7月 2日

 改めてOshoの講話の出版本を数えてみる。
 編集本を除いて、英語の本だけで、今わかる範囲では274冊。 よく650冊と言われるが、たぶん編集本やヒンディー語の講話本、各国で翻訳された本も合わせた総数なのだろう。
 その内、所有している本は103冊。 
 日本で翻訳された本は、この274冊からでは62冊になる。ただその中で絶版になっているものも多いが・・・。 私が翻訳して、まだ出版されていないものが10冊あるので、差し引き202冊がまだ翻訳されていないことになる。

 約200冊か・・・・
 とりあえず、pdfファイルでは全て入手できるし、ヒンディー語講話からの英訳がこれからも進んでいけば、この数はもっと増えていく。
 その内でダルシャン日誌は47冊になり、これは現在出版が禁じられているため、出版可能なものは約150冊になる。
 ダルシャン日誌は編集にして出してもいいと思うが、それが可能なのも、忌まわしいOIFから自由になれる20数年後の話・・。

 特にまったく翻訳されていない分野が、
 ラジニーシ・プーラム時代の From 〜 to 〜 というタイトルシリーズ。これは8冊ある。
 ミステリー・スクール時代。これは17冊。

 死ぬまでに、どれだけ翻訳できるだろう。




 
7月 3日

 NASAが今年の夏は最悪の猛暑と予測したそうな・・・、そのせいか、今日は特に暑い。
 バングラデッシュのダッカで起こったテロで日本人7人が犠牲となり、その後また、イラクで自爆テロが起こった。 いよいよイスラム国の狂気はエスカレートしていく。 ある意味、これは新しい形の戦争なのだろう。 無差別に、予測なく、突然起こる。 対応の仕様がない。
 しばらくは、海外旅行は控えた方が無難だろう。 どこで起こるかわからないし、それとは別に、中国人の観光客と関わるのもまた面倒でもあるし・・・。
 世界がだんだん危うくなってきているのは確実だろう。何の解決の手口も見出せていない。

 そんな状況の中・・・・(?)
 とりあえず Yoga:The Alpha and The Omega Vol.3 の第3章を訳し終える。まあしかし、酷い原文だった。誤字が多い。そのたびにOshoの肉声を聞いて確認した。 大意は掴めるから、ほとんどは些細なミスだったけれど・・・。

 ここでまた、The Eternal Quest の翻訳に移る。これは1967年のかなり初期の講話。
 とにかくOshoの扱うテーマの広さと、それに対する洞察の深さは、何度翻訳しても驚かされる。だからこそ、日本語の言葉選びには本当に神経を使う。基本的に、ほとんどふさわしい言葉が見当たらないことが多い。 翻訳に関しては、言葉選びは妥協の産物だ。

 それでも、
 これらの講話は、改めて言うが、全て即興で話されている。 これが一番驚くべきことだ。 しかも、肉声を聞く限り、言葉につまることはない。すごく流暢に話していて、たまに間を空ける時も絶妙で、それらは聞き手を瞑想に誘うための方策である。

 さて、
 出版の代理店が決まったとの連絡があって早一月が過ぎたが、その後の進展は何もない・・・・。




 
7月 5日

 市民出版社より電話があり、ようやく代理店との連絡が取れたそうだ。
「The Long, the Short and the All」の版権が取れて、出版は秋頃になるとのこと。 邦題は「真理の扉」。
「Osho The Luminous Rebel」の版権も取れそうで、来年春の出版予定。
 OIFとの連絡が半年以上も取れていなかったのは、やはり新しい代理店との引継ぎに手間取っていただかららしいが、そのことについてOIFからの説明や謝罪は一切ないらしい。

 角川書店からの山川夫妻のOshoの翻訳も、話では、前の代理店がOshoに興味を持っていて、そこから角川書店にOshoの本を出すことを持ちかけたらしい。

 とりあえずは、「真理の扉」の反応が楽しみ。 それ以上に、その次に出る予定の「Osho The Luminous Rebel」の反応も興味がある。 「反逆のブッダ」も入手不可能な状態だし、Oshoの人生を知らない人も多いだろう。
 これ以降はスムーズに進んでいってほしいものだ。




