2月 2日

 改めて、Oshoの邦訳本のページで絶版になっている本を赤字で表示した。
 全部で110冊の本がこれまで訳されてきたが、その内の41冊が品切れとなっている。その中のいくつかはネットの古書サイトやヤフオクに出品されているが、それなりに価格は上がっている。
 絶版から阿部敏郎が版権を買い取って再販したのが5冊。6冊目の再販になる予定だった「存在の詩」はどうなっているのかわからない。
 OEJからの再販はナルタンの訳のもので2冊ある。

 現状として、全体の約3割ちょっとが品切れになるということは、購買数もある程度までいくと頭打ちになるということか?
 残りの70冊ほども、売れずに在庫が残っている、という状況にも取れる。細々と売れれば、これらもいずれ絶版になる可能性もある。そのへんの実際の状況は私にはわからない。
 日本各地のOshoのワークに関わっている機関が、これらのOshoの本に関してどのように宣伝・広報しているのか知らない。
 東京の市民出版社以外で、Oshoブックフェアを開催しているという情報も聞かない。

 細々と、少数であってもOshoを愛し、理解する人たちによって本の流通が維持されていければそれで十分なのかもしれない。
 山川夫妻の翻訳「Joy 喜び」の売れ行きが大きかったことから、Oshoへの関心が高まるかと期待されていたが、現状から見てそれほどでもない様子だ。
 ダンマパダの版権を所持している瞑想社も、その頃のOshoブームにのっかってダンマパダやパタンジャリのヨーガの講話を続刊させると言っていたが、それから数年が経つが何の動向も見られない。そもそも翻訳者がいないだろう。瞑想社自身、そう言ったことを忘れているのかもしれない。

 12月に出た「真理の泉」に対する反応もまだよくわからない。
 次に出る予定のOshoの伝記は、Oshoを知っていた人も、初めて知った人も含めて、彼らに対してそれなりの影響力を持ちうる本になるのではないか、つまり、Oshoに対する誤解・偏見も少しは改まるのではないか、と思っているが・・・。




 
2月 3日

 Osho mixi のサイトでOshoの講話が抜粋で翻訳されている。その中の一つ〜〜社会と折り合いをつける
これを読むと自分のことを言われているような気になるが、結局、私は誰とも折り合いをつけることができず、小さなグループを作ることもできず、そんなことには興味がなかったので、結局一人で生きていることになる。
 普通は、周囲に無理やり折り合いをつけて生きなければならない人がほとんどだろう。特に日本では、そうしなければ生きにくいところがある。そうやってストレスを抱え、さまざまな精神疾患を生み出す。この教えを日本社会で生かすことはけっこう難しいかもしれない。
 私自身もずっと、周囲と合わないことで自己を批判して生きてきた。それが日本社会の条件付けでもある。自己批判を繰り返せば自己を確立することはできない。そのため、自己の内側は混乱のままであり、だからこのような精神世界に答えを求めてきたのだ。

 普通に、社会のレールに乗って生きることができ、社会の常識を疑わず、それに従って、ただ物質的な満足を幸福の基準とする人には、このような精神世界は理解できない。

 私は、別にOshoの教えを知ったからといって、全てがうまくハッピーに収まるとは思っていない。自分の内側の探求が進むことで、より大きな苦しみに遭遇するかもしれない。それはいいことだと思っている。それを他人にわかってもらう必要はない。わかり得ないということが自分の経験からわかった。
 誰もが自分自身の苦しみで精一杯なので、他人の苦しみまで面倒は見切れない。しかも、同じ体験をした人でなければその本当の痛みは感じられない。


 翻訳は、読書と同時進行で進めている。だからペースはかなりゆっくりになっている。いままでの倍の時間がかかるだろうな・・・。




 2月 5日

 Osho mixi で知ったOSHO図書館「無門館」が長野に開館という話は、2009年8月に始まり、mixiでの最後のコメントは2011年7月で終わってる。そのコメントの内容は、ラジニーシ・ニューズレターのバックナンバーがまだ揃っていないというもので、創刊号と46号と62号を探しているらしい。
 この図書館がその後どうなったのかは、ネット上では知りえない。企画者はOSHO大蔵経蔵のようなものを作りたいらしいが、そのコレクションはどれだけ集まったのだろう。
 この最後の問い合わせに対して情報を提供しようと思ったが、mixiにログインはできても、コメントを送信するにはケイタイの電話番号を入力しなければならない。私はケイタイを持っていないので送信はできなかった。持っていない理由は単に必要がないしお金ももったいないから。
 それでも、もう6年前の話だ。これに対して他の誰からも情報提供がないようで、それはそれで寂しい話だけれど。


