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2013年1月7日-筆写
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The Sound of Running Water

ザ・サウンド・オブ・ランニング・ウォーター

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17歳の頃

 彼は一面では早熟で、情熱的な社会主義や共産主義の唱道者であり、また他面では典型的な反逆青年だった。中心のどこかにはさまざまな瞑想、オカルトやヨガの呼吸コントロール、魔法や念力を通して答えを探し求める魂があった。彼は思考コントロールによって、コインをテーブルの向こうへ動かす名人だったと言われている---。
 彼はよく地方の図書館で他人に挑戦していた。彼は宗教的な修行の形式を軒並み公然と批判する積極的な無神論者であり、その率直な考えに従う者たちを大勢集めていた。

 私はある親戚のところで暮らしていたことがある。夜になると彼がたびたび歯ぎしりをするので、私はよくそれを使って人をからかった。誰か初めての人が泊まるたびに、私はその人に言ったものだ。
 「夜この部屋を通っちゃだめだよ。とても危ないんだ。前ここに住んでいた男の人が第一次世界大戦で死んだんだ。彼はとても若くてきれいな婦人と結婚したばかりだった---。貧しくて片目だけど、きれいな婦人とね。彼は戦争に行って二度と帰ってこなかった。誰も彼が死んだことを哀れな彼女に教えてやらなかった。彼女はしきりに尋ね、手紙を求めて郵便局に何度も何度も足を運んだのさ。手紙はこなかった。やがてその女性も死んでしまった----ひたすら待ち続けながらね。

 彼女は今も幽霊になって待っているんだ。そして初めての人がこの家にくるたびに、彼女は、『もしかすると・・・あの人が帰ってきたのかもしれないわ』と思うのさ----。彼女は夜になると出る。彼女は片目で赤いサリーを着ている。君に話しておいた方がいい。もし黙っていてそれが起きたら、君は仰天するかもしれないからね。彼女は誰にも危害は加えない。ただ見ているだけさ。そして相手が夫でないことに気づくと、怒ってシーツを投げつけて出てゆくんだ」

 それを話すと、ほとんどいつも人々は、「そんなことは信じない!」と言ったものだ。さあ、これが格好の犠牲者だ! 誰かが、「そんなことは信じない」と言うとき、彼は必ず格好の犠牲者になる。信じないと力を込めて言えば言うほど、彼はますます強く恐怖を押し殺している。
 私は彼に言った。「信じようが信じまいがそれは君の勝手さ---。でもちょっとした経験だよ。何も君に無理に信じろと言ってるんじゃない。今にわかるよ。僕だって信じなかったんだから。でも見てしまったら・・・。もうどうしようもないよ」
 するとやがて相手は尋ね始める、「で、その・・・その女が部屋にいることがどうしてわかるんだい?」私は彼に言う「まるで誰かが歯をかみ鳴らしているような音が聞こえるんだ」

 その部屋でいつも寝ていた男は、夜中に8回から10回も歯ぎしりをした。ときどきそういう人がいるが、そんな時は胃の具合が悪いのだ。緊張があって歯をかみ鳴らす。
 ひとりの女性がやって来たので、私は彼女にその話をした。彼女は「私は全然信じません!」と言った。彼女はとても教養があり、ある大学の教授の肩書きを持っていて、自分のことを無神論者だと思っていた。私が「それは問題じゃありません」と言うと、「でも、私は信じません」と言う。私は「いいでしょう。無理に信じろとは言いません。ただこれが起こることをあなたに注意しておくことは、私たちの義務ですからね。いつも起こるんですから」

 夜の12時に私が床について明かりを消したとたん、彼女が悲鳴を上げた。私が部屋に入って彼女を見ると、彼女はすっかり意識を失っていた。気絶したのだ。彼女が床につき明かりを消したその瞬間、まさにぴったりのタイミングで例の男が歯ぎしりをしたのだ。彼女が意識を取り戻すまで4、5分かかった。彼女は部屋の隅を見て、目を閉じ再び気を失った! 
 私は一晩中彼女についていなければならなかった。朝になっても彼女はまだ興奮状態だった。私が「幽霊なんていませんよ。心配しないで」と言うと、彼女は言った。「もう信じないなんて言えないわ・・・。あの女が歯ぎしりしながら部屋の隅にぽつんと立ってたの。ひとつ目で赤いサリーを着てたわ。私、見たのよ!」

 初めは冗談だったし、私が一緒に暮らしていたその家族の者たちもみんな知っていた。だがやがて彼らも恐れるようになった。彼らは言った、「でもこんなにたくさんの人たちに起こるんだとすれば、きっと何かあるんだよ」誰もその部屋で寝ようとはしなかった---。あの歯ぎしりをする彼さえもだ。彼は言った。「いいや、僕は眠れない。たぶんあそこには何かがあるんだ。ひょっとすると僕の歯ぎしりはその女のせいかもしれない。だって医者はどこも悪くないって言うんだから。彼女が僕にやらせているのかもしれない。いや、ひょっとしたら、それは彼女がやっていることなんだ」
 しまいにはその部屋に用事ができると、みんな私のところに来るようになった。「あなた行ってくれない? 誰も行こうとしないのよ・・・」
 数年前、私はその部屋を訪ねた。部屋には鍵がかかっていた。彼らの言うには、私が出た後誰もその部屋には入ろうとしなかったからだという。そして今でも夜になると、歯ぎしりをしていたあの男はもういないのに、あの音が聞こえる・・・・。