 
7月17日

 再びフランスのテロに、トルコのクーデターで多数の死者を出し、中国は南シナ海の領有権否定で軍事力を増加しているとか・・・。
 いよいよ世界はやばくなってきているが、それと対比して、日本の参院選や東京都知事選での政治家たちのお粗末ぶりには改めて呆れ返る。ようするに、諸問題の解決へ向けての展望が全く見えてこない。
 「時代は変わる〜♪」なんで歌っていた全共闘世代が、今の政治の中心を作ったのではないの?
 いったい何が変わったのだ? 聞けば、未だに革命を夢見て過激派活動をしている60〜70代の人たちがいるという。 バカとしか言いようがない・・・

 人間の生き方は、若い頃からそんなに変わらない、ということだろう。

 その中の小さな事例が、それぞれOshoが語っていたことに符号していくのが恐ろしい。
 Oshoはどこかで、世界大戦は起こらなくなるが、代わりに地域的なテロが勃発するだろう、と警告している。既に30年以上前に〜〜。
 そして、大国の植民地化から解放された国は、内紛が起こり続ける、とも言っている。

 世界情勢はOshoが言っていた通りに進んでいるように見える。まさに悪夢の時代の始まりだろう。


 翻訳については、
 OshoTimesの翻訳は数人のサニヤシンたちで分担して行っているが、特に今回は、ジョークの部分を受け持った。ジョークは全部で12話だが、ほとんどが英語でないとおもしろさが伝わらないものばかり。
 ある意味、ジョークの翻訳が一番難しい。半分は解説を入れているが、その中の数話はいまだに意味がわからないままのものがある。
 最初の翻訳「アティーシャの知恵の書」にも多くのジョークがあったが、それも英語でないと意味が通じないものが多かった。これは苦労するわ・・・。

 翻訳は、一応ワード2ページを1日のノルマにしている。だいだい、1日当りワード2ページ半くらい進む。
 約500ページの本として、ワードでは約200ページ余りになる。1日ワード2ページのペースとして、だから1冊の本は約100日、3ヶ月ちょいかかることになる。
 Oshoの講話は、だいたい10日分で1冊の本になり、それがだいたい500ページくらいになる。
 だから、200ページくらいの、極端にページ数が少ないOshoの本は、そのページ数だけで編集本と判断できる。




 
7月24日

 ドイツのミュンヘンでもイスラムテロ勃発。ここは昔行った事がある美しい街だ。ドイツは難民問題も抱えていて大変な状況だろうな〜〜。
いつかはまた、ドレスデンとフュッセンに行きたいと思っているが、いつの日になることやら・・・。

 このホームページはWindows XP上でホームページ・ビルダーver.8を使って作っているので、Windows 7では、なぜかHP上の画像と文字がずれて表示される。これを修正する方法はわからない。


 私と市民出版社〜サクシン・センターとの関わりはけっこう古く、1992年〜24年前〜に、当時翻訳していたOshoの「秘教の心理学」をサクシンのニューズレターに掲載させていただいたことがある。確か、先方からその依頼があったようだったが、そのニューズレータも処分してしまった。
 当時はOshoの洋書を買い集めていた頃で、購入先は東京・青山のブッククラブ回、和尚イア・センター、アメリカのチドヴィラス・センターなど。
この頃、Oshoのアーカイブ・ビデオを20数本注文している。 
 初めてプネーに行った時の様子をレポートして、これもサクシンのニューズレターに掲載されたが、かなり軽薄なサニヤシンを批判した内容だった。それでも、サクシンのスタッフも私のレポート内容に共感していたのが興味深かった。瞑想しないサニヤシンがいかに多いか、ということは彼らも実感していた。
 アリとキリギリス・・・・、サニヤシンを見ていると、私はよくこの寓話を連想する。当時はバブル景気の時代だったし、真面目に地道に働く人をバカにする傾向が全国的にあった、非常に浮ついた時代だったせいもあるが、キリギリスのような生き方をしていたサニヤシンたちは、いまやほとんどが還暦を迎えていることだろうが、果たしてどんな老後をすごしているのだろう・・・。

 彼らは今、Oshoとどのように関わっているのだろう? 

