Osho日記 2016年 8月,9月

OSHO TOP  徒然想記  翻訳・出版暦  日記TOP  

 8月 6日

 山川紘矢のoshoの翻訳の3冊目が「Intuition 直観」というタイトルで9月1日に発売されるらしい。
 「直観」か・・・。2冊目の「勇気」ですら1冊目の「喜び」に販売数では及ばなかったらしいのに、この「直観」というタイトルで、どれだけ読者を惹きつけられるのか少し疑問だが、それ以前に直観というテーマでどんなOshoの話が取り上げられているのか全くピンとこない。 直観という話だけで1冊の本ができる、ということにも・・・?だ。
 まあ、分量としては250ページほどで、価格も2000円以下なので購入はしやすいだろう。個人的には買う気はないし、当然「喜び」も「勇気」も持っていない。基本的にOshoの編集本には興味はない。 それぞれの話がどの講話から引用されているのか、ということには興味があるが・・・。

 猛暑が続いている。今日、明日と、最高気温は36度の予想。Yahoo天気の熱中症指数はいずれも危険を示している。

 現在、翻訳はYoga:The Alpha and The Omega Vol.3 が60%まで、The Eternal Quest が30%ほど、同時進行で進めている。
 Yogaの講話はさすがに難解な部分も多く、この猛暑のせいで頭の回転も鈍り、ややペースが落ちている。
 それと同時にオリンピックが始まった。 関心が移って、ますます翻訳のペースは落ちるかも・・・?




 
8月10日

 ソパンのHPを覗いて見た。 スワミ・アナンド・ソパン、本名は澤西康史。直接の面識はない。ラジニーシ・ニューズレターの頃からOshoの翻訳をしてきた人らしい。翻訳はとても読みやすい。 このHPは、最近あまり更新されていない様子だが、この人の翻訳出版暦を出版年順にまとめてみた。


  Oshoの本として・・・
 1992年 -- 空っぽの鏡:馬祖
 1993年 -- これこれ千回もこれ
 1994年 -- ダンマパダ、ボーディダルマ
 1996年 -- 英知の辞典
 2003年 -- 不滅の言葉 ダンマパダ U
 2007年 -- 魂の科学

 ダンマパダ、英知の辞典・・と、独自に編集して翻訳しているのが気になるが、最後のOshoの翻訳は「魂の科学」・・・Yoga Alfa and Omega の編集だ。これは原本が編集本だけれど、とにかく惜しいのは「ダンマパダ」の翻訳が中途半端に終わっていること。ようするに出版しても売れないから、という理由なのだろうが、せめて質疑応答の章も訳した完全な形で残していれば、後になって他の出版社が版権を買い取って続巻を出版していく可能性もあったのだが・・・。

  Osho以外の翻訳としては・・・
 1996年 -- シャンバラの道 ニコライ・レーリヒ
 2000年 -- 死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」 M・ニュートン
 2001年 -- シャンバラ―勇者の道 トゥルンパ
 2003年 -- タントラライフ―変容のヴィジョン
 2011年 -- スピリチュアル・エボリューション―オーロビンド・エッセンス
 2013年 -- インテグラル・ヨーガ―オーロビンド・エッセンス
 2014年 -- 死後の世界を知ると人生は深く癒される  M・ニュートン

 他にも多くあり、精力的に翻訳しているのが見て取れる。 M・ニュートンの「死後の世界・・・」シリーズは直接読んでいないが、Amazonの目次やレビューを読む限り、シルバーバーチやシュタイナーを読んだ者としては、取り立てて目新しい内容は感じられない。ほとんど知っていることばかりだ。
 気になるのは、Oshoの翻訳が2007年を最後にしている一方で、オーロビンドの翻訳がそれ以降に2冊出ていること。
 この人も現在はOshoにはもう関わっていないのかもしれない。噂では仏教僧侶になったとも聞いているが・・・。

