7月 4日

 Beyond Psychology は原書で5版増刷されている。ウルグアイ3部作の中では一番売れている本で、内容的には他の2冊と重複している部分もあるが、講話の時期としてはこれが一番目である。できればこれから先に読み始めた方がベストだろうし、後の2冊に出てくる内容の伏線になるような話もあるが、邦訳としてはこれが一番最後になるのが変な話である。
 Oshoの講話の時間的な流れ、変遷というのを感じるのも必要だと思うけれど・・・。

 Oshoの絶版になった本を復刻できないものか、と思ったりしている。特に旧プネー時代の洋書をそのままの装丁で〜〜。


 Oshoの翻訳を始めたその履歴は〜

 最初が1988年 8月3日〜11月15日にThe Tanta Vision 第2章。
  これは後に1996年10月にヴィシュダの訳で「タントラ・ヴィジョン」として星雲社から発行される。

 次が1989年 5月5日〜1990年2月1日にTantra : Spirituality & Sex。Vigyan Bhairav Tantraの編集本。
  これは後に1992年10月にチダカッシュの訳で「タントラ:セックス・愛・そして瞑想への道」としてOEJから発行される。
 これは翻訳が終わって出版社に問い合わせたときに、既に他の翻訳者によって翻訳が終わって出版の段取りに入っていることを聞かされる。

 そして、1990年 9月17日〜1992年 6月25日にThe Psychology Of The Esoteric。
  いわく付きの翻訳で、たまたまサニヤシンではない他の2人もこの本を翻訳していることを瞑想社から知り、前回の件もあってアメリカから翻訳権を取得しても、結局は出版社の意向が優先され、つまり私が持つ翻訳権は無視されて、私と他の2人の、結局3人の翻訳文を合わせ、それを基にしてヴィシュダが全面的に翻訳し直して1994年9月に「秘教の心理学」として発行される。
 もともとは、私の翻訳が稚拙だったこと、ほとんど直訳だったことが理由だが、そのように処理した当時の瞑想社の社長は、後に会社の金を持ち逃げして行方不明になる。
 そもそもは、私の翻訳がなければ「秘教の心理学」は発行されなかったのだけれど。

 今、The Book of WisdomやBeyond Psychologyのように、既に他の人が翻訳をしていながら、なかなか進行しないために私が代わって翻訳をするというケースが多いが、過去にはその逆の立場を経験していたことになる。

 The Book of Wisdom の翻訳を最初に始めたのは1993年7月。それから約20年後の2011年に再開し、そして現在に至る。
 




 
7月10日

 Oshoを、知らない人に紹介したり教えたりすることは、個人的には無理だと感じている。説明する言葉が陳腐に感じられるし、誤解を招いてつまらない議論にもなりかねない。実際にその手の議論は経験してきて、その不毛さを知っている。
 だから、訳された講話本を読んで、各自が好きなように感じ取ればいい。そのための材料を私は提供していることになる。
 本当に興味がある真摯な探求者だけに伝わればいいと思っているし、そういう人ならOshoを理解できるだろうし、そういう人でないと理解できないだろう。わざわざこちらから一般大衆に広める必要はない。求めている人がいるなら、その人の方から嗅ぎ付けて来るだろう。

 私は私が感じたOshoしか言い表せない。そしてその感覚は、翻訳を通して確信に変わっている。私個人にとっての確信であり、だから自信に繋がっている。
 「ビヨンド・サイコロジー」の訂正作業を通して、改めて自分の感じ方に自信が持てるようになった。

 さて、他の人の翻訳で、Vedanta ; Seven Steps to Samadhiだが、去年の5月にリバイスの途中だと聞いていたが、現在もまだ終わっていないらしい。既に1年以上経っているが・・・。
 普通の翻訳ペースは、そのようなものなのだろうな・・・




 
7月15日

 ヤフオクで、ずいぶん前からラジニーシ・ニュースレターが出品されている。50冊まとめて現在32,000円だが、これまで誰も入札者はいない。最初は50,000円で出品されていた。それでも1冊当り1,000円だからそんなに高くはないが、個人的にはほとんど持っているものが多い。出品されている中で、創刊号から13号までが揃っているが、この中で私が欲しいものは4,8,10,13号の4冊だけ。

   

