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2013年1月5日-筆写
ザ・サウンド・オブ・ランニング・ウォーター TOP
The Sound of Running Water

ザ・サウンド・オブ・ランニング・ウォーター

彼の世界と私たちの世界

 神話とは何か? 神話はたとえ話だ、月を指し示すだけのたとえ話、示唆、矢、何も語らない、神話は詩的であって当然だ。なぜなら、知られざるものの一瞥をいくつか伝えることができるのは詩のみだからだ。
 
 仏陀がどこにゆこうとも、樹々は必ず季節はずれの花を咲かせたという。さあ、これは詩だ。純粋な詩だ。それは事実としては起こらなかった。だが、これはあることを示している----。ほかにそれを語る術はない。それは、仏陀が触れるたびに、樹さえも季節はずれの花を咲かせるのだから、人間はいうまでもないと言っている。

 マホメットが、あたり一面火のような砂漠の灼熱の太陽のものを進んでゆくと、必ず小さな雲が彼の頭上を移動し続けたという。傘のように影をさつかけようとして---。これは詩だ、美しい、だがそれは歴史的事実ではない。マホメットのような人は<存在>に守られている。マホメットのような人は<存在>があらゆる面で世話をする。<存在>に明け渡した人は<存在>が必ず世話をする。全面的に信頼した人---その人をどう<存在>がほっておけよう? このことを語るために、マホメットのゆくところ必ず彼の頭上についてまわる雲の隠喩が作られた。

 イエスは十字架の上で死に、その三日後に甦る。これは詩であって、歴史ではない。これは事実ではない。これは真実だ。それはただ、神のなかに、そして神のために死ぬ者は永遠の生を得ると言っている。神のために死ぬ用意のできている者たちは、存在の別の次元に甦る。彼らは肉体を失うが、光を発する身体を得る。彼らはもう地の一部ではなく、大空の一部だ。彼らは時間から姿を消し、永遠のなかに現われる。

 これらは事実ではない。これらは象徴的な真実だ。

 あなたが自分のまわりで眼にするものは、どれも事実だ。あなたは樹を、樹液や花に満ちあふれた青々とした樹を見る。それは事実だ。だが、もしあなたが瞑想したら、いつの日か突然あなたの眼は開く、実在に対して開く。そうなったら、樹はもうただの樹ではない。その緑は神の緑にほかならない。そのなかを流れる樹液はもはや物質的な現象ではなく、霊的な何かだ。いつの日かあなたが、樹の実存、樹の神、樹が聖なるものの顕われに他ならないのを見ることができたら、あなたは真実を見たのだ。

 真実は、瞑想的な眼を必要とする。瞑想的な眼を持たなかったら、生全体はたんに退屈で生気のない事実、互いにつながりを持たない、偶発的で、意味のない、寄せ集め、なりゆきしだいの現象にすぎない。真実を見たら、あらゆるものが一致する。あらゆるものが調和する。あらゆるものが意味を帯びてくる。常に憶えておきなさい、意味は真実の影だ。だから、事実のなかでしか生きないものは、まったく無意味な生を送る。

                 〜 The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書 上巻 10章 〜

手に負えないいたずら者であることを、彼がやめたかどうかはいまでも定かではない。しかし、このことに関しては、古くからの弟子たちにとっても、また神秘的ではあるがそれほど深刻ではないマスターのやり方を知らない新しくきた者たちにとっても、この本のこれからがひとつの物語であり、伝説であり、神話であることを心にとめておくことは役に立つ。

 エピソードのひとつひとつが、真実と事実が複雑に織りなされたものとして体験されなければならない。そして願わくば、それがマスターの未知のリアリティと、私たちがその中で生きているリアリティとの架け橋にならんことを----



                     TOP    戻ってきた放浪者 
 だから、この物語は、噂話やほら話の一部をつなぎ合わせた憶測に基づく仕事だ。話のいくつかは、まるで異なる時間と空間にまでおよぶし、その多くは非常に初期の講話や翻訳から引用したものであることに注意をうながしておきたい。マスターは最近(1981年)、これら初期の講話には狡猾な秘教的ジョークが少なからず含まれていると、面白そうに認めている。
こうした馬鹿げた理論・・・これらを私が語ったのは、私のまわりをある馬鹿な者たちの群れがとり巻いていたときだ---。彼らは、それ以外のものには興味を示さなかった。だが、私はあなた方に応えなければならない。あなた方が成長するにつれて、私の応答はますます高次のものになってゆく。あなた方が人間のマインドの愚かしさ全体を理解する日がくれば、私は話す必要はない。
私はこうしたことがらを、これらのこと以外に興味を持たない一群の人々に対して語った。それらの人々に何か他のことを語るのは、まったく意味のないことだ。今や、彼らはほとんど姿を消した。今や、ここにはまったく違う資質を持った人がきている。私は真実の世界により深く入ってゆける。だが、依然、私は言葉を使わなければならない。そして、言葉は真実をゆがめる。

            〜 The Book of Wisdom アティーシャの知恵の書 上巻 10章 〜
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