 ただ・・・
 死後の世界については、私が翻訳した範囲で知る限り、Oshoは全く語っていない。というか・・・、
 Oshoは、人が死んだらすぐに別の新しい体に生まれ変わると言っている。ただ、その人の魂のレベルに合う子宮が見つからない場合は、それが見つかるまで長い間、死後の世界〜霊界に留まるという。Osho自身が前世から生まれ変わるまで700年を要したように。
 そして、死後の世界での霊の様子は、全く睡眠状態と同じで、何の変化もなく、何の成長もない、とOshoは言う。

 その点については、巷のスピリチュアルの本で語られている内容とはかなり違っている。
 Oshoは、あくまで人を目覚めさせるための手段として講話をしているので、あえてそのように語っているのか・・・、つまり、死後の世界を語っても、人の成長には役立たないと思っているのか・・・、よくわからない。 このことに関しては、未だに私の中では未解決のまま、矛盾したままだ。
 だから、Oshoが神智学系の話を取り上げている講話に興味があるわけだが・・・・。




 
8月26日

 リオ・オリンピックの宴は終わった。一番エキサイトした競技はやはり陸上男子400mリレーの日本チームの銀メダルだが、それ以上によかったのが閉会式でのトゥキョー・ショーの場面。素晴らしい音楽・ダンス・パフォーマンスは何度も繰り返して見ている。2020年の東京オリンピックの演出が楽しみだ。日本のエンターテイメントのレベルはずいぶん高くなったものだと思う。
 日本人選手の活躍した競技は一応全て録画編集したが、その作業に追われて、翻訳の方は順調に遅れている。普段は1日当たりワード2ページ半くらいの進み具合だが、この期間中は1日1ページの進みだった。
 現在は、パタンジャリ・ヨーガの講話Yoga:The Alpha and The Omega Vol.3 の9章の半分弱まで進んでいる。

 9月1日に発行予定の「直観」を訳した山川紘矢は1941年生まれの75歳。年齢的にすごい。率直に敬服する。正直、負けていられないという思いを持つ。それでも、門外漢の彼がOshoの翻訳に情熱を注いでいるのに、肝心のサニヤシンたちは何をしているのだろう? 

 それはそれとして、私の訳した本の出版はいつになるのだろう? 仮に年2冊の出版ペースとしても、翻訳のペースはそれより早いから出版待ちの在庫は増える一方だけれど・・・?

 ヤフオクで数日前にOshoの洋書がかなり出品されていた。だが第2期プネー時代のレベル出版からのものばかりだったし、ほとんどは所有しているものだった。初期のプネー時代のOshoの本は本当に希少本だろう。AmazonでもYoga:The Alpha and The Omegaシリーズが数冊出ているが、すべて1万円以上する。
 今は経済的にギリギリの生活だから、ちょっと手が出ない。年金が支給される頃になると、少しは余裕が出てくるかもしれないが、その頃になるともっと値段が跳ね上がっているだろうし、それ以前に品物事態が存在しなくなるかもしれない。
 現に、Zen: Zest, Zip, Zap and Zingは一時期20万円ほどの値が付いていたが、現在はついに品切れ状態になっている。

 まあ、コレクション的な趣味の問題なのだけれど・・・。

 邦訳本についても、ヤフオクで見る限り「反逆のブッダ」「未知への扉」などは5〜6000円くらいする。「マイトレーヤ」などは、まず出品されるだけでも奇跡的なことで、近頃はまったく見られない。
 まあ、Oshoの本を買うような人は、スピリチュアル系でもかなりコアな人たちだろうし、これからもマイナーな路線を進むのだろうな・・・・。




