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超越の道-目次 

The Discipline of Transcendence
   超越の道
 Vol.1 
1976年8月21日-30日
 Vol.2 
1976年8月31日-9月10日

 Vol.3 
1976年10月21日-10月30日

 Vol.4 
1976年10月31日-11月10日

 2013年7月6日、翻訳完了

 2014年2月10日、翻訳完了

 2014年8月7日、翻訳完了

 2015年1月1日、翻訳完了
                          序文

 この本に再現された講話、仏陀の42章経についての4巻シリーズの1冊目は、1976年8月21日から30日までプネーのシュリ・ラジニーシ・アシュラムで語られた。

 バグワン・シュリはこの仏教の経文の原書についてこう語っている。「この経文『42章経』はインドには存在しなかった。これはサンスクリット語やパーリ語で存在したことはない。この経文は中国語でのみ存在する。

 漢王朝の皇帝、明は、紀元後67年に中国に仏陀のメッセージをもたらすために何人かの仏教の導師たちを中国に招いた。その仏教の導師たちの名前は知られていないが、あるグループが中国に行った。そして皇帝は中国人のための最初の手引きとして、仏教格言の小さな選集を望んでいた。
 仏教経典は非常に膨大で、仏教文献はそれ自体がひとつの世界だ。----何千もの経典が存在し、そしてそれらは非常に詳細にわたって述べられている。それは仏陀が論理的分析の価値を信じているからだ。彼はあらゆるもののまさに根源に行く。彼の分析は深遠かつ完全なので、非常に深く詳細に入って行く。
 それは非常に困難な作業だった。これまで仏陀のような人が誰も存在しなかった全く新しい国に、何を翻訳したらいいだろう? そこでこの仏教の導師たちは42章の小さな選集を作った。彼らはあちこちから、この経典やあの経典から、この説教やあの説教から格言を集めた。

 今世紀の初め、学者たちはそれまで、その原典はサンスクリット語かパーリ語で存在していたはずで、それからそれは紛失し、それで中国語のこの経典は翻訳されたものだと考えていた。それは全くの誤りだ。この経典はインドに存在したことはない。そのままの形ではそれは存在しなかった。もちろん、それぞれの格言は仏陀から来ているが、全ての仕事が新しい仕事であり新しい選集だ。だからあなたはそれを覚えなければならない。

 そしてそれこそが、私があなた方のために仏陀の世界への最初の手引きとしてそれを選んだ理由だ。それは非常に単純だ。それは非常に単純な方法で全てを含んでいる。これは非常に直接的だ。それは本質的に全てのメッセージだが、非常に短くて、他の仏教経典のように非常に長くてくどくどしたものではない。」



   


                                序章

 私はヒッピー的な生き方(トリップ)で約1年ほど東洋を旅してきて、最終的にスピリチュアルな何かに直接出会った。それ以前はジェット機でのパック旅行、キャリアガール的な生き方(トリップ)、田舎の僻地への旅行、そして他にも数多くのことをしてきた。今私はそれらを内的探究の一部として見ることができる。当時の私の気づきは全く表面的なものだった。私は単に、ある特定の期間内に自分がしたことはすべてやり終え、もはやそれをすることにどんな意味もないように感じる、という理解をゆっくりと成長させて生きていた。それが雑誌ジャーナリストとしての生活を迅速に導いていようと、ある黄金の砂浜で太陽の下にのんびりしていようと、「社交的」夕食パーティを催していようと、小さなヨットで大西洋を航海していようと・・・、それはどうでもよかった。いったん私が何らかの生き方や状況から自分が望んでいたものを得たなら、その増大しているお馴染みの満たされない感覚が再び湧き上がった。そして私はそれがその先へ進む時であるのを知った。

 ドラッグの世界と、生は内側から変えることができるという刺激的な体験へ私を導いたのはこの探究だった。それはそこには意識の異なるレベルが存在するということだった。数年間この新しい玩具は私を虜にしたままだった。それは社交的な戯れ(トリップ)よりも常にもっと個人的だった。夜、自分の部屋に坐ったり、あるいは海に沈む夕陽を眺めたりすることで・・・、私はその瞬間を心地良く感じ、満足していた。私はある内側の気づきを学び、そしてただぼんやりするだけの楽しい逃避を学んだ。

