ニルヴァーナ

 ニルヴァーナとは、
まず、人は死が全くないことを完全に実感してきた、という意味だ。
第二に、それは人が、私たちが生と呼ぶものの中では、何も達成されないことを知るようにもなってきた、という意味だ。
ニルヴァーナとは、私たちが死として理解するものは全く死ではない、
そして私たちが生によって意味するものは本当に生ではない、という現実(リアリティ)に気づくことを意味する。・・・

 ・・・もしあなたが死のようなものはないことをただ知っているだけなら、あなたは新しい誕生を獲得し続ける。
生は、ある意味で、進み続ける。その場合あなたは真実を半分だけ知ることになる。
再び生きるための、別の身体を持つための、新しい誕生を得るための欲望は残る。
あなたが真実の別の半分を知るようになる日、あなたがその全体性において真実を知るようになる日、
---生は生ではないこと、死は死ではないことを知るようになる日---、
その日あなたは戻らない地点に達したのだ。
その時、戻るという問題はない。

 ・・・・人が死ぬやいなや、彼の霊は落ちつかなくなり、すぐに別の身体を求めてさまよい始める
----なぜならそれは常に肉体を持っている生に同一化してきたからだ。

 ・・・死につつある人の最後の思考、最後の願い、最後の欲望は、死後彼の最初の欲望になる。
彼はすぐに旅に出発するだろう。もし彼が、自分の身体が破壊されつつあったことを
----自分が死につつあること、自分の身体を失っていることを---
死の瞬間に感じたなら、その時彼の霊は即時の誕生への通路を探すために、必死になって至る所を走りまわる。
だから死ぬ瞬間のあなたの最後の欲望が何であれ----まさに最後の欲望だ、覚えておきなさい----
それはあなたの全ての生の本質になる。・・・

 ・・・あなたが死ぬ瞬間の最後の思考は、あなたの70年か80年の全人生の真髄だ。
同じものが次の生へのあなたの潜在性になる。それは次の誕生へと持ち運ぶべきあなたの資産だ。
あなたはそれをカルマと呼ぶかもしれない、あなたはそれを欲望と、あるいは他の何であれあなたが望むように呼ぶかもしれない。
あなたはそれをサンスカーラ、条件付けと呼ぶかもしれない。
それはどんな違いも作らないだろう。
むしろ、あなたはそれを未来に適用できるあなたの生の内蔵プログラムと呼ぶべきだ。

 ・・・だからニルヴァーナとは、
死は本当に死ではない、生であるものも生ではないということを人は知るようになったという意味だ。
ひとたび彼が両方を実感するようになるなら、そこにはもはやどんな内蔵プログラムも残されていない。
彼はプログラムを手放す。彼は本質的なものと本質的でないものの両方を手放す。
今や彼はすべて自分自身で行く準備ができている、鳥の孤独な飛行のように----。
彼はすべて一人で行く、背後にすべてを残して---。彼は寺院はもちろん宝も背後に残す。
彼は他の人たちが彼に借りている負債はもちろん、自分が他の人たちに借りている負債も自分自身にはっきりさせる。
彼は悪行はもちろん善行も控える。
実際、彼はすべてを控える。

               
                        〜死ぬこと 生きること  3章 〜


スピリチュアルTOP 
OSHO TOP
秘教的講話

inserted by FC2 system