私の信じがたい体験を話してみよう。それはまさに私に起こった。私は以前にそれを言ったことはない。
約17年か18年前(1969年当時より)、私は木の天辺に座って夜遅くまでよく瞑想した。
私はしばしば、もし地面に座って瞑想するなら、身体はその人に大きな影響を及ぼすと感じてきた。
身体は土で作られていて、もし人が地面に座って瞑想するなら、身体の力は非常に強く作用する。

 ヨーギが標高の高いところ---山、ヒマラヤ---へ移動するすべてのこの話は理由がないわけではない。それは非常に科学的だ。身体と地上の間の距離が大きければ大きいほど、地上の成分の身体への引き寄せは少なくなる。
だから私は毎晩木に座ってよく瞑想した。

ある夜...私はいつ自分が深い瞑想に没頭するようになったのか知らないし、どの時点で自分の身体が木から落ちたのか知らないが、それが起きた時、起こったことを見て私は唖然とした。.

 私はまだ木の上にいたが、身体は下に落ちていた。私がその時どう感じたかを言うのは困難だ。
私はまだ木に座っていて、身体は下にあった。
たった一本のシルバー・コードだけが私の身体の臍と私を繋げていた---非常に光沢のあるシルバー・コードだ。
次に何が起こるのかは私の理解を超えていた。どうすれば私は自分の身体に戻れるのだろう?

 私はこの状態がどれだけ長く続いたのか知らないが、それは並外れた体験だった。
初めて私は外側から自分の身体を見て、まさにその日から身体の上では存在することが止んだ。
その時から私は死に関しては終わっている。
なぜなら私はこの身体と異なる別の身体を見るようになったからだ-----私は微妙な身体を体験するようになった。
この体験がどれくらい長く持続したかを言うのは難しい。

 夜明けとともに、近くの村から頭上にミルクポットを運んでいる二人の女性が通り過ぎた。
彼女たちは木に近づくと、私の身体がそこに横たわっているのを見た。彼女たちは来て身体の隣に座った。
私は上からこのすべてを見ていた。
女性たちは私の身体が死んでいると受け取っているようだった。彼女たちは私の頭に手を置いた。
するとその瞬間、まるで引きつける強力な力によってであるかのように、私は体内に戻って来て、私の目は開いた。

 その時点で私は他のあることも体験した。
私は、女性は男性の身体に化学変化を引き起こすことができ、そして男性も女性の身体に同じことができる、と感じた。
あの女性の接触が、どのように私の身体への復帰の原因になったのか、私は不思議でもあった。

その後、私はこの種のより多くの体験をした。
それらはなぜインドのタントリカたち---サマーディと死に関して広範囲に実験した人々---が、彼ら自身を女性たちとも繋げてきたのかを説明した。

 サマーディの強烈な体験の間に、もし男性の発光体、彼の微細身が肉体から出てくるなら、
女性の助けなしで戻ることはできない。
同様に、女性の発光する微細身は、男性の支援なしに戻すことはできない。
男性と女性の身体が接触する時、電気的循環は完了し、外に出ていた意識は素早く身体に戻る。

 この出来事に続いて、私は6ヶ月でおよそ6回、一貫して同じ種類の体験をした。
そしてそれらの6ヶ月間で、私は自分の人生から少なくとも10年の寿命を失ったと感じた。
もし私が70歳まで生きるとしたら、今私は60歳までしか生きることができない。
私は6ヶ月でいくつかの奇妙な体験を経て---- 私の胸毛さえ白くなった。私は何が起こったのか理解できなかった。

 それでも、ふと私の心に思い浮かんだのは、この身体とその身体の間の接続は破断し、それは遮断され、その二つの間に存在していた調整、調和は壊れていた、ということだった。
                                
                   「死ぬこと 生きること」「And Now, ANd Here」 Vol.2 #1






 私自身の子供の頃の体験は・・・私の街の氾濫した川で --- 川が氾濫した時、それまでは誰も泳いで渡らなかった。
それは山間の川だった。
普段は、それは小さな川だったが、雨の多い時にはそれは少なくとも1マイル位ありそうだった。
水の流れは途方もないものだった。その中に立つことはできなかった。
そして水は深く、とにかく立っている方法はなかった。

