死の過程 (2)

 通常は人が死ぬ時、死ぬのはただ彼の肉体だけだ。
彼と彼のマインドは身体と一緒には死なない。
通常、死につつある人のマインドは彼とともに行く。そして死後の少しの間、彼は自分の前世の全ての記憶を保持する。
それは私たちの夢で起こるようなものだ。
眠りから目覚めた後、あなたは自分の夢を少しの間覚えている。ゆっくりと夢の記憶は薄れ始め、そして正午にはそれは完全に消えうせる。
そして夕方にはそれらについて一言すら言うことはできない。

 たとえあなたが眠りの中で、あなたの無意識状態で夢を見ても、
それでも覚醒時には、あなたは夢の、特に最後の夢の後半の少しの断片をはっきりと思い起こすことができる。
それが起こるのは、眠りの後半の部分では、あなたは目覚め始め、かつ半分だけ眠っているからだ。
あなたは、半分の眠りと半分の目覚めの状態に訪れた夢を完全に、あるいは部分的に覚えていられる。
だがこの記憶でさえ長く続かない。時間が過ぎればそれは消える。

 同じように人の無身体の魂は、その前世を、その友人たちや親族たちを、彼の死後少しの間覚えている。
そしてこの記憶はどちらかといえば苦しいものだ。
なぜなら彼はもはや彼らと関われないからだ。

 私たちが少しのことをするのは、この理由のためだ。
それは、私たちの近くにいる誰かが死を迎えた後まもなく、
彼が自分の過去の親密な関係と愛着の記憶から解放されるようにすることだ。
今、それらを運ぶことは良くない、なぜならそれらは非常に苦しいものだからだ。

 ヒンドゥー教徒たちは、彼らの死後すぐに、彼らが関わってきた死体を火葬にする。
もしそれが回避されるならば、彼らは手間取らせないようにする。
そしてそれは意義深い。火葬は彼らの身体の死への自己同化と愛着の全てを破壊する。
なぜなら彼らは自分の死体という媒体を通して、自分の過去を覚えているからだ。
死体は、解放された魂と彼の過去生の間の橋として貢献する。だから火葬は亡霊のためのものだ。

 突然、あるいは事故で誰かが死ぬ時、彼は自分が死んだことがわからない。
しばらく彼は呆然と感じて、自分が自分の身体から離れているのを見て当惑する。
たぶん、何かがどこか間違ってしまったのだ、と。
それが起こるのは、身体の内側では、魂が身体から去ったこと以外は本当に何も死んでいないからだ。
魂たちの少数ではなく大多数が、彼の死後まもなく全く混乱と混同を感じる。

 なぜ自分の家族みんなが涙を流して泣いているのか、なぜあたり一面にとても多くの悲嘆があるのか、
誰も理解できない。
なぜなら彼は、自分の身体が自分から少し離れていること以外は、以前と同じくらい活き活きと感じているからだ。
それは彼に永続性の感覚を与える身体だ。なぜならそれは彼の過去の思い出の全ての媒体だからだ。
ただ瞑想的な人々だけ、深い瞑想を体験した人々だけが引き寄せられ、そして当惑させられずにすませられる。
なぜなら彼らは自分が自分の身体から離れているのを知っているからだ。

 火葬の、あるいは死体の埋葬の後まもなく、魂はその過去の記憶と思い出からしだいに自由になる。
それはまるで私たちが自分の夢をしだいに忘れるようなものだ。
それは、自分たちの死に対して異なった葬式を持っている、異なった種類の魂によって数えられる時間の計算に基づく。

 何人かの人々は、特に子供たちは、彼らの過去の思い出を忘れるのに、ただ3日だけかかる。
他のほとんどの人々は13日かかる。だから東洋のある地域は13日も長く葬式を行う。
そこには少数の魂が---非常に強力な記憶を持つ魂がいる。この目的のために1年間を要する魂が・・・。
彼らが理由で、私たちの葬式のいくつかは、まる一年にわたる。
3日間から13日間は一般的な規則だ。
そして非常に少数の魂は、まる一年も身体なしで生き残る。
彼らのほとんどは短期間の内に新しい身体に生まれ変わる。

 覚醒をもって死ぬ人、自分が死ぬ時に十分に意識したまま、そして気づいたままで死ぬ人は、本当は死なない。
彼は自分が不死であるのを知る。彼は死にかけてはいない。
彼は、まるで私たちが古い服を脱ぎ捨てるように、自分の古い身体をあとに残す。
そしてそのような深い覚醒の状態に達する人は稀だ。
彼は全ての愛着と心理的な思い出から自由だ。彼には友人も敵もいない。彼は全ての熱望と欲望から自由だ。
彼はほかに類がない。覚醒して死ぬと、彼は覚醒して生まれる。彼の過去による負担がない。

 ちょうど人が死後しばらくの間、自分の過去を覚えているように、彼は自分の新しい誕生の後もまたそのようにある。
新しく生まれた子供は、霊としての彼の前世の記憶をしばらくの間持っている。
だがやがてこの記憶は消えて行き、そして彼が話すのを学ぶ頃には、それは完全に失われる。
子供が彼の過去生を、彼がものを言うことが出来て、そして他人とコミュニケイトできる後でさえ覚えているのは稀なことだ。
彼は奇形児と呼ばれる。
彼は、その過去生では、珍しい記憶の男として存在していたに違いない。
 
                                     〜Krishna The Man and His Philosophy 15章 〜




スピリチュアルTOP 
OSHO TOP
秘教的講話

inserted by FC2 system