Nowhere to Go but In を翻訳しながら改めて感じたことだが、Oshoが言っていることは極めて当たり前の真っ当な事ばかりだ。この講話は特に内容が深い。現在は翻訳の見直しの段階で、数日おいて見直すことでいろいろなミスがわかり、より適切な表現をすることができるようになる。あと2週間ほどで終われそう・・・
ヒンディー語講話からの英訳書で最新のものは2016年に出た Three Steps to Awakening
〜目覚めへの3つの段階〜だ。タイトルに惹かれる。講話時期は1965年。全4章で、123ページ。とても短い。分量的にはとっつきやすい。
他にも同年に出された Keys to a New Life は全7章で178ページ。新刊の英訳書はページ数が少ないものが多い。 私がいずれは訳したいと思っている
Gita Darshan は1巻が594ページ、2巻が352ページ。段違いに多い。
ちなみに現在翻訳している Nowhere to Go but Inは、1996年版で373ページ、2008年版で378ページ、2014年版で448ページとなかなかの分量だ。3版も出ていることから、この講話の人気の高さが感じられる。
1996年 2008年 2014年
そしてぼちぼちと翻訳を進めている Krishna: The Man and His Philosophy は1985年版で841ページ、以後、1991年、1997年、200年と4版を重ねているが、いずれも850ページもの大作だ。この講話が4版も出ていることに興味がある。
1985年 1991年 1997年 2000年
6月20日
Nowhere to Go but In の翻訳がようやく完了した。翻訳が終わった後の達成感と解放感はこれまでで一番大きいかもしれない。それだけ翻訳に苦労した。たぶんこれまで訳した講話の中では一番難しかったと思う。それだけに内容も濃くて深い。
2月から翻訳を始めたから4ヶ月と3分の2かかった。明らかにそれまでの翻訳よりかはペースダウンしている。分量的にも多く、多分600ページくらいになるだろう。全16章で、各章のページ数も多く、そして各章の中に必ず翻訳不能な一文が出てきて、それを考えるために1〜2時間を費やすこともたびたびあった。
22年前といえば1995年、オウム真理教が強制捜査を受け、サニヤシンもオウムの一味のように報道された頃だ。私はこの頃からOshoの世界に関わらなくなる。市民出版社はその3年前に出来たばかりで、よく20年前に他の翻訳者に頼みながら完成しなかったものを私が翻訳することが多かったが、ようするにこの頃はいろんな人が市民出版社の依頼で翻訳を進めていたということになる。それらのほとんどは完成されなかった、ということだろう。
たまたま私が訳した「死ぬこと 生きること」や「超越の道」などは、私が訳したくて選んだものが、偶然にも過去に市民出版社によっても翻訳を進められていたものだった。だがこのNowhere
to Go but In は、過去に別の翻訳者が関わって完成しなかったことを知ってあえて始めたものだ。