 私はそれが好きだった。
私は雨の季節を待った。なぜならそれがいつも役に立ったからだ・・・自分は死にかけている、と感じる瞬間が来た。
なぜなら私は疲れて、対岸を見ることができなかったからだ。
そして波は高く、流れは強かった・・・対岸ははるか遠くにあったため、戻る方法はなかった。
たぶん私はその中ほどにいたのだろう。どちらの岸に行くのも同じことだった。
私は完全に疲れていると感じ、そして水は、私が「今、もはや生きる可能性はない。」とわかる時が来るほどの、たいへんな力で私を沈めようとするだろう。

そしてそれは、私が突然、水の上方にいる自分自身と、水の中にいる私の身体を見た瞬間だった。
それが初めて起こった時、それは非常にぎょっとする体験だった。
私は自分が死んでしまったに違いないと思った。私は、死ぬ時は魂が身体から出てゆく、と聞いていた。
「だから私は身体から出て、そして死んだのだ。」 
しかし私には、身体がそれでも対岸へ達しようとしていたのが見えた。
そこで私はその身体の後を追った。

 それは私が、身体と自分の本質的実存との結合に気づくようになった最初の時だった。
それはちょうど臍の下で --- 臍の下の2インチのところで、シルバー・コードのような、銀の紐のような何かによって繋がっていた。それは物質ではないが、それは銀のように光っていた。
私が対岸に到着したその度、私が対岸に到着したその瞬間、私の実存は身体の中に入った。
最初は怖かったが、その後それは大きな楽しみになった。

 私が両親に話した時、彼らは言った、「いつかお前はその川で死ぬだろう。これが十分な前兆(サイン)だ。川が氾濫している時は、そこに入るのを止めなさい。」
 しかし私は言った、「僕はそれをとても楽しんでいます・・・その自由さ、重力がないこと、そして自分自身の身体が完全に離れているのを見ることを---」

 それから私は大学へ移り、そこでそれは一度起こった。私はそれについて話したことがある。
ちょうど大学の構内の裏に、三本の木のある小さな丘があった。
私はよくこれらの木を愛していた。というのも大学の寄宿寮で静かに座ることは不可能だったからだ。
だから私はよく木に登りに行ったものだった。
中央の木は座るのに非常に心地よかった。枝がそのような伸び方をしていた。
そこで私は何時間も黙って座った。

 ある日、--- 私は何が起こったのかわからない ---
目を開けた時、私は自分の身体が大地に横たわっているのを見た。
それは川で何回も起こったのと同じ体験だった。だから恐れはなかった。

 しかし川では、身体が岸に達した時に私の実存が身体に入って行くことは自動的に起こったものだった。
私はどのように身体に入るべきか全くわからなかった。それはいつもひとりでに起こった。
だから私は動けなかった。私はわからなかった。
私を身体に繋げているコードは見えた。だがどうやって身体に入るか? どこから入るべきか? 
私は誰からもどんなテクニックも学んだことがなかった。
私はただ待った。やれることは何もなかった。

 寄宿舎の学生たちに売るミルクをよく持ってきていた女性が立ち寄って、彼女は横たわっている私の身体を見た。
彼女は困惑した。彼女は私が生きているのか死んでいるのかを見るために、ちょっと私の頭を触った。
そして彼女が私の頭に触れた瞬間、それがどうやって起こったのか、いまだにわからないような素速い力で、私は自分の身体に入った。

 しかしひとつのことが確かになった。
もし男性の実存が身体の外にあるなら、女性がその身体に触れることは、彼を身体に戻す助けになるだろう。
そして逆も同じだ。もし女性の身体が彼女の実存から離れているなら、男性が触れることが・・・、
そして特に第三の目がある額の上に触れるなら・・・。
それは彼女が、私が生きているか死んでいるかを見るために、何が起こったのかを見るために私の頭に触れたという、まさに偶然の出来事によるものだった。
私が木に座って、彼女がしていた全てを見ていたのは、彼女にはわからなかった。

私が目を開いた時、彼女はびっくりした。
 彼女は言った、「ここで何をしているのですか?」
 「僕はあなたが、ここで僕の頭に触れて何をしているのか、と尋ねるつもりでした。」
 「私は、たぶん事故か何かが起こったのでは、と思っていました。あなたはほとんど死んでいるようでしたよ。」
 「僕はほとんど死んでました。あなたが僕を助けてくれたことに感謝します。
あなたが触れたおかげで、僕は身体に入りました。」 

                        「炎の伝承 1」 「The Transmission of the Lamp」 #3    




OSHOの幽体離脱の話

秘教的講話

スピリチュアルTOP

OSHO TOP

inserted by FC2 system