4月 1日

 OIFのスタッフのエゴ・トリップについて先月書いたが、それと全く同じ意味合いを持つOshoの話が、現在翻訳している「Yoga: The Alpha and the Omega Vol.2」の第8章に出てきた。こういうシンクロ的な現象は、これまでにも何度も翻訳していて起こっていた。不思議といえば不思議だ。

 その講話から〜
 利己的な理由のためにここにいる少数の人たちがいる。サニヤスは彼らにとってエゴ・トリップになる。彼らは特別に、並外れたものになる。
 彼らは生に失敗した。彼らは政治的権力に達することができなかった。彼らは世間的な名声に届くことができなかった、彼らは富を、物質的なものを達成することができなかった。彼らは取るに足らない人間だと感じている。
 今、私は彼らにサニヤスを与える。すると彼らの側に何もなくても、彼らは重要な誰かに、特別になる。ただオレンジ色に変わることによって、彼らは今自分は普通の人々でない、自分は選ばれた者だ、他のみんなとは異なる、と考える。
 彼らは世間に入って行ってあらゆる人を非難するだろう、「あなたは単なる世間的な生きものだ。あなたは絶対的に間違っている。私たちは救われた者たち、選ばれた少数の者だ。」と。

 まさにこれは、OIFのスタッフのことではないだろうか?
 自分を特別な存在だと思い込むと、他人に対していろいろと規制を強いたり、逆に他人からの要望を拒否したりすることにエゴは満足を覚える。
 だから、そう簡単にやすやすと版権を認可できないのだろう。できるだけ長くもったいぶらせたいのだろう。

 まったく、つまらないゲームだな・・・。


 この Yoga: The Alpha and the Omega 講話シリーズは、そういう内容も含めてすごく興味深い。そしてやはり、かなり秘教的だ。本になったらかなり興味をもたれると思うけれど、そういう意味でも本当にもったいない状況だ。




 
4月 6日

 Oshoのワークの流れを見てみると・・・、
 実際、これを把握するためには、翻訳した「OSHO: The Luminous Rebel」〜Oshoの伝記がすごく役立つし、重要になってくるけれど、この本もまだ版権が取れていない。OIFがOshoという痕跡を消そうと企んでいるとしたら、このOshoの伝記などは完全に禁書扱いなのではないだろうか・・・?
 そういうことがないことを信じたいが、この本も出版の目途は全く立っていない。

 Oshoは、1964年からインド各地で瞑想キャンプを催す。この頃はインド中を旅して、自ら人々のところに赴いていた。
 1970年代半ばから、ムンバイ、後になってプネーに落ち着き、逆に人々がOshoの元に集まってきた。特に西洋から・・・。
 彼らの多くは、700年前のOshoの前世でOshoの弟子であった人たちの生まれ変わりだと言われている。
 70年代後半から80年初頭まで、プネーのアシュラムは成長し、最盛期を迎える。この頃、日本人の弟子も増え、日本にも瞑想センターが多く作られる。
 80年初期に健康上の理由でOshoはアメリカに渡るが、一部の権力的な弟子たちによってアメリカ・オレゴンにコミューンが造られる。
 このコミューンをめぐってアメリカ政府との対立が起こり、そのためOshoはアメリカから追放され、行くあてもなく約9ヶ月間のワールド・ツアーが始まる。この間、全ての国がOshoの入国を拒否したが、それは全てアメリカからの圧力によるものだった。
 結局Oshoは、アメリカ政府の陰謀によって毒〜タリウム〜を盛られ、それが原因で1990年1月に亡くなる。

 つまりOshoのワークはアメリカ政府によって破壊された、と言えるし、Osho自身もそう言っている。

 この数年後、1990年代半ばまでは、Oshoの講話本が世界的に売れたり、プネーのアシュラムにも多くの弟子たちが訪れたりして、大きな盛り上がりを見せた。私がプネーを訪れたのは1991年と1994年だったから、まだその息吹は残っていた頃だった。
 Oshoアーカイブが発足したのもこの頃だし、全体的にOshoの遺産を守り伝えていこうという機運が強くなっていた。

 実はこの頃から、Oshoの版権はインドからアメリカに移されている。要は、インドにそれに抵抗するだけの力がなかったということだろう。
 版権を持つOIFに対する抗議の声が聞かれるようになるのも2000年以降になってからで、この頃からアシュラムもリゾート化し、サニヤシンではない人の手によって管理され、そこでの滞在費もかなり高くなっている。

 2000年以降に出版されたOshoの講話本からOshoの写真が消え始める。

 こうして振り返ると、少しずつそのエネルギーは低下しつつあるように見える。 こうなってしまうのは必然なのかもしれない。
 Oshoの講話本が出版出来難い状況では、70年代の黄金時代を知るサニヤシンによる体験本発刊がOshoワークの要になっていくのだろうか・・・。




