私はどんな運動の一部でもない。
 私がしていることは永遠の何かだ。
 それは最初の人間が地上に現れてから続いてきて、それは最後の人間まで続くだろう。それは運動ではない。それはまさに進化の核心だ・・・
 私は人間の永遠の進化の一部だ。
 真理の探究は新しくも古くもない。あなた自身の存在の探求は時間とは何の関係もない。それは非時間的だ。

 私はいなくなるかもしれないが、私がしていることは継続する。他の誰かがそれをするだろう。私がここにいなかったら他の誰かがそれをしていた。そこでは誰も開祖ではないし、そこでは誰も指導者ではない。それは多くの光明を得た人々が現れ、助け、そして消えていったほどの巨大な現象だ。
しかし彼らの助けは人類にいくらかの高みをもたらし、人類を少しは良く、いくらかより人間的にさせてきた。彼らは世界を、彼らがそれを見つけた時よりもう少し美しく残してきた。

 世界をより良いものに残すことは大きな満足になる。更にそれ以上のものがとても多く求められている。世界はあまりにも大きく、たった一人の個としての人間はとても小さい。もし彼が、何百万年もの間進化によって作られてきた絵画に、ほんの少しの一筆でも残せるなら、それで十分だ。ほんの少しの一筆で・・・もう少し完成し、もう少し明瞭になる。
 私はどんな流行の一部でもなく、どんな運動の一部でもない。私は永遠に属している。そして私はあなたも、一時的な段階にではなく永遠に属してもらいたい、と思っている。

                              Socrates Poisoned Again After 25 Centuries



 Q: あなたの生きているうちに、あなたの存在が人類によって認められる、あるいは受け容れられさえする何らかの可能性があると思いますか?
 和尚である現象を捕えるという、不可能なことと奮闘するであろうかわいそうな歴史家たちのために、将来の歴史的背景において、あなたの現存とあなたの教えの影響力に関して何かを言っていただけますでしょうか?
 また、あなたはどのように記憶されたいのでしょうか?

 A: 私は単純に許されたいし、忘れられたい。私を憶えておく必要はない。必要なことはあなた自身を憶えておくことだ!人々はゴータマ・ブッダ、イエス・キリスト、孔子、クリシュナを憶えている。それは役に立たない。だから私が望むことは、完全に私を忘れてほしい、そして私を許しもしてほしいということだ。なぜなら私を忘れることは難しいだろうからだ。だから私は、私があなた方に迷惑をかけたため、私を許すように願っているのだ。
 あなた自身を憶えていなさい。
 そして歴史家や、ありとあらゆる神経症の人々については心配しなくていい。彼らは彼らのことをするだろう。それは全く私たちの知ったことではない。

                                       炎の伝承 2巻 29章 - The Transmission Of The Lamp



 私はどんな宗教もつくっていない。それはただ宗教的であること、拡散する類の宗教的であることだけであり、あまり実体的ではない。あなたはそれから信条を作ることはできない。あなたはそれから教会を作ることはできない。不可能だ!私はたった一冊の聖書もコーランもギーターも残していないので、あなたはそれから教会を作ることができない。私が世界から去る時、私は少なくとも1000冊の本を残すだろう。そして互いにとても矛盾しているので、それらから何らかの教義を作り出そうとする人は誰でも気が狂うだろう。
 私の考えから何らかの教義を作ることは不可能だが、それらを通してあなたは自分を変えることができる。

                               Tao: The Golden Gate



 私はあなたが私から教義を作ることが決してできないように、絶えず矛盾してきた。もしやってみるなら、あなたはまったく気が狂うだろう。私は学者のために本当にとんでもない何かを残している。彼らはそれからどんな意味も作ることができない。彼らは気が狂うだろう。そして彼らはそれに値する。彼らは気が狂うべきだ。だが誰も私から正説をつくることはできない。それは不可能だ・・・。
 私の言葉からあなたは火傷することがあり得るが、あなたはどんな種類の神学も独断も見つけることができない。あなたは説教するための教義ではなく生きるための方法を見つけることができる。
 あなたは吸収すべき反逆的な質を見つけることができるが、あなたは組織するべき革命的なテーマを見つけることはできない。