 前に、出品者にバラで出品てきないか?と問い合わせだが、何の返事もなかった。セットで高値で出品を続けていても、誰も入札しないと思うけれどな・・・
。出品者は何を考えているのだろう・・・・。
 でも、あるところにはあるものだ、と思った。特に8号は一番欲しい。


 前に、Osho記念図書館「無門館」を企画していた人はどうしているのだろう?ヤフオクなんか見ないのかな?ニュースレターのバックナンバーを確か探していたみたいだったけれど・・・。


 「Zen: Zest, Zip, Zap and Zing」(ハードカバー)はAmazonで少し前から出品されていて、最初は44,000円くらいの価格だったが、その後、2度ほど値下がりし、数日前は15,348円になっていた。それも3店からほぼ同価格で出品されていた。これはちょっとした驚きである。なぜなら2015年6月の日記で、同書が14万円の値が付いていると書いたからだ。その後、しばらく品切れ状態が続いていた。あるところにはあるものだ。
 これはどうしても欲しかったので、価格がまだ値上がらないうちに注文した。とにかく表紙がすごく好きだ。


 




 7月16日

 Amazonで「Zen: Zest, Zip, Zap and Zing」を15,293円で出品していた店は消え、価格は一挙に232,716円になっている。
 ぎりぎりのタイミングで購入してよかった。

 「ビヨンド・サイコロジー」のリバイスも60%くらいまで済んだが、改めて読み返して、特に私個人の問題に関連するような話が多い。改めて何度も思うが、自分にとってOshoの翻訳以上に有意義でやりがいのある事はない。だから他の翻訳者のように、止めてしまうということは今のところ考えられない。




 7月18日

 Amazonで長らく品切れ状態になっていて、出品されていても高価だったOshoの1992年の邦訳「道元--その探求と悟りの足跡」が1841円と安く出品されていたので購入した。たぶん、また当分は入手不可能になるだろう。
 この本の翻訳者であるサニヤシン、ガータサンサのOshoの翻訳はこれだけだが、現在はOEJと和尚アートユニティの代表者をしている。個人的に面識はない。設立は1993年だから市民出版社の1年後。

 この「道元」の本で、仏教学者の紀野一義が序文を書いている。紀野氏はOshoの邦訳本を全て読んでいるらしく、この翻訳者ガータサンサの依頼で序文を書いたらしい。このガータサンサという人は人脈の広い人らしく、校正には「インナーラビリンス」を書いたナルタンがしていて、他にも多くのサニヤシン友人がこの翻訳を助けている。
 人脈のまったくない私とは対照的だ・・・。


 この紀野一義が序文でOshoに批判的な本に触れ、その読後に嫌な感情を持ったように書いている。その本は「ラジニーシ・堕ちた神(グル)」であることがわかる。調べて見ると、この本を出した第三書館という出版社はだいたいこのような暴露本、左翼系、反体制的な本を出しているらしい。代表者の北川明が元日本赤軍のメンバーであることから、なるほどと思った。また、この本の翻訳者も初期にはOshoの本に感銘を受けたり瞑想センターを訪ねたりしていたらしいが、結局はサニヤシンにならず、一歩引いた立場でオレゴンでの動向を知り、そのコミューンの崩壊と共にOshoへの関心も消えていったようだ。こういう人は多いだろうな・・・。
 私はこの本は読んでいないし、読む気もない。著者ヒュー・ミルンの妄想に付き合う気もヒマもない。ヒュー・ミルンに限らず、第三者のOshoに対する評論には興味はない。それはその人がそう思いたいだけのことであり、私にとってはどうでもいいことだ。


 私はOshoの言葉、Oshoの存在にだけ興味がある。
 過去に、いろいろなサニヤシンのOsho解釈に振り回され、そのどれもが自分と何の共感性も持たず、得るものもなく、個人的な偏見に見え、うんざりしているためだ。