 
8月31日

 Yoga:The Alpha and The Omega Vol.3 の9章の最後の翻訳のところで、Oshoがよく取り上げる禅の語句「草はひとりでに生える」が出てきたが、原文ではこれをZenerinが言っていると書かれてある。
 この全文は Sitting quietly, sitting silently, doing nothing, spring comes and the grass grows by itself.、「静かに座り、黙して座り、何もせずとも、春は来たりて、草はひとりでに生える。」
 だが、Zenerinが誰なのかネットで検索しても出てこない。
 一応、手元にはOshoが全ての講話の中で取り上げた禅師の名前の一覧を持っているが、その中にもない。
 ゼネリン? ゼンエリン? まったく聞き覚えがない。
 かのナルタンが訳した「草はひとりでに生える」の原文にもZenerinという名が出てきているが、ナルタンはこれをただの「禅師」と訳している。

 なんとかネット検索を続けているうちに、パルバのブログに出会った。97年の古いもので、彼もこの禅句の作者を知るためにアシュラムで問い合わせている。当時のアシュラムにはOshoの講話を検索できるシステムがあったらしい。最初は芭蕉の作と言われていて、Oshoがそう言ったらしいが、よく調べてみると「禅林句集」からの引用らしい。だから、Zenerin〜禅林なのだ。ただこれは人物の名前ではなく書物のタイトルだ。
 それでも、ネット検索でZenerinから禅林句集にたどり着かなかったのは、これがかなりマイナーな禅句集だからなのだろうか? それにしてはこの「草はひとりでに生える」の句は非常に有名なのだが・・・。




 
9月14日

 ディスクトップPCのケースを交換したり、ノートPCのHDDを交換したりして、再セットアップに時間を取られたため、しばらくは翻訳の方が進まなくなっていた。
 Oshoの「Gita Darshan」vol.1とvol.2の2冊をAmazonに注文する。当初よりだいぶ値下がったが、vol.2はvol.1よりもページ数が少ないのに値段が高いというのも変な話だ。
 これはOshoの1970年のヒンディー語講話の英訳だが、ヒンディー語全8巻の第1巻を上下2冊に分けたもの。つまり全体の8分の1にすぎない。まだ導入部という感じがするため、購入するのをためらっていたのだが、その後の続刊が出る様子がないためこの2冊を買うことにした。




 
9月24日

 Yoga: The Alpha and the Omega Vol.3 の翻訳が終わり、市民出版社に送る。
 6月1日からこの翻訳は始まったが、途中、オリンピック観戦や、PCの再セットアップなどに時間を取られていた。また。同時進行として、The Eternal Questも翻訳していて、このYogaの講話だけに集中していない状態だっだが、それでも4ヶ月ほどで完成したのは、まあまあ上出来だったかもしれない。
 これで通算して16冊目になる。出版の方が追いつかないだろう・・・。まあこんな調子で、翻訳が蓄積し続けていく、という状況が続いていくのかもしれない。

 市民出版社が8月に「完全版 タッチ フォーヘルス」という本を出しているが、その値段を見て驚いた。9,800円+税!・・・・・、今時、1万円もする本は珍しいが、どんな人が買うのだろう・・・? カラー400頁とあるので、カラー印刷に経費がかかったのだろうが、まあ、豪華な本なのだろうな。白黒でもいいような気もするが・・・・。

 8月31日の日記で、Yoga: The Alpha and the Omega Vol.3 の9章に「草はひとりでに生える」という禅句が取り上げられていることを書いたが、講話された年月を調べてみると、このYoga: The Alpha and the Omega Vol.3 の講話は、「草はひとりでに生える」の講話のすぐ後になされている。
 そのあたりの話の流れを知るのもおもしろいし、逆に、講話日がわからなければ、このよう関連性を知ることはできないだろう。




 9月29日

 Yogaの講話の翻訳が終わって、しばらくはOshoを含めた全体的なスピリチュアルのファイルを整理しようとしてみたが・・・、
 ウパニシャッドやリグ・ヴェーダ、ブラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」 (全3巻中、1巻の前半部分だけ訳されている) や「ヴェールを脱いだイシス」 (上下2巻の上巻部分だけ訳されている)、シネットの「エソテリック・ブッディズム」、スコット・エリオットの「アトランティス物語」、リードビーターの著作など・・・、未だに翻訳されていないものは多いが、何度関わってみてもOshoの翻訳ほどおもしろくはない。それでもいつかは翻訳したいし、翻訳されなければならない本だと思う。かなり精神をフラットにして取り組まなければならないようだな・・・。

