ジャイナ教についての講話

  私はほぼ全面的な知識を持って生まれて来たと言ってもいい。私がほぼと言うのは、いくつかの段階が意図的に残されていたからに過ぎない。そしてそれは意図的になされ得る。
  これに関しても、ジャイナ教徒の考え方は非常に科学的だ。彼らは知識を14の段階に分ける。13の段階はこの世のものであり、14番目の段階は彼方のものだ。これらのグナスタナ---初めの13段階---の中のいくつかは省くことができる。それは自由に選べる。必ずしもそれを全部通り抜ける必要はない。それらの層をひとつ残らず経験することもできる。教師は選択できる段階のすべてに精通していなければならない。
  この自己認識の13の段階の中には、選択課目が2、3ある。光明を得るためには必ずしも知る必要のない自己認識の領域が存在する。人はまっしぐらにモクシャに進むことができる。だが教師になる者は、それらの領域にも精通しておかなければならない。  
  ある段階まで進むと、残りの段階を達成するのにかかる時間を引き延ばすことができる。それらの段階は一度の生涯で達成することもできるし、二度ないし三度転生することで達成することもできる。その時期を遅らせることで、すばらしい効用を得ることができる。
                                                  ○「神秘の次元」第2章 P142


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 「ジャイナ」という言葉にはとても美しい意味がある。ちょうど「ブッダ」という言葉のように。ブッダとは目覚めた者という意味だ。ジャイナはジンナという語源から来ている。ジンナとは征服した者という意味だ。存在の究極の頂点を征服する運動は、最初のティールタンカーラ、リシャブデヴァによって始まった。おそらく彼は人間の全歴史上で最古の神秘家だ。そしてジャイナ教は最も古い宗教だ。信者の数がとても少ないため世界ではあまりよく知られていないが、それでもその貢献は計り知れない。最初のティールタンカーラであり最初のジャイナ教のマスターであるリシャブデヴァは、存在する最古の本、ヒンドゥー教の聖なる経典、リグヴェーダの中で大いなる敬意をもって言及されている。リグヴェーダは学者たちによれば少なくとも5,000年は古いものと考えられている。

 ヒンドゥー教学者によると、リグヴェーダは9万年古いものだ。そしてそれを証明した男、ロクマーニャ・ティラク---今世紀で最も知性的なヒンドゥー教学者のひとり---は、誰も彼に反対することができなかったほどの根拠でそれを証明した。なぜなら彼は論理的ではなく天文学的な根拠でそれを証明したからだ。
 リグヴェーダの中には、星の世界で特定の出来事の、その時以来起こってこなかった特定の出会いの説明がある。その記述は本当に明白だ。そしてそれは、ただそれを記述していた人々がそれを見ていた場合にだけ可能なものだった。そして実際に天文学は今、ロクマーニャ・ティラクに同意している---それは9万年前に起こったこと、そしてそれがリグヴェーダに記述されている方法はまったく正しいということ---その方法は天文学的な物事を記述しなければならない方法だった、ということに。

 リグヴェーダは大いなる敬意をもってリシャブデヴァの名前に言及している。 私が「大いなる敬意」という言葉を強調しているのは、リシャブデヴァがヒンドゥー教徒ではなかったからだ。 彼はヒンドゥー教徒として生まれたが、ヒンドゥー教の哲学、ヒンドゥー教の教義と一致せずに始めていた。 そして彼は新しい宗教を創始していた。彼はジャイナ教の源泉だった。

 9万年間でヒンドゥー教とジャイナ教は非常に遠く離れて行った。24番目のティールタンカーラ、マハーヴィーラ---最後のティールタンカーラ---は、どんなヒンドゥー教の経典にも言及されないほど遠く離れて行った。・・・ただ彼を無視するために。彼について言及する価値があるとは考えられなかった。

 しかしリシャブデヴァについては、彼らはそれほどの敬意をもって言及してきた。それは非常に心理的な何かを示している。 誰であれ、どんな同時代の者に対しても敬意を示さないものだ。特にあなたの既得権、あなたの力の根を切断している者、リグヴェーダを書いているバラモン教徒たちに反対する者に対しては。もし彼らがリシャブデヴァを非難していたなら、それは完全に正しかっただろう。だが彼らはとても敬意に満ちていた。
 私にとってそれはただひとつのことを証明する。それは、リシャブデヴァはリグヴェーダの書かれる少し前---5世紀か6世紀前に生きていたに違いない、ということだ。その時まで彼は既によく知られていて、崇拝されていた。だからリグヴェーダでさえ敬意をもって彼を記述するのだ。人々は死者に反対して話すことはないが、同時代の者を尊敬することは非常に知的で無垢なマインドを必要とする。

 彼は最初のジンナだ。ジンナとは征服者という意味であり、そしてマハーヴィーラは24番目のジンナだ。ジンナたちに従う人はジャイナと呼ばれる。彼らは単純な追従者たちだ。
 「ジンナ」という言葉は「ブッダ」という言葉と同等のものだ。それらは交換できる。なぜなら多くの場所で仏教徒の経典の中でブッダはジンナと呼ばれているからだ。そして多くのジャイナ教の経典の中で、マハーヴィーラはブッダと呼ばれている。これらの言葉は誰の独占権でもない。それらは異なった面を通してさまざまな方法で記述できる状態をただ単に表わしている。 