 OSHO大蔵経蔵とは仰々しい表現だが、ようするにOshoアーカイブのことだ。Oshoの講話、出版物、映像などを保存すること。


 Nowhere to Go but In の翻訳は、20年前に市民出版社がある翻訳者に頼んだらしいが、ヒンディー語の単語が多くて訳しにくいので止めたという話だ。
 今、まだ第1章を翻訳中だが、これまで出てきたヒンディー語やサンスクリット語は、グルドワラ(シーク教寺院)、ティルタンカーラ(ジャイナ教の覚者)、ジンナ(征服した者)、アヴァターラ(神の化身) くらいだ。いまのところ、ごく普通の頻度であり、そんなに多い感じはしない。

 でもこのように、市民出版社側で以前に手がけていながら、なかなか進行していなかった翻訳を私がするというケースは多い。


 テレビ番組「和風総本家」で熊本城の石垣を補修する68歳の職人が紹介されていた。職人暦は50年以上。ただ、石垣補修に人生を捧げてきた人だ。そしてこの間の熊本地震で熊本城は大きな被害を受け、相当な数の石垣が崩れた。
 文化財であり、一つ一つの石を全て正確に元の場所に戻さなければならない。現在はその調査中であり、まだ復元作業には入っていない。おそらく完全に修復が完了するには20年かかると言われている。68歳の男にその作業がこれから待ち受けている。

 そういう人の人生を知ることで、自分もすごく励まされる。私も死ぬまでOshoの翻訳を続けていきたいと思う。




 
2月 6日

 またまたOsho mixiからの情報だが、ある人の2010年6月13日のトピックスで、サクシンからの要望でThe Book of Wisdom の翻訳を始める、と書いている。
 その時点でThe Book of Wisdom のスートラの章、7章分は翻訳が完了していたらしいが、スートラの章だけでは版権が取れず、全章を訳さなければならないため、彼に残りの21章がまかされたことになる。つまりその前から、おそらく2009年頃から市民出版社側ではこのThe Book of Wisdom の翻訳が始められていたのだろう。

 私がこの翻訳に取りかかったのは2011年3月25日からだが、この翻訳の出版を持ちかけるために市民出版社に連絡したのが2011年8月29日だが、その時の市民出版社の話では、スートラの章は訳し終えていて、残りの章を市民出版社のスタッフと東北のサニヤシンの2人で訳していて、全体の半分弱まで進んでいる、と言っていた。
 2010年6月13日から2011年8月29日までの約1年以上をかけてようやく半分弱ということになるが・・・。

 市民出版社のスタッフと東北のサニヤシンの2人で・・・・となると、この人はプロフィールでは千葉県在住であり、市民出版社のスタッフでも東北のサニヤシンでもなさそうだ。一応この人もサニヤシンらしいが、現在は天理教に入信しているらしい。天理教の総本山は私の地元にある。
 おそらく私の想像だが、この人の翻訳があまり進まないので後の2人に代えたのだろう。この人自身もこのトピックスで、ぼちぼち翻訳すると言っているので、それほど早く進めようという気もなかったのだろう。

 ただいずれにせよ、この人と市民出版社のスタッフと東北のサニヤシンの翻訳は使われなかった、無駄になったことになる。ある意味ではかわいそうでもあるが、時間がかかりすぎた、完成させられなかったというのが理由ではある。
 翻訳は多くの時間と労力が必要になるから、やるからには無駄に終わらせないほうがいい。




 2月 8日

 ヒンディー語から英訳された本のリストを作る。 ヒンディー語からの英訳書  最新のものが2014年だから、現在もこれ以外の英訳作業が進められている、と期待したい。私は現在この中から Nowhere to Go but In と Krishna : The Man and His Philosophy を翻訳中。
 市民出版社では、翻訳中がNine SutrasとThe Message beyond Words。