 しかしまたたく間に使用人は主人になった。私は何らかの強いドラッグへの肉体的耽溺ではなく、高次のものへの微妙な心理的耽溺に捕えられた。私はずっと気分良くありたかった。それでずっと喫煙していた。だがその高次のものはますます短くなり、無感覚にさせ、頭が朦朧とした状態をより強く、より長くさせた。私は自分の後頭部の中に投獄された感じがした。人生は適切なものではなかった。私は惨めさを、寂しさを、世界への敵対と自分自身への敵対を感じていた。しかしどうしたものか----別のマリファナは私に至福に満ちた完全性のわずかな瞬間を与えた。


 内側のどこかで私は瞑想が脱出のための唯一の方法であることを知っていた。それをどこでどうやって見つけたらいいのかわからなかった。それが何かさえ知らなかった。私はただ、それが起こって欲しかった、それが起こるのを必要としていたことだけを知っていた。

 私はヒマラヤの山裾にある村ダラムサラにいて、ダルハウジーでの瞑想コースを聞いた時、ダライ・ラマの周辺でチベット仏教を学ぶために集まってきた西洋人の学徒たちを懐疑的に観察していた。私はこのチベット的な修行(トリップ)は自分のためのものではないのがわかった。確かに魅惑的であり、そしてチベット仏教には、インドのヒンドゥー教徒やパキスタンのイスラム教徒などの異国的存在に接した後に、我が家にいるように感じる中心が定まった平和な雰囲気があった。だが私は彼らの色鮮やかな神々と一体感を持つことができなかった。私は誰か別の人の宗教について学びたくはなかった。私は自分自身を体験したかった。

 そこで、ほとんど絶望して、私は丘の駅の近くのダルハウジーに行った。その「コース」は伝統的仏教の瞑想ヴィパッサナだった。教師はタイの仏教僧院で数年間過してきた若いイギリス人だった。

 ほとんど三ヶ月間私は坐った。ただ自分の呼吸を見守ることで、これらの空間に達することができた時、誰が麻薬を飲む必要があるだろう? 私はそれをとても深刻に受け止めた。私は自分の坐ることに対して非常に深刻になり、非常に内向的になり、そして非常に依存するようになった。私は我々の教師が仏陀について話すのを聞いた。それは道理に合っていた。それは私が自分の人生で体験してきたことに適合した。それはキリスト教の聖句にほとんど侮辱されてきた私の理性に訴えかけた。私は静けさを、私の内的世界に安心する感覚を見つけた。それは外部のものよりも扱うことがとても簡単だった。外部のものは逃避だったのだ。

 だが私は永遠に坐ってぼんやりしている(スペースアウト)ことはできなかった。この平和な山荘を去って、再びインドを旅する苦難に見舞われるべき時が来た。私の静けさは約24時間長持ちした。それは私のものではなかった---私はそれを山から借りていたのだった。私は凄まじい傷つきやすさと、普通の生の狂った忙しなさにしばしば耐えられなくなるような開放性とともに残され、それで私は自分がどこにいようと構わず坐らなければならなくなり、目を閉じて、再びその内的空間に逃避した。私は便利で非常に素晴らしいこつを学んだ。だが同時にそのお馴染みの満たされない感覚があった。私は尼僧でいたくなかった。私は目を閉じて自分の臀部に坐ることで残りの人生を費やしたくなかった。私が体験したものに関しては、つまらなくて非常に無味乾燥な何かがあった。日常生活とは関係のない何か死んだ「宗教的な」質があった。


 約3ヶ月後、インドの村を通して不便な思いをすることによって肉体的にすり減らされ、精神的かつ霊的には、ただ平和と静けさだけを望む存在にとっては生きた騒々しい世界を扱うことの耐え難さに消耗して、私はプネーに到着した。私は別の旅行者たちからこの和尚(バグワン・シュリ・ラジニーシ)について聞いていた。私は自分自身のためにそれについての全てを見たかった。

 初めのうちは、私は感銘を受けなかった。それは全てあまりにも西洋的で、あまりにも迅速で、あまりにも不謹慎で、あまりにも生きていた。人々は踊り、歌い、音楽を作り、愛し合っていた。私は霊的なものがこのようにあり得ることをまだ信じたくなかった。二日後、私は肝炎でベッドの中にいた。それは私が最初のダルシャンを持ち、和尚と向かい合って坐る一ヶ月前のことだった。彼は私にヴィパッサナ瞑想について語った。それがどれほど非常に素晴らしいものだったのかを、だがそれは仏陀が2500年前に生きた人々の、異なる時代の、異なるマインドの人々のために考案したものであることを。彼は、同じことが西洋人のマインドによって為され得る前に、普通は一定の内部の浄化が起こらなければならないことを説明した。