                              Die O Yogi Die Death is Divine 1章 「探求の詩」
 絶え間ない読書と幅広い分野にわたる情熱的で心を開いた探求は、彼をあなどりがたい論争相手にした。より因襲的で偏狭な教師やパンディットや僧侶たちは、前にこうむったことのあるひどく辛辣な言葉や、彼の持ち出す非常に不愉快な質問を恐れて、彼の年が若いのにみんな彼を大そう煙たがった。それでもなお、彼の風変わりで常軌を逸した行動に当惑したものは多い。
 校長は厳格な規律を強いる人としてよく知られていたが、とりわけ規則を守ることには厳しかった。それだけにある朝、若い和尚がその校長のもとに平気で出かけて行って、学校の制帽は今後一切着用しないと宣言したのには驚かされる。ラジニーシはすでに木綿をみんなが着るなかで、毛糸の帽子しか被らないという許可をひとり得ていた。校長室で起こったことは記録されていないが、その日以来、帽子は一度も被られなかった。
 彼はすでに反抗的な不良だと見なされていた。彼の友達の気違いグループは、いつもその界隈をいたずらで引っ掻き回していた。その地方の人殺しや盗賊さえも、彼らと争うことを避けたという。
 満月の夜には河のほとりや火葬場で過ごし、夜中に町のロバを放して夜明けまで乗り回した。これから後の話には、ラジニーシのユーモア感覚の資質が顔をのぞかせている。人間の行動に対する彼のあくなき探求や、「格好の犠牲者」の正体を暴く事に明らかな喜びと熱中を見せる彼に、疑いを持たずに協力する仲間がいることも含めて---、すべての要素がここにある。

 だからまさに最初からこの状況は危険だった。どんな目標も持たずに生きることは実に頼りないことだからだ。私はほんの一寸先に何があるかも定かではなかった。なぜならそれは他人から聞いて初めて知り得ることだからだ。人は自分で旅をした道については確かに知ることができる。しかしまだ旅したことがない道の前途に何が横たわっているかは、他人から聞くことができるだけだ。
 そんなわけで私には何ひとつ明瞭な道がなかった。それは真暗闇だった。私にとって、次の段階はいつも、目標のない曖昧な暗闇のなかで踏まれた。

 私が読み書きを始めると、この態度が役に立った。ギータ、コーラン、聖書を研究しようが、仏陀あるいはマハヴィーラを研究しようが、その懐疑本能は常に私と共にあった。クリシュナを他の神々の少し上に置き、自分の疑いをすべて殺すようなことは一度も起きなかった。疑いは常に私のもとに残った。
 ゆえに、狂信や盲信、ひとつの宗教のみへの追従または献身とは無縁だった。その最終的な結果として、私は何の結論もでないまま問いに次ぐ問いと疑問でいっぱいになった。何についても最終的な答えはでなかった。どんな答えがそこにあってもそれは他人のものだったし、私には他人の答えはどれも信頼できなかった。
 他人の答えが私にしたことと言えばたったひとつ、10の新しい問いを生むことだけだった。どの他人の答えも私のものにはなり得なかった。

 彼は怠け者で無精だということで非難されていたが、この時期は彼にとって、身近なものを何でも使った集中的な実験期間だった。彼は普通では考えられない時間をとって睡眠の実験をしたり、変わったスケジュールを立てて断食した。あるいは河の中で瞑想したり、臍のセンターに泥を塗るという伝統的な方法も試みている。
 その後、奇妙で説明しがたい出来事がどんどん起こるにつれて、彼は可能な限りすべての課題について書かれた書物を調べ始めた。政治や哲学から宗教や推理小説に至る、とてつもなく幅広い分野の題材の中に彼は没頭していった。彼は夜のふけるまで本を読み、明け方になると泳いで前の晩に読んだサスペンス物語の筋全体を念入りにこと細かな点まで長々と語る準備をした。その物語は高校の絵のクラスで披露された。この評判のよかった連日の朗読は、図書館の本がすっかりなくなるまで続けられた。
 だが、彼の読書の多くはそのように軽いものばかりではなかった。それはつのる疑問の回答を求める彼の必死の探求を反映していたように思われる。彼はあらゆるものを疑った。

 私が母の隣りに腰を下ろしていると、彼女はあたりを見まわして言ったものだ。「野菜を買いに市場まで行ってきてほしいのに、誰もいないのね」ところが私は彼女の隣りに坐っていた! 彼女は言ったものだ。「誰もいないわ」私はひとりで笑った。彼女は私を市場にやることができなかった---。私はそこにいても彼女が気づかないほどの役立たずだった。
 一度叔母が泊まりにきたことがある。彼女は私が使いものにならないことを知らなかった。母が「市場に行ってくれる人が家にはひとりもいないわ。みんな出かけているし、使用人は病気だし、どうしようかしら。誰かに行ってもらわなくちゃならないのに」と言うと、叔母がこう言った、「ラジニーシに行かせればいいじゃない。あの子は何もしないでそこに坐っているんだから」そこで私が使いに出された。
 私は市場の売り子に尋ねた。「一番いい野菜と一番いいバナナと一番いいマンゴーをください」 彼は私と私の喋り方を見て、私を馬鹿だと思ったに違いない。一番いいものが欲しいと言う者などいないからだ。そこで彼は倍の値段で腐った品物ばかりを渡した。そして私はとても幸せな気分で家に帰った。母はそれを投げ捨てるとこう言った。「ほらね! だから誰もいないって言うのよ」
                       
 Dimensions Beyond The Known: 「神秘の次元」
 
1947年〜1953年 第3の7年間---懐疑の7年間

 14歳の時のこの最初のサトリは、答えよりもそれ以上の質問を生み出す結果となった。そして次の7年間、ラジニーシは次から次へと答えを探し求めた。
 外から見ると彼は反抗的でどうしようもない長男に見えた。

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