 Oshoのヒンディー語の講話に興味がある人はけっこういるみたいだし、そういう人でヒンディー語のわかる人はできればヒンディー語から翻訳してみるのもいいかもしれない。まだ英訳されていないヒンディー語の講話は多く残されている。




 
2月 9日

 マックス・ブレッカー著の「アメリカへの道」という本はまだ読んでいないが、2005年10月に出版されている。ただこの翻訳は5人の翻訳者による共同作業だが、その翻訳作業は90年代前半から進められていたらしい。5人がかりで約10年ということになるが、相当困難な翻訳だったのだろうか・・・。

 次に出版される予定の拙訳「OSHO: The Luminous Rebel」というOshoの伝記では、Oshoのアメリカ行きとコミューン建設の経緯、そしてワールドツアーの様子などがコンパクトにまとめられている。そのあたりの事情説明については「アメリカへの道」より読みやすいのではないかと思っているけれど・・・・。

 日本人のサニヤシンについては、このオレゴン・コミューンを体験した人と、それ以後にOshoを知った人、Oshoのセンター・ワークに関わった人とそうでない人で、その後のOshoに関する見方に大きな違いが見られるのではないか、とも思えるが・・・。

 そもそも、アメリカのコミューンを知らない人たちがOshoのこの頃に起こった事件について、どこまで関心を持つのだろうか、と思う。
 ただ、Oshoに対する批判や誤解の根は、だいたいがこのアメリカのコミューン時代の出来事から出ている。Oshoを評価する上で重要な時期でもある。




 2月12日

 Osho mixi のサイトでは2004年あたりからサニヤシンのコメント・情報が載せられているが、私は1995年から2011年までの約15年間、Oshoとの関わりを断っていたから、この時期のサニヤシンの状況は知らない。だからそれを知る上でこのサイトは参考になる。
それによると・・・

 2005年に、「アメリカへの道」の翻訳出版支援の通知。
 2006年に、過去1991年シャルノの企画で持ち上がったマルチバーシティが、ここで再び立ち上げられる。ただ、その宣伝文句だけで、その実態、具体的な活動、現状はまったく不明。
 2009年に、長野県にOsho記念図書館「無門館」設立の通知。ただし、これも現状はどうなっているのか不明。

 プネーでは2010年2月14日に、ジャーマン・ベーカリー爆破事件が起こる。死亡9名、負傷者45名。

 既に2004年頃から、プネーのアシュラムの運営に対する問題視が出ている。
アシュラムのワーカーがインド人の雇い人ばかりになっていたり、金持ちの西洋人向けのリゾートになっていたり、古いサニヤシンは寄り付かなくなって、訪れるのはもっぱら新しいサニヤシンばかりとか・・・・・、過去の状況を知らない人は現状に対して何の疑問も抱かないだろうし・・・・

 Oshoの長年の側近だったニーラムがアシュラムへの入場を拒否されたり、そんなアシュラムに反発したサニヤシンたちはインド各地にそれぞれのセンターを作ったらしい。 なにより、世間に対して危険なカルト集団と見られないようにするために、アシュラムに住む者も反逆的なサニヤシンであるより従順なサニヤシンであることが望まれているらしい。それに反発したセラピストたちも多く去っていったとか・・・。

 カルト集団と見られないようにするために、Oshoと弟子との関係を消す動きが現われ、そのためダルシャン日誌の出版禁止やらOshoの本の出版に対する規制が始まったのだろう。
 私が訳した「アティーシャの知恵の書」も、アメリカ版ではOshoのサニヤスに関する講話の部分が大幅に削除されているらしい。


 私がアシュラムを訪れたのは1991年と1994年だから、まだ良い雰囲気が残されていた頃だったのだろう。Oshoの洋書を大量に買ったのもアシュラムでであり、当時で1冊が200ルピー弱〜約1000円くらい。ダルシャン日記は50ルピーで売られていた。200円程度だ!今、アマゾンで探しても、まず現物が存在しない。運よくあったとしても1万円以上の値がつけられている。


