2013年1月8日-筆写
The Sound of Running Water
第二のサトリ --- 輝く糸、きらきら光る銀色のコード
体験はその強烈さを求め、ひとつひとつの出来事のたびに、新しい展望と覚醒が少しずつ安定していった。次第にある焦点が姿を現わしてきたとはいえ、たったひとりで歩いていることの危険がなくなったわけではなかった。
私は夜になるとよく樹の上に坐り瞑想したものだ。私は地面に坐って瞑想すると、肉体が力を持ち優勢になることをたびたび感じた。おそらくそれは肉体が土でできているからだろう。山頂やヒマラヤの峰に行くヨーギたちの話は確かに無意味ではなく、明らかに科学的な原理に基づいている。肉体と地面の距離が大きければ大きいほど、物理的な力や肉体の圧力はますます弱まり、内的な力が勢いを増す。私がよく高い樹に登り、毎晩数時間瞑想に没頭したのはそのためだ。
ある夜、私はいつ肉体が樹から落ちたのか気づかないほど深い瞑想のなかに我を忘れていた。横目で見回すと、私の肉体は地面に横たわっていた----。この出来事に私は驚いた。私は樹の上に坐っているのに肉体は地面に横たわっている。そんなことがどうして起こるのか私にはさっぱりわからなかった。それは実に奇妙な体験だった。私の身体の臍から出た輝く糸、きらきら光る銀色のコードが樹の上にいる私に繋がっていた。次に何が起こるかを理解したり予知することは私の能力を超えていた。そして私はどうやって肉体に戻ればいいのか心配だった。そのトランス状態がどれくらい続いたかはわからない。だがその独特(ユニーク)な体験は以前の私が知らなかったものだ。
その日初めて私は自分の肉体を外から見た。そしてその日から、私の肉体のたんなる物理的存在は永遠に終わりを告げた。その日以来死もまた存在を止めた。なぜならその日私は肉体と霊(スピリット)は別のものであり、互いにまったく分離したものであることを体験したからだ。それは最も重要な瞬間、あらゆる人間の肉体の内にある霊を私が自覚した瞬間だった。
その体験がどれくらい続いたかを言うことは、実のところ非常にむずかしい。夜が明ける前、どこか隣の村からミルクの缶を運んできたふたりの女性がその道を通りかかり、そこに横たわっている私の肉体を見つけた。私は坐っている樹の頂きから私の肉体を見ている彼女たちを見ていた。彼女たちは肉体のそばに近寄りその傍らに坐った。彼女たちは手のひらで私の額に触れた。と、一瞬のうちに私は、いやおうのない吸引力に引き寄せられるかのように肉体のなかに戻り、眼を開いた。
その後私はまた別の体験をした。私は、女性は男性の肉体の内部に電気的変化を生じさせることができるし、同様に男性は女性の肉体の内部にそれを起こすことができるのを感じた。そこで私は、女性が私の額に触れたとたん即座に私が肉体に戻ったことについて熟考を重ねた。こうしたことすべてはどうやって、またなぜ起こったのか? この種の体験がさらに何度も私に起こるにつれて、私はインドでサマーディや死の真相を解明する実験を進めた霊的修行者たちがなぜ女性たちの協力を得たのか、その理由を理解した。深遠なサマーディのなかでは、霊的な自己、テジャス・シャリラは男性の肉体の外に出てしまう。女性の協力や援助がなければ肉体に戻れない。同様に、もしそれが女性の肉体から出てしまったら男性の援助なしでは戻れない。男女の肉体が触れ合うやいなや電流が流れ、電気的な円環が完結する。そしてまさにその瞬間外に出ていた意識、あるいは霊は戻ってくる。
その後私は6ヶ月間の6度この現象を体験した。この波瀾に富んだ6ヶ月の間、私は寿命が10年縮まったと感じた。つまり70年生きることになっているなら、今やこの体験のために60歳までしか生きることができないだろうと。この6ヶ月間の私の体験はそれほど途方もないものだった! 私の胸毛は白くなった。私はこうした出来事全体の意味を把握できなかった。そこで私は考えて、肉体と霊的実存のあいだに存在していた何らかの連結あるいは絆が断たれてしまったこと、これらの間に自然に存在していた調整装置が壊されてしまったことを悟った。
And Now, And Here 8章 ( 死ぬこと 生きること 1章 )
この頃までラジニーシは一度も病気にかかったことがなく、何でも食べることができた。彼は肉体に対する独自の直観的な理解に基づいて、幼い頃すでに薬草療法を行っていた。そしてその奇蹟的な治癒力によって村人の尊敬を集めていた。彼は自ら10年以上ニームの汁を飲み、他人にもそれを勧めていた。しかしこのときから彼の肉体は常に心配の種となった。彼の旅が始まる前の短い期間を除くと、肉体と霊との壊れやすい絆は破られてしまい、本来の調和が戻ることは二度となかった。
もしこれらふたつのもの---、眼に見える肉体と眼に見えない霊との狭間に裂け目があれば、生きることは不可能だ。私はまた、ラーマクリシュナ・パラマハンサの肉体が数え切れない病に冒されていたり、シュリ・ラマナ・マハリシが癌で死んだのは肉体的な原因によるのではなく、これらふたつの調整装置が壊れたからだということも実感した。聖者やヨーギはいつも元気で健康だと考えられるが、真実はまったくその逆だ。実際、ヨーギは早く死ぬ。そして生きている限り、彼らはほとんど病んでいる。調整がかき乱される結果、不調和が作り出されるからだ。