 
4月 7日

 翻訳はpdfファイルを基に行っている。このpdfファイルで単語の綴り間違いがたまに起こる。

 現在翻訳中のYoga: The Alpha and the Omega 第2巻第9章で不可解な言葉があった。
  the Fame Day。
 Fameは名声、声望、評判という意味だ。これの構文はthey died on the Fame day, となっている。しかもFameだけ大文字で・・・。
直訳すれば、「彼らは名声の日に死んだ。」となる。まったく意味不明だ。何かの宗教的な特別な日なのかと調べても、何も手がかりはない。
 こういうときに原書を持っていれば、それと照らし合わせてその間違いを見つけることができるが、この原書は所有していない。アマゾンでは1万円以上の値が付いている。

 どうしようかと思い悩んでいたときに、Oshoのこの講話の音声を保存していたことを思い出した。
一応このYoga: The Alpha and the Omega の講話音声は全10巻全て保存している。ちなみに映像はない。
 その音声を聞くと、Oshoは「セイム・デイ」と発音している。
 Fame dayではなくsame dayだったのだ。
 それなら意味も「彼らは同じ日に死んだ。」となる。人間が手作業で書き写しているのだから間違いが生じるのは仕方がないし、キーボードのキーの位置でもFとSは近くにあるから無理もない。

 こういう間違いがひどかったのが、前に訳した「The Long, the Short and the All」だ。これはたまたま原書を持っていたからよかったが、目立った間違いとして次のようなものがあった。 
 many → may、 to → too、 useless → unless、 from → form、 the → he  it → is、 than → that、 is → if、 tell → till、 
 stay → say

 theがheになっていたら、突然文脈の中にheが出てくるので、このhe (彼)とは誰のことだ?と混乱してしまう。
 ただこれも、注意深くあること、という瞑想の基本を学ばさせてくれる。

 ただ、このYoga: The Alpha and the Omega の講話音声はおもしろい。パタンジャリの経文を取り上げた各講話の始めに、その経文を他の(おそらくインド人の)サニヤシンがヒンディー語で読み上げる・・・、というか、ほとんど詠唱のような形で唱えている。
 やはり不思議な、というか、特別な講話シリーズなのだろう。




 
4月11日

 同じくYoga: The Alpha and the Omega 第2巻の第10章の原文で、冒頭から翻訳しにくい文章が出てきた。
 THAT IS TOO MUCH ASKING from positive thoughts because enlightenment is beyond duality・・・
 直訳すれば、「それがポジティブな考えからあまりにも多く求められているのは、光明が二元性を超えているからだ。」となる。意味不明・・・。それはこの後に、it is neither negative nor positive〜「それはネガティブでもポジティブでもない」という分が続いているからよけいだ。
 光明が二元性を超えている、ネガティブでもポジティブでもないというのはわかる。それがなぜ前文の理由になるのか、がわからない。

 そこでまたOshoのこの講話の音声を聴いてみた。そうすると疑問は解決した。
 Oshoは、「because enlightenment ・・・」の前に少し空白を置いている。つまりこの文章は一続きではなく、正確には次のようにしなければならない。
 THAT IS TOO MUCH ASKING from positive thoughts.  Because enlightenment is beyond duality: it is neither negative nor positive.
 だから翻訳は、「それはポジティブな考えからあまりにも多く求められている。光明は二元性を超えているので、それはネガティブでもポジティブでもない」となる。

 これはあきらかに英文の筆写がまずい。これは原語が英語だから音声で確認できたのだが、ヒンディー語からの英訳ならどうしようもない。確認のしようがなく、英訳文を信用するしかない。
 このあたりの、Oshoの音声とその英文にニュアンスの違いを感じることは、Oshoの音声を聞いて初めてわかることである。例えば、話の流れで少し間を空けている部分でも、英文では改行されずにそのまま続けて書かれてあったり、その逆のケースもある。

 でも普通は、翻訳の頼りとするのは英語の原文でしかない。正確さを求めるなら、全ての英文をOshoの音声と照らし合わせる必要があるだろう。かなり大変な作業になるけれど・・・。


 それでも、このYoga: The Alpha and the Omegaの講話はおもしろく、そして深い。最初、クリシュナの講話と同時進行させようと思っていたが、これだけに没頭したくなる。
 だが、版権の連絡は未だにない。この翻訳も含めると、現在出版社には未出版の翻訳が10冊分残っている。英語で読んだ人を除いて、その内容を知っているのは日本では私一人となる・・・。宝の持ち腐れ状態か・・・。




 
4月22日

 Yoga: The Alpha and the Omega 第2巻の翻訳は一通り終わり、現在はその見直しが7章まで進んでいる。
 最近はYouTubeサイトでBABYMETALの音楽映像の虜になってしまって、翻訳の方に気が移らなくなってしまっているが・・・・。

 ともあれ・・・、
 この講話は内容が深くて濃い。第2巻でこれだけの内容だから 〜(と言っても、知らない人にはピンとこないだろうけれど・・・)〜 残り8巻はどれだけの内容になるのか、まったく興味がつきない。
 翻訳を通して、知らず知らずに、自分はOshoに明け渡しているのかもしれない。なんにせよ、Osho以外に自分を導いてくれる人は誰もいないという心境になっている。どの講話を翻訳するか、これは自分で決めているようで、実はOshoのガイドでそうさせられているのかもしれない。というのも、偶然にも翻訳する内容が今の自分の問題解決にぴったり適合しているからだ。翻訳を通して自分の問題が解消され、少しずつ軽くなっている。