 私の言葉は燃えているだけではない。私は火薬をあちこちに置いてもいる。それは何世紀もの間爆発し続けるだろう。私は必要になるより多くのものを置いている。私はどんなチャンスも決して受け取らない。ほとんどそれぞれの文は、私の周りで宗教を組織化したい誰かに対して問題を引き起こすことになる。
そうだ、あなたはゆったりしたコミュニティ、コミューンを持つことができる。ゆったりという言葉を覚えておきなさい。自分自身の道を生きるために、自分自身の方法で私を解釈するために、自分が見つけたいものは何でも見つけるために、誰でも自立していて、誰でも自由でいる。彼は生きるために自分が望む方法を見つけることができ、誰でも彼なりにそうすることができる。

 誰かに対して何が私の宗教かを決める必要はない。私はそれを決まった答えのないままにしている。あなたは自分自身のために定義を導き出すことはできるが、それはあなた自身のためだけだ。そしてそちらでもあなたは絶えず変わらなければならない。あなたが私をますます理解するにつれて、あなたはそれを変えなければならないだろう。あなたは自分の手でそれを死んだ物のように保持し続けることはできない。あなたはそれを変えなければならない。するとそれは同時にあなたを変え続けるだろう。

                                From Personality To Individuality



 だからサニヤシンにとって最も重大なワークはメッセージを純粋に保つこと、あなたによってまたは他の人たちによって汚染されないままに保つこと、そして待つことだ。未来はより受容的になり、より歓迎するにちがいない。私たちはここにいないかもしれないが、私たちは来るべき世紀のためになんとか意識を変えることができる。そして私の関心はこの人類だけではない。私の関心は人類それ自体にある。
 メッセージを純粋に、24カラットの黄金のままに保ちなさい。
 そしてたとえあなたが寺院を建てている時に誰も来なくて、それが悲しくても、すぐにあなたがそのために寺院を建てたそれらの人々は来るだろう。そして人々が来始める時、あなたはここにいないだろう。だが人は一つのことを理解しなければならない。私たちは意識という流れる川の一部であることを。
 あなたはこの姿でここにはいないかもしれない、あなたは別の姿でここにいるかもしれない。だが私はより受け入れられるべきだ、より尊敬されるべきだ、一般大衆とより一致するべきだというような質問を決してしないということを心に留めておきなさい。私はそうあることができない。そしてそれは私の側の頑固さではない。それは単に真実は妥協できないということだ。それは決して妥協しなかった。それは最大の罪だろう。

                                Serons In Stones



 たとえ私が身体を去っても、私は私のサニヤシンから去るつもりはないことを---。私はたった今私がいるのと同じくらい利用可能だ。しかし覚えておくべき唯一のことは-----あなたは私にとって利用可能だろうか?
 私はあなたにとって利用可能だ。そして私は永遠に利用可能なままだろう。もしあなたが私にとって利用可能なら恐れる必要はない。それなら絆は存在する。
 そして私のサニヤシンと私は個人的に繋がっている。それはあなたが組織に属するという問題ではない。それはまったく組織ではない。それは私的な関係だ。それは恋愛だ。
 あなたが私に対して開いているなら、たとえこの身体が消えても、それは何の違いにもならない。私はあなたにとって利用可能だろう。

                          超越の道 1巻 6章 - The Discipline Of Transcendence



 私は普段は予言をしないが、これについて私は全く予言的だ。次の100年はますます不合理に、ますます神秘的であろうとしている。
 2番目の事、100年後、人々はなぜ私が誤解されたのかを完全に理解することができるだろう。なぜなら私は神秘的なものの、不合理なものの始まりだからだ。
私は過去と連続していない。
 過去は私を理解できない。未来だけが理解するだろう。
 過去は私を非難できるだけだ。それは私を理解できない、それは私に答えられない、それは私と議論できない。それは私を非難できるだけだ。未来だけが・・・・人だけが神秘的なものを、無意味だがそれでも意義深いものをますます利用できるようになる時・・・。
 100年後に彼らは理解するだろう。なぜなら人が生の神秘的な面に気づくようになればなるほど、彼は政治的でなくなるからだ。彼はよりヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒ではなくなる。より少数派が狂信者になるという可能性がある。神秘的なものに調子を合わせる人は謙虚で、あらゆる人の独自性を愛し、世話をして受け入れる。彼はそれぞれの個人の自由に喜んでいる。なぜなら自由と共にのみこの人間性の庭は豊かな場所になるからだ。
 それぞれの個人は彼自身の歌を持つべきだ。
 だがまさに今、すべてを決めるのは群衆、群集だ。そして私を非難しているのはその群集だ。なぜなら私は個人の権利を主張しているからだ。そして私だけが個人の権利を主張している。

                                 The Osho Upanishad









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