 ジンナとは自分の眠りを制服した人だ。ジャイナ教が仏教と同じくらい有名にはならなかったのは、それが決して世界宗教にならなかったからだ。それはインドの非常に小さな宗派に留まった。
 そこには根本的な理由があった。第一に、その僧たちはジャイナ教徒ではないどんな人の食べ物も受け入れられなかったという単純な理由でインドから外には出られなかった。さて、あなたが別の国に行く前に、あなたは人々が、あなたが来ているという理由で、ジャイナ教徒に改宗することは期待できない。彼らは他のどんな人の食べ物も受け入れられなかった。ヒンドゥー教徒や仏教徒からのものでさえも---誰のもだめだ、ただジャイナ教徒だけ受け入れられた。だから彼らは小さなサークルの中で動く。彼らはそれから外へ出ることはできない。

 二番目に、彼らの最も正統的な系統の僧は裸で生きる。彼らはより寒い国に行くことはできない。彼らはより暖かい場所に留まらなければならない。彼らは非-ベジタリアン食物を食べることはできない。世界全体は非-ベジタリアンだ---ジャイナ教徒は完全な菜食主義者(ベジタリアン)だ。だからこれらの制約は国から出て行くことを彼らに許さなかった。そしてこの理由で、それは不運なことだ、彼らは偉大な哲学を、人間の理解に貢献するものを多く持っているが、それはひっそりと残った。それは決して世界に知られなかった。

 今日でさえ彼らの経典は翻訳されてはいない。誰が気にかけるだろう?---彼らはとても小さな少数派だ。大多数は大した役割を演じる。しかし真理は人数とは何の関係もない。
 非常に小さな少数派だったため、彼らはインドでなければ不可能だった多くのことをやっていた。例えば、彼らの共同体からは一人の乞食も見つからないだろう。彼らはみんな裕福だ。彼らは裕福でなければならなかった。でなければ生き残ることは難しかった。
 彼らは自分たちを滅ぼしたかった人々に囲まれた。彼らが自分たちの手に刀剣を取ることができなかったのは、彼らが非暴力を信仰していたからだ。生き残るための唯一の方法は、可能な限り多くの金を持つことだった。それが彼らの唯一の力だった。

 そして彼らは本当に裕福に、王でさえ彼らから金を借りなければならないほど裕福になった。誰も乞食ではなかった。誰も無教育ではなかった。そして彼らがとても小さな少数派であったため、ありとあらゆる哲学によって攻撃されたため、彼らは自分自身を守らなければならなかった。彼らは自分たちの知性を鋭くした。彼らは他の誰よりもよりよい議論を引き起こした。なぜなら他の人たちにとって議論することは贅沢なことだったが、ジャイナ教徒にとってそれは死活問題だったからだ。彼らは議論に勝たなければならなかった。そうでなければ彼らは終わりだった。だから彼らは全世界が利用できるようにならなければならない論理体系、偉大な哲学を発達させてきた。

 ジャイナ教は、菜食主義を意識を変容させるための基本的な必要性にしてきた最初の宗教だ。そして彼らは正しい。ただ食べるために殺すことはあなたの意識を重く、鈍感にさせる。そしてあなたには非常に敏感な意識が必要だ。---非常に明るく、非常に愛し、非常に慈悲深い意識が---。非-菜食主義者にとって慈悲深くあることは難しい。そして慈悲深くあることと愛することなしでは、あなたは自分自身の進歩を妨げるだろう。

 そしてその小さなグループ---ジャイナ教徒---の中には、多くの人々を助けることができる多くのダイヤモンドがある。それらは入手可能だが、それらはもはや生きていない言語で入手可能だ。それらはプラクリット語で書かれている。その言葉もまた理解する価値がある。サンスクリット語は最も古い言語であると考えられている。サンスクリット語が世界で最も古い言語であるということは学者の間で一致している。ただジャイナ教徒だけはそれに同意しない。彼らの言語はプラクリット語だ。そして私は彼らは正しいと感じている。

 全てのジャイナ教の経典はプラクリット語だ。それがとても美しい言語なのは、それが単純で、磨かれていないあらゆるものの匂いを持っているからだ。それはまさに鉱山からのダイヤモンドで、カットされてなく、磨かれていないが、それにはそれ自身の美しさ、野性的な何かがある。この全ての文献を---そしてそれは莫大だ---国際的な言語にもたらすことは国連の義務だ。すると人々は全く衝撃を受けるだろう。
                                                   ○「炎の伝承 2 」 第25章


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 ジャイナ教徒には24人のマスターがいる。もしジャイナ教の寺院に行くなら、---そして彼らは世界に最高の、最も美しく、最も簡素で、最も静穏な寺院を持っている。そして彼らは常に山を選んできた。だから彼らの寺院は高い山にある---そこであなたは24人のティールタンカーラの、白大理石または黒大理石の彫像を見つけるだろう。
 一つのことが、きっとあなたに一撃を加えるにちがいない。それは、彼らがみんな絶対的に似ているように見えることだ。そこには違いがない。寺院の僧長でさえ、誰が誰なのか、その違いを言うことはできない。そこで結局ジャイナ教徒は彫像の下に小さな印を付けることに決めた。例えば、マハーヴィーラの下には、彼の名前が「偉大な戦士」であるため、線が引いてある。それが彼の印だ。だから、それぞれの像には印がある。その印に従って、彼らは、それが誰の像であるか、を言うことができる。でなければ、それらは正確に似ている。

 さて、これは事実ではあり得ない。何千年もの間にわたって24人が正確に同じであることはできない。
 しかしそれは真理だ。なぜならこれらの24人は、同じ真理を体験し、同じ光を見、同じ至福を感じたからだ。彼らの体験が正確に同じだったことを表すため、大理石でそれを示すには、どうすればうまくすることができるだろうか? 大理石には独自の詩がある。そして彼らはそれを完全にうまく処理してきた。彼らの彫像は正確に同じに作られている。それは今や身体は問題ではない、身体の形は問題ではないことを示している。今重要なのは内的な体験だ。

                                                   ○「炎の伝承 2 」 第40章



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