 Oshoのことは、もう忘れたのだろうか? 関係なくなったのだろうか? 一度Oshoに関わった者は、それを受け入れるにせよ、拒否するにせよ、無視することはできないと思うが・・・。 それは、その人個人が、Oshoとどこまで深く関わったか、にもよるだろう。 Oshoを忘れられる人というのは、その程度の関わりしかなかった、という意味になる。

 少なくとも、ネットで探索してみれば、彼らが今Oshoとどう関わっているのか、その一部を垣間見ることはできる・・・。




 
7月25日

 ドイツで起こったテロはイスラム関係ではないらしいが、いずれにせよその動機になるものは生き甲斐の喪失だろう。バングラデッシュで多数の若者が行方不明になっていて、その多くがイスラム国に関わっている可能性があるというのも、少なくともイスラム国は何らかの生きる目的を与えているからかもしれない。
 そのような、生きる意味を喪失している現代に正面から立ち向かっているのがOshoの一連の講話だと思う。
 飛び込んでくるニュースを知るたびに、ますますこの世界に対する絶望感が強まっていく。

 Yoga:The Alpha and The Omega Vol.3 の翻訳は、第5章、全体の半分が完了した。
 ここで少しThe Eternal Quest の翻訳に移る。こちらは3分の1程度が終わっている。 
また、Nowhere to Go but In がずっと気になっている。これもなかなかおもしろそうだ。市民出版社が20年前にある人に翻訳を頼みながら、訳しづらいということで中途で止めたらしいもの。
 これも加えて、4つ巴の翻訳になるかも・・・。




 
7月27日

 今度は障害者19人の殺害事件が・・・。大量殺人としては戦後最大という。この事件からいろいな問題が浮かび上がっているが、とにかく毎日何かしらの殺人事件を耳にする。
 それ以外でも、いろんな方面で批判やらバッシングの数々がある。

 人間は何をしているのだろう? 人間は何を学んできたのだろう?


 翻訳しながらも、手元にシュタイナーの「輪廻転生とカルマ」の本と、マンリー・P・ホールの象徴哲学体系シリーズの本を置いて、少しずつ読み進めてきたが、どうも読む意欲が沸かない。
 ようするに、Oshoの翻訳以外のことには、ますます関心が薄れていっているように思える。

 つまり、もうOshoしかない、という感じ。これを明け渡しと言えるのかどうかわからない。ただ、そんな判断はどうでもいい。
 ようするに、Osho以外の世界は私にとって色褪せて行っているようなのだ。

 瞑想もしない。成長も興味ない。ただ、Oshoの翻訳をするだけ・・・・。まさに、バカだな。

 何も考えない、何も期待しない、何も待っていない、ただ翻訳するだけ、
 それについて何も判断しない。何も比べない。たとえそうしても、何にもならないから、つまらないだけだから・・・


 子どもの頃に抱いていたひそかな夢は、一つの事をコツコツと続ける職人的な生き方だった。
 ただ、その道が長い間見つからなかった。
 子どもの頃は絵を描いてきたが、学校の美術教育が絵を描くことの楽しみを奪った。絵を描くことは、他人から評価されることを気にしながら描くようになり、それが自分を見失わせた。

 他人の評価、他人の声、他人の意見・・・、それが全ての災いの元、元凶だった。

 もう、再び絵を描くことはないだろう。それは自分にとって長い呪縛になっていた。絵を描くことを止めたことで、大きな解放感を得られた。
特に、工芸高校の美術教育を体験した後では、もう純粋無垢に絵を描くことは不可能になっている。強烈な脱催眠術でも受けない限り無理だろう。
それは一つのトラウマになっている。 絵を描くのを止めたのは31歳頃だった。過去の作品は全て捨てた。

 絵は、自己表現をしなければならない。エゴを示さなければならない。それが重荷だった。

 翻訳は、コツコツ型のワークであり、受身でありながら、創造的でもある。そこが自分の性に合っているし、おもしろいところだ。
 そしてそれはOshoの翻訳であることが重要だ。なぜならその話の内容が非常に魅力的だからだ。









Osho日記 2016年7月

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