 そのファイル整理の中で、
 Osho WorldというサイトにAn Anthology of Osho's Life From His Own Booksというものがある。実はこのサイトからOshoのすべての講話のpdfファイルや音声がダウンロードできるのだが、版権にうるさいOIFがよく許しているものだと思う。私はこのサイトからダウンロードしたpdfファイルを基に翻訳している。
 その中で、上記のAn Anthology of Osho's Life From His Own Booksは、Oshoの生涯をOshoの講話から引用して構成したもので、これが本になって出版されているのかどうかは知らないが、その内容は非常に興味深い。

 その中でも特に、Oshoが肉体を離れた後についての自らのビジョンやサニヤシンへの助言についてまとめた章があり、それの一部を翻訳をして、Oshoが肉体を離れた後についてのガイダンス というページを作った。
 他にも興味深い話が引用されているが、それぞれの引用講話が示されているので、翻訳する本の内容を掴むためのひとつの目安にもなり、役に立つ。

 ただその中で、内容は非常に秘教的で興味深いのだが、引用元の講話が見つからないものがある。その内容は・・・


 「何日か前にラマ・カルマパは私についてあることを言った・・・。カルマパはある過去に誕生した私の1つの身体がチベットの洞窟に保存されていると言った。99体の身体がそこに保存されて、その中の1つの身体は私のものであり、それがカルマパによって言われた。

チベットでは、彼らは数千年間ある並み外れた事が起こった身体を保存しようとしてきた。彼らはひとつの試みとしてそのような身体を保存した。なぜならそのような出来事は何度も起こらず、そんなに容易に起こらないからだ。
 数千年後、時たまそのような事が起こる。例えば、誰かの第3の目が開くと、それに伴って第3の目が存在しているところの骨に穴が開く。そのような出来事は何十万年に時々1回しか起こらない。第3の目は非常に多くの人々に開くが、この穴は誰にでも起こるわけではない。この穴が起こる時、その背後にある理由は、万が一そういうことがあるとするなら、第3の目がとてつもない力で開いたということだ。そのような頭蓋骨やそのような身体はその時彼らによって保存される。

  ・・・・このように、現在まで彼らは人類の歴史において最も大きな実験をした。 彼らは99体の身体を保存した。それでカルマパは99体の身体の中に私の身体も保存されていると言った・・・。それは97番目の身体だが、反対側から数えられるならそれは3番目のものであり得る。」
                                                                       Samadh 12


 あの、「サイレント・エクスプロージョン」に掲載されているラマ・カルマパとの謁見で、カルマパが語ったOshoの過去生のひとつの身体がチベットの秘密の洞窟に保存されているというエピソードが、Osho自身によっても語られている。

 スワミ・ゴヴィンド・シッダールタがダージリンでラマ・カルマパに会ってこの話を聞いたのが1972年の6月であり、Oshoは何日か前に・・・と言っているので、この講話はそれからすぐ後に行われたものと思われるが、この文の引用講話を示すものは Samadh 12 となっている。
 このサイトでは、引用講話を略文字で示しているが、Samadhに該当する講話だけが示されていない。
 Samadhという文字の入った講話は「Vedanta Seven Steps to Samadhi」くらいしか思いつかないが、この講話は1974年1月に始まっていて、1年半もブランクがある。
 1972年6月に行われた講話には「究極の錬金術」と、その後に未訳の「The Way of Tao」がある。可能性としては、このどちらかの講話にこの話があると思えるが、それでもこの2冊のタイトルにSamadhは関係していない。









inserted by FC2 system