 私は彼が正しいのがわかった。彼は私がどこにいるのか、私に何が起こっているのか、私に何が必要なのかを見ることができるのが私にはわかった。その夜、私はサニヤスを取った---新しい名前、マラ、オレンジ色の服---全て新しい旅(トリップ)を。

 多くの事が起こるだろう、と彼は言った。そしてそれらは起こった。驚くべき強烈さとともに驚くべき速度で。だが何かようやく見当がついたのは、この仏陀の講話シリーズまでの他の8ヶ月間ではなかった。私はこの旅(トリップ)が最後のものであることを---探求は終わったことを実感した。私は自分がどこへ行っていたのか知らなかった。ただこの旅(トリップ)が私をそこへ連れて行くだろうということだけだった。私は内的空間を見つけた、借りられた空間ではなく、私自身のものである空間を、いつも自分をあらゆるところに連れて行くために。

 私が和尚に耳を傾けた時、私は彼が私に話していたのがわかった。そこには私たちに関して数百人もの存在があったが、彼は私に直接話していて、私の無言の質問全てに答えていて、私が理解できた言語で物事を説明していた。彼は仏陀について話してはいなかった---彼が仏陀だった。死んだ宗教ではなく、分かち合うために、その一部であるために存在した生きた理解だった。

 この魔法を言葉に注入することは困難だが、もしあなたにそのための準備ができているなら、それはここに、これらのページの中にある。これは頭で学ぶための仏陀についての本ではなく、生きたブッダが語っている本であり、別の時代の、別のタイプのマインドのためでなく、この時代の、この20世紀のマインドのための本だ。

 もしあなたが単に無味乾燥な仏教の精神性、「修行」を期待しているなら、和尚の有名なジョークの一つに先立つお決まりの「私は聞いたことがある」の箇所に来る時、あなたはショックを受けるか、あるいは少なくとも驚かされるだろう。

 「ある日、象がジャングルを歩いていた。彼は最高に体調が良く、全世界に挑戦する準備ができていると感じていた。彼が一人で歩いていた時、ライオンに出会った。彼は胸を張り、大きなラッパのような音を出して言った。『なぜお前は俺と同じくらい大きくないのだ?』
 『知らないよ』ライオンは息を呑んで、離れて歩いた。
 次に象はハイエナに会った。彼は胸を膨らませ、そして尋ねた。『なぜお前は俺と同じくらい大きくないのだ?』
 『知らないよ』と言ってハイエナは同じ様に離れて歩いた。

 それから象は鼻水を垂らしてピンク色の目をした哀れな小さなネズミに会った。
 『なぜお前は俺と同じくらい大きくないのだ?』と彼は喚いた。
 ネズミは彼を見上げて言った。『僕は最近、大変な病気だったんだ。』」

 これが仏陀とどんな関係があるのだろう?私はそれをあなたに言うことはできないが、和尚は言うことができる。彼の話は今日主題となっているもので生きている。それは現在私たちが生きている世界、私たちが直面している問題だ。その言語は神秘的な信仰のものではなく、実際上のもの、スピリチュアリティの技術的な方法のものだ。

 ある人々は和尚がイエス、老子、あるいはおそらくスーフィズムについて語る時、彼の言葉に最も調子が合うと感じる。私にとってそれは仏陀だ。

 これらの講話の始まりに和尚は言った。「どんな信仰も仏陀と旅をするためには必要ない。あなたはありうる全ての懐疑主義と共に来ることができる。まず彼はあなたのマインドを説得し、そしていったんあなたのマインドが納得して彼と旅を始めるなら、やがてあなたは、彼にはマインドを超えたメッセージが、どんな理性にも制限され得ないメッセージがあるのを感じ始める。」

 それは私が理解することができ、受け入れることができたアプローチだった。それは私自身にとって体験すべき招待だった。そしてこの体験を通して私は、仏陀とは何だったのか、について何かを感じた。私は仏陀と恋に落ち、そして和尚と恋に落ちた。その時以来、ゆっくりと、必然的に、私は生それ自体と恋に落ちたように見える。私は宗教とは目を閉じて自分の臀部に坐ることではないことを発見した。それは生きていて、祝い、楽しみ、生きることだ。おそらく「超越の訓練」は、あなたをこの魔法の世界に向けさせる鍵だ。

                             マ・プレム・マングラ



  


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