 ともあれ、そういったアシュラムに対して個々に抗議した人は少なからずいたらしいが、それは聞き入れられなかったということだろう。
サニヤシンの権力対立というものはOshoの存命中からあり、それはオレゴンでのシーラの行動が目立ったもので、他にもセラピストのエゴ・トリップの様子はOshoの講話の中でも伝えられている。そして現在まで、Oshoインターナショナル・ファウンデーション OIF という権力機構がOshoの著作権を支配している。

 これらは全て、Oshoの意向に反している。
 でも、誰にもどうにもできないのが現状なのだろうな。こんな問題提起がなされてから、既に10年以上が経っている。
 少なくとも、OSHO WORLD と Sannyas WikiのサイトがOshoに関する全てのデータを提供してくれているのはありがたい。これらがOIFによって潰されないことを祈りたい。




 
2月23日

 現在、翻訳して出版された本が6冊、出版社に届けてあるのが12冊分。だから今は19冊目を翻訳中。
2016年7月の日記に、Oshoの本で翻訳されていない数は約200冊と書いた。
 現在、年3冊の翻訳ペースでやっているので、10年で30冊、80歳まで生きられたとしても、残り20年ではたかだか60冊か・・・。
200分の60だから、翻訳する講話を厳選した方がいいだろう。あくまで自分の好みを基準に・・・・。

 自分がいいと思った内容は、他人にも良く伝わると思っているし、そう期待したい。
そもそも、他人がどんなOshoの本を望んでいるのかわからないし、自分がその翻訳を楽しめなければ続けていけない。

 一応、60冊の完訳を目標にしよう。




 2月27日

 ヒンディー語からの英訳書を見てみると、2010年から15冊出ている。特に2015年は1年で4冊出ている。
 最近になって、またOshoの出版が盛んになっている。英訳、ということは当然西洋人のため、ということだから、西洋人のOshoへの関心が高まっていると言えるのだろう。レディ・ガガがOshoの本を推薦していたのは有名だし・・・。

 ただ、最近出た英訳書はpdfファイルではないから、翻訳するとなると本を購入しなければならない。pdfファイルだと、最初に自動翻訳で大まかな内容がつかめるが、本だとそうはいかない。選別が少し大変にはなる。

 まあそれでも、英語の講話でもまだ翻訳したいものが数多くあるから、まだそこまで考える必要はないだろうが、やはりどこかヒンディー語からの英訳書には魅力がある。内容が深いからな・・・。


 Oshoは人知を超えているという印象が強くなっている。Oshoをどう理解し、どう受け入れるかは全てその人次第、その人の能力次第となる。
自分にできるOshoに関わるワークとなれば、やはり翻訳しかない。今、それができる環境にある、それに没頭できる状況にある、ということは恵まれていると言えるだろう。
 そのようになれるまで、55年以上かかった。




 
2月28日

 2011年以降のOsho関係の出版状況〜。

 2011年 3月 - 探求の詩
 2012年 1月 - 魂のヨーガ
       3月 - アティーシャの知恵の書 (上)
 2013年 6月 - アティーシャの知恵の書 (下)
      10月 - Joy 喜び
           究極の旅 (再販)
      12月 - 愛の道
           草はひとりでに生える (再販)
 2014年 2月 - TAO:永遠の大河 1 (再販)
       4月 - TAO:永遠の大河 2 (再販)
           存在とひとつに (再販)
       6月 - TAO:永遠の大河 3 (再販)
       7月 - 死ぬこと生きること
       8月 - TAO:永遠の大河 4 (再販)
      11月 - Courage 勇気
      12月 - 炎の伝承 1
 2015年 1月 - 死について41の答え
       2月 - 愛の円環 (再販)
       4月 - 炎の伝承 2
      10月 - 内なる宇宙の発見 (再販)
 2016年 3月 - インナーラビリンス-自分という名の迷宮 (ナルタン)
       4月 - 奇跡の探求 2 (再販)
       9月 - Intuition 直観
      10月 - 空の哲学 (再販)
      12月 - 真理の泉

 再販が多いが、よくこれだけ発行されたな。2014年がこのブームの最も盛り上がった時期とも言える。

 さて、今年はどうなるだろう・・・








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