 7月19日

 「ラジニーシ・堕ちた神(グル)」の翻訳者、鴫沢立也のあとがきがあるブログに載っていた。興味深いのでその全文を載せる。

 「訳者個人の思い出を述べさせていただければ、はじめてラジニーシの著作に触れたのは、ほぼ一昔前の一九八〇年のことだった。 当時学生だった私は鬱屈した日々のなかで漠然と非日常的な意識状態やドロップアウトの生活に憧れながら、 ハックスリーの『知覚の扉』 やカスタネダの「ドン・ファン」 シリーズを読んでいたが、 どうも他人事のようで、もどかしい思いしきりだった。 ラジニーシはそんな私を一挙にスピリチュアリティの確信に導いてくれるようだった。 それまでまったく縁のなかった宗教というものが実は意識変容の方法論だったと気づいて、 新しい世界が目の前に開けてくるような気がしたものだ。
 短期日のうちに分厚い彼の講話録を何冊も読破し、都内のラジニーシ瞑想センターに通いはじめるようになる。 瞑想後に街を歩くと、知覚の扉が浄められたのか、子供の頃のリアリティが蘇ってきて思わず涙がにじみ、 誰にともなく感謝したい気持ちになった。 …[中略]… 私は一部のサンニャーシが漂わせていた官能性と野生的な知性に惹きつけられた。 彼/彼女らは明らかに自分とは異なる存在レヴェルにいるように感じられたのだ。

 やがて、私はぜひともインドへ行かねばと思うようになった。 実はそのときラジニーシはすでにアメリカへ渡っており、そのことは私自身すでに知っていたのだが、 それでもとにかくインドへ行くのだと決心した。いま冷静に振り返ってみれば、当時、 大学を卒業するところだった私にとって、「インド」は就職という現実の問題を回避するための格好の口実だったのだろう。 なにしろ、インドとくれば 「放浪」 である。 能天気なハワイ旅行とはわけがちがう。求道の行脚へと旅立つのだ。 実際はどんな貧乏旅行でも、インドの一般大衆から見れば大金を持って無責任に遊び歩いているだけなのだが。
 それでも現地に着いてみればお定まりのカルチャーショックとアメーバ赤痢の洗礼を受け、 これはどんな瞑想よりもそれまでの自分の信念体系を弛めるのに効果があった。 二、 三ヶ月もすると雲がちぎれるように日本的共同幻想はそのリアリティを失い、二十歳を過ぎてからはじめての解放感を覚えた。 そうしてあちこちうろついた揚げ句たどりついたプーナは、 やはり宴の後といった印象だった。 グルに置き去りにされたインド人サンニャーシが路上で持ち物を売っていて哀れをさそった。 「金持ち」 の日本人旅行者からなんとか金をせしめようと言葉巧みに言い寄ってくる者もいたし、 非サンニャーシの地元の青年からは、「前は日本人の女の子とずいぶん寝たよ。楽しかったなあ」とうんざりするようなことを聞かされた。しかし、もちろん、まともな話相手になるようなサンニャーシは知的で物静かな印象の人が多かった。 まだ細々と行われていたアシュラムの瞑想セッションに通いながら、弟子になるべきかどうか思い悩みもしたが、 どうしてもラジニーシ個人に愛情を抱けない自分を発見し、なにごとも徹底できない自分のカルマを情けなく思うと同時にほっとしたことを思い出す。日本への帰国は、まるで遠い昔に見た悪夢のなかへ舞い戻っていくようで、精神的に非常に辛かった。

 その後もラジニーシの動向は気になっていたが、オレゴンの状況がぽつぽつ洩れてくるのを耳にしているうちに、 いつのまにかどうでもよくなってしまった。遅まきながら、「心ある道」 は特定の人物や場所がなければ歩めないものではないと呑み込めてきたのだ。八十年代前半サンニャーシになった友人も何人かいるが、 彼/彼女らもやはりいつのまにか 「足を洗い」、それぞれ地道な生活へと着地したようである。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 なんか・・・私自身と似たような体験であり、変な共感を持った。
 彼と私の違いは・・・、彼はOshoがアメリカに渡った後にプーナを訪れてその様子を見たこと、私もやはりインドには行ったがプーナには行かなかった。そして彼は幸か不幸かサニヤシンの世界に関わらなかったこと、つまり、部外者という立場でしかこの出来事を見れなかった、ということだろう。
 ただ、この本の翻訳という面については、バヴェッシュのコメントが興味深い。

 「この本の翻訳本は、書店においても図書館においても、古書店においても、かなり出回っている。ただ、英文の原書と翻訳本を比べてみるだけでも、その出版に関わる人々のマインドというものが見えてくるから面白い。英文にはないサブタイトルがついているし、原書に入っていない写真が、なぜか日本語版ではトップにわざわざ入れられている。その他、翻訳の段階でも改ざんされているところが多々ある。この本を出したことを持って、私の中では、この日本語版出版社のイメージが極端に下落した。」

