大村と対比させる。攘夷とは、外国人を追い払って日本に入国させないようにすること。
 長州藩では吉田松陰の思想に被れ、イデオロギーに自己陶酔した藩士らが攘夷を声高に訴えていた。過激な藩士たちのイデオロギー論争から離れ、事態を冷静に見つめた大村。
 そんな大村を支えつづけた人物が桂 小五郎。司馬は、大村の才能を見出し、指揮官に取り立てた桂をもう一人の理想のリーダーとして描いている。

 「花神」のストーリー〜

 --- 桂には虚心に人の知恵を借りようとするところがあり、それがこの人物の政治家としての魅力になっていた。
 「おれは本来百姓である」という思いが常に蔵六にある。にもかかわらず、桂は多数の藩士を信用せず、蔵六のみを選んだとは何ということであろう。その一事が特に蔵六の心を揺さぶったのは蔵六自身になってみないとわからない。

 ・・・異能の人である大村を重用し、使いこなすことができた桂 小五郎が大村の才能を開花させた。


 伊集院「桂 小五郎の存在。これはでかいですね。確かにあの性格じゃあ大村一人がどんなに知恵が働いてもすぐに潰されますもんね。」

 磯田「そこがおもしろくて、日本社会って基本的にはすごい技術者で、オタクなんですよね。で、オタクが多いんです。ところがオタクはオタク単体ではやっていけないんです。オタクをよく理解している大人の世話係、常識人が必要なんです。オタクと常識人が一緒になった。それは非常に強い威力を発揮するという歴史かもしれませんね。」

 伊集院「うわっ、すごい共感できます。」

 磯田「桂はやっぱり優れた技術者だったら身分は問いませんでした。長州藩士というのは大体一生懸命になりすぎるんですよね。吉田松陰先生の思想というなら、みんなそういうふうになってしまうし、思想は人間を酩酊させるものであると司馬さんはよく書かれるんですけど、あの・・・お酒のようなものだ。それに酔わない、正気でいられるのが実はこういう、むしろ世の中全体が酔っている場合には技術者だ。正気である程度大村はいただろう。思想から距離を取って合理主義を貫いてこれは現実的に有効かどうかをしっかり見ているわけです。

 伊集院「でも何かスローガンがあることでスピードが上がることは確かにある。ただそのスピードだけに呑まれない、呑まれちゃいけないというその正気さをやっぱりトップは持っていなきゃいけない。」

 磯田「そうなんです。桂はそういうタイプとはちょっと違う大きさを持っていました。それともう一つ大事な点はこんなに得体の知れない大村を最後まで守り抜きますね。他所からやって来てムチャクチャな改革をやって出血伴って既得権益も侵すとなるとやっぱり足を引っ張りますよ。
 だけど、もう任じた以上は最後までそういう人物を守り通すという点では大きかったと思います。」

 武内「すごいリーダーだ。」

 磯田「ええ、これは現在でも必要なリーダーの要素です。」

 伊集院「そして良くしたい、良くするリーダーになりたい、と読んでいる時に、さあおれは大村タイプなのか?桂 小五郎タイプなのか?と、たぶん自分に問いかけると思うんですよ。」

 磯田「大抵、オタクの方は生まれついている場合のものが多いので、精神修養で近づけるのは桂の方ですね、普通の人が・・・」

 伊集院「なるほど。逆にオタク側の人だったら桂 小五郎が目の前に現れた時にその人だけは信じようという意識を・・・」

 磯田「それが重要なんですよ。この人は自分を受け入れてくれて自分をちゃんと使ってくれる人だという、オタクは自分を使ってくれる人を見つける嗅覚だけは持っておかないとだめなんですよ。
 オタクを使いこなそうと思うと、その人自身が何かやっぱり凄いものを持っている場合が多いですね。
 桂はもう長州藩きっての剣豪ですから、ここがおもしろいんです。おれは剣で道を極めたけど、どんな剣の天才が言ってみても、もう剣の時代ではないことがわかっているから、逆にコンプレックスがない。剣を否定するこの男を使って剣一番だったおれがこの国のために何かやろうと、こう考えたわけです。」 

 伊集院「いい、その解釈、何かわかりませんけれども、それは凄い!」

 武内「ぐっときますね。」

 磯田「あんなにメチャメチャなのにやっぱり桂も信じたし、長州軍もあんな変な男なのにサムライでもないのに付いていったのは、やっぱり彼が傑出した戦闘技術や戦争指揮技術を持っていた。変なやつだけれど、あのお医者の腕だけは信じようということで大村さんに賭けたんですよね。」

 伊集院「でも、その合理性の塊がその桂 小五郎のバックアップの下で凄いシステムというか軍を作っていくわけじゃないですか。でもそれが司馬遼太郎さんは変質しきった軍に所属して酷い目に遭うわけじゃないですか。
 さっき言った理想とかスローガンみたいなものが人を酩酊させるとするならば、合理主義というスローガンも少し人を酩酊させると思うんです。」

 磯田「そうですね。合理主義ならいいのか、という問題がありますね。」

 伊集院「で、今、世の中にちょっと歪み、ちょっと合理主義の名前の下に必要なものも切ってはいませんか?て、思うじゃないですか。」

 磯田「そう、短期的合理主義と長期的合理主義は全然違っていて、今、それを取ったら便利かもしれないが、後になって効いてきてだめになるものっていっぱいありますよね。」





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