★死、誕生、再生について〜 (1)

 仏陀のような人が生まれる時、彼は完全に意識して生まれる。仏陀のような人が子宮の中にいる時、彼は気づいている。

 これがどのように起こるのかを理解しなければならない。
人が完全な覚醒の中で死ぬ時、彼の次の誕生は完全に気づいている。
もしあなたがこの生で十分に気づいて死ぬことができるなら、あなたが死ぬ時に無意識にならないなら、
あなたが完全に意識したままで、死の全ての段階を見て、全ての足音を聞いて、
身体が死んでいるのに完全に気づいたままでいるなら、マインドは消えていても完全に気づいたままでいるなら、
突然あなたは自分が身体にはいなくて意識が身体から去ったのがわかるだろう。
あなたは死体がそこに横たわっているのを見ることができ、そしてあなたは身体の周りを浮遊している。

 もしあなたが死んでいる間に気づくことができるなら、これは誕生の一部、一つの様相だ。
もしこの一つの様相に気づくなら、あなたは自分が受胎する時に気づくだろう。
あなたは愛を交わすカップルの周りを浮遊して、あなたは完全に気づいている。あなたは完全に気づいて子宮に入る。
子供は妊娠され、その小さな種の、最初の種の中で、あなたは起こっていることに完全に気づいている。
母親の胎内での9ヶ月間、あなたは気づいている。
気づくだけでなく、仏陀のような子供が母親の胎内にいる時は、母親の質が変化する。彼女はより気づくようになる。
光が内側で燃える。どうしたら家は明かりのないままでいられるだろう?
母親はすぐに意識の変化を感じる。

 仏陀の母親になることは稀な機会だ。そのまさに現象が母親を変容させる。
ちょうど反対のことが普通の子供に当てはまる。彼は母親の身体、心(マインド)、意識によって限定される---
それはひとつの監禁だ。
ある覚者(ブッダ)が生まれる時、ある覚者(ブッダ)の母親が妊娠した時、ちょうど反対のことが起こる。
母親は覚者(ブッダ)のより大きな意識の一部になる。
覚者(ブッダ)はオーラのように彼女を取り囲んでいる。彼女は覚者(ブッダ)についての夢を見る。・・・

 ある覚者(ブッダ)が生まれる時、何千回も同じ夢が何度も繰り返されるため、母親は特定の夢の中を動く。
それは母親の内側のブッダ意識が彼女の心(マインド)に特定の現象を引き起こして、
彼女が特定の次元で夢を見始めることを意味する。
例えば仏教徒は、仏陀が母親の中にいる時母親は白い象の夢を見た、と言う。
それは象徴、非常に稀な何かの象徴だ。
---なぜなら白い象はインドで最も希少なものの一つであり、見つけることはほとんど不可能だからだ。
稀な存在があり、白い象の象徴は単なる一つの兆候だ。そして夢の系列が後に続く。


 仏陀が誕生は苦しみだと言う時、それは内部の者としての見解だ。
マハーヴィーラは、誕生は苦しみだ、それは痛みだ、それは外傷(トラウマ)だ、と言う。
マハーヴィーラと仏陀は両方とも、生まれることと死ぬこと、これらは2つの最大の苦しみだと言う。・・・

 母親の胎内の9ヶ月間は最も快適だ。もちろん、いくつかのエピソードは起こるが、それらは例外だ。
そうでなければ、これらの9カ月はどんなニュースもなしにある。なぜならニュースは常に悪いニュースだからだ。
ほとんど何も起こらない。人はただ単に素晴らしいエクスタシーの中に浮かぶ。
しかし誕生は外傷(トラウマ)だ。それは非常に痛む。
それはまるで地球から木を引っ張るようなものだ---木はどのように感じるだろう?

 今や私たちには木が根こそぎにされた時にどう感じるかを判断するための手段がある。
子供は母親から出てくる時に同じことを感じる。母親は地球であり、子供はそれまで母親に根を持っていた。
今、彼は根こそぎにされて投げ出される。その痛みは非常に大きい。
あなたが私を信頼できるなら、私はその痛みは死よりも大きいと言おう。
死は二番目で、誕生が第一番だ。そしてそれがそうでなければならないのは誕生が死を可能にさせているからだ。
実際は、誕生で始まる苦しみは死で終わる。誕生は苦しみの始まりで、死はその終わりだ。
誕生はより痛みに満ちていなければならない---それはそうある!
そして完全な休息の9ヶ月後に、くつろぎ、心配もなく、することの何もないこれらの9ヶ月後に投げ出されるのは大変な突然の衝撃であり、神経系統にとってそのような衝撃は二度とない、決してない!
他のすべての衝撃は大したことではない。・・・

 ・・・これは外側の研究結果によって否定され得る。
私にとってそれが見当違いなのは、私の言っていることは何であろうと私自身の誕生について言っているからだ。
そしてもしあなたが本当に知りたいのなら、あなた自身がますます気づけるように準備しなさい。
あなたが今度死ぬ時に完全な覚醒の中で死ぬために。その時あなたは十分な覚醒を持って自動的に生まれるだろう。
もしあなたが無意識に死ぬなら、あなたは無意識に生まれる。
死において起こることは何であれ誕生において起こる。
それは死とはこちら側での死に他ならないからだ---あちら側ではそれは誕生だ。それは同じ扉だ。
もしあなたが意識的に扉に入るなら、あなたは意識的に扉の外に出るだろう。
死は扉のこちら側で、誕生は扉のあちら側だ。

                                   〜Yoga: The Alpha and the Omega, Vol.4 - 8章: 質問4 〜
                       





 

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