 ようするにこの出版社、第三書館の思想・意向がこの本に反映されている、とも言える。悪意すら感じられる。さすがは元日本赤軍だ・・・。
 Amazonのレビューでも、冷静・誠実な人はこの本を意図的なネガティブ・キャンペーンと批判しているが、この本に書かれてあることを信じている単純な人は、Oshoを偽善的カルト教祖と非難している。そういう人は単にこの出版社の思惑に乗せられてしまった、いわば洗脳されてしまった、ということなのだけれど。

 それでも、そもそもこの著者であるヒュー・ミルンが自分勝手な憶測と偏見を持って書いた本を、さらに出版社の意向で翻訳を改ざん、ようするに改悪している、ということ・・・・、つまり、嘘の上に嘘を上塗りしていて、デタラメにデタラメを重ねて、
しかも、それを基準にして、それだけを元にしてOshoを批判する人がいる、ということ・・・・。

 なんか、すごい世界だな・・・。




 
7月21日

 市民出版社の「Osho、反逆の軌跡」の校正は、6月21日の時点で3割くらいしかできていないと言っていた。4月9日のメールで「今月中に送る。」と言っていたが、約3ヶ月で3割の進行ペースなら、単純に計算して残り7割に7ヶ月かかるということになる。それだと完成は来年の2月になるのか?

 まあでも・・・、連日猛暑日が続いていて、暑くて頭の働きも鈍り、翻訳作業もあまり集中できない。ペースが落ちているのはお互い様だな・・・。




 7月24日

 今年は4冊くらい出版すると言っていたが、予定が狂ってまだ1冊も出版されていない。
 現在、出版社にストックしてある翻訳は13冊分。「ビヨンド・サイコロジー」を2冊分と考えて〜。年3冊の出版ペースとしても、全部出版するのに4年かかる。4年あれば年3冊のペースで12冊翻訳できる。つまり、ストックの数は減らないことになる。むしろ増えるかもしれない。翻訳したい数は残りの人生をもっても成し得ないほどある。ヒンディー語講話からの英訳が進めばなおさらである。願わくばGita Darshanの全巻完訳を望みたい。

 Oshoの翻訳をしながら、古代のインドの霊的黄金時代への憧憬がますます強まっていく。




 
7月25日

 Amazonに注文していた「Zen: Zest, Zip, Zap and Zing」が今日届いた。配達予定日を8月の初めと知らされていたので、ずいぶん早く届いた。

   

 

 このハードカバーにこだわっていた。捜し求めて24年にして手に入ったから感慨深い・・・。若干、背の部分が曲がっているが、全体的には美品である。
 購入価格は15,384円。この値段で出ていた3〜4日間は奇跡のような日々だった。よく出てきたと思う。購入した翌日には23万円に値上がりし、現在は在庫切れで商品そのものが存在していない。1981年の出版で、出版部数は1,000部で、これはその1,000分の1冊と言える。非常に貴重な本である。また出てきたとしても、もう1万円代では手に入らないだろう。これと同じものでペーパーバックもあり、これは4,000部出版されていて、Amazonでも2,000円程度で購入できる。ペーパーバックは以前から持っていた。
 想いは実現する、というのを感じた。




 
7月26日

 上下の本の写真を見ても感じるように、旧プネー時代のOshoの本は本当に美しい。

 

  

  

  

 




 
7月29日

 もうじき8月だが、「Osho、反逆の軌跡」の校正はまだ出来上がったという連絡がない。この分だとまじで8月、9月の出版はないだろう。
 今、不足している人手は翻訳者ではなくリバイス、校正者だろう。ただそれにはある程度Oshoの事を知っている人、Oshoの本を読み込んでいる人でないと翻訳のチェックは務まらない。それ以前に、根気のいる仕事だから、それが好きで遣り甲斐を感じていなければ続かないだろう。

 「ビヨンド・サイコロジー」のリバイスはあと少しで終わる。非常におもしろくて深い内容の本である。




 
7月31日

 「ビヨンド・サイコロジー」のリバイスが完了する。7月中に終わらせることを目安にしていたから、一応目標達成となる。出版社に返送すると、折り返し「Osho、反逆の軌跡」の校正が4章分だけ届く。これで全体の3〜4割程度。やはり大幅に遅れている。暑い毎日が続いているせいもあるか・・・・。






OSHO日記 2017年 7月

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