 市民出版社のサイトでは、「奇跡の探究」第2巻が5月中旬に発売という知らせがあった。「The Long, the Short and the All」の出版は・・・・、まだ版権の見通しは全く見えていない。
 馬鹿げた状況はまだ続いている・・・・


 生まれ故郷の熊本が未曾有の地震災害に遭っている。
 まあそれでも、私がこれまで育ってきた場所は、それぞれいろんな事情によって全て消えてしまっていたから、ようするに私の思い出の場所は既に消えているので、生まれ故郷の災害という意味では、特に何も感じない・・・。
 自分の過去の形跡が・・・場所や品物も含めて・・・ほとんど失われる、というのは私の長い人生の人つのパターンであり、苦しみの原因の一つでもあるが、それもカルマのせいなのかも・・・・・。

 逆に・・・、過去のしがらみがないため、自由に、新しく生きられている、という感じはする。

 今はただ、Oshoに感謝している。




 
4月25日

 Yoga: The Alpha and the Omega 第2巻の翻訳が完了する。正直、できれば30年前の混乱の時期にこの本を読みたかった。非常に分析的、論理的な話が続いていく。そもそもインド哲学がそのようなものだし・・・。
 そういう意味では、これはOshoの講話の中では、割と難しい内容の部類に入るだろう。

 この、パタンジャリについては、一般的にはあまりよくわかっていない謎の人といえる。紀元前2世紀ごろの文法学者のパタンジャリと同一視されているようだが、何の確証もない。単に同じ名前だというだけで・・・。
 Oshoはパタンジャリを5000年前の人と言っている。それを考えるとインドの霊的探究の歴史はとてつもなく長いものだと言える。
 そういう過去のブッダたちの本質について語れるのはOshoしかいない。

 ということで、これで翻訳した本の数は通算で15冊分になった。

 さて、次はどうしよう・・・。出版の目途が立たない状況なので、かなり気まぐれに進めてみようか・・・。




 
4月26日

 パタンジャリの講話の翻訳がひと段落ついたところで、神智学系の翻訳に取り掛かろうかと「アトランティス物語」と「エソテリック・ブッディズム」の内容を少し翻訳してみたが・・・、

 正直、つまらない。

 なんせ100年前の西洋人に向けられた東洋の神秘知識の紹介、ということだから、西洋の物質主義的思想から切り崩していってたりして、そのあたりが回りくどくてどうでもいい。先に「神智学大要」やシュタイナーの一連の神秘学書籍を読んでいるから、私的にはいまさら、という感じだ。大方、知っていることを改めて翻訳することに新鮮味を感じないし、Oshoの翻訳と比べれば、その内容は全く皮相的、表面的で、あまり深みを感じられない。
 ブラヴァッキーの「ベールをとったイシス」の翻訳も、2冊目が出ているが、1冊が5000円ほどで高すぎる。手は出せないな・・・。

 ・・・ということで、やっぱりOshoの翻訳に戻ってくることになる。

 明け渡し、とか、とういう類のことではなく、もうOshoしかいない、という感じ〜〜〜。ならば、クリシュナをかじりつつ、パタンジャリを進める、という方向でいきますか・・・。

 と言いつつ・・・、今日もBABYMETALを聞いている、というか見ているが・・・、完全に中毒だな・・・。でも、すごくエネルギーを、元気をもらえるから魅了されてしまう。




 
4月28日

 現在の翻訳状況・・・

 市民出版社に届けてあるもので、その進行状況は、
 The Discipline of Transcendence Vol.1 ------ リバイス済み
 The Discipline of Transcendence Vol.2 ------ リバイス中
 The Discipline of Transcendence Vol.3
 The Discipline of Transcendence Vol.4
 The Long, the Short and the All ------------ 校正済み、版権申請中 -- アメリカ OIF
 The Silent Explosion --------------------- 版権申請中 -- ネパール
 OSHO: The Luminous Rebel --------------- リバイス済み、版権申請中 - インド・ムンバイ
 Beyond Psychology
 Yoga:The Alpha and The Omega Vol.2

 版権申請中の3冊はいずれも長い間返答がない。

 現在翻訳中は、Krishna: The Man and His Philosophyと、Yoga:The Alpha and The Omega Vol.3。




 
4月30日

 29日よりThe Discipline of Transcendence Vol.1のリバイス原稿をチェックしている。
 これ、2013年6月に翻訳を終えたもので、早3年前のものだが、リバイス原稿にはかなり多くの修正箇所が赤ペンで記されている。
 翻訳の文章が読みやすくなるのであれば、多くの修正はけっこうなことなのだが、それだけに時間がかかる。
 前にも書いたと思うけれど、リバイスした人の翻訳と自分の翻訳を比べて、どちらが適しているかをいちいち検討しなければならないので、それは違ったエネルギーを、違った頭の使い方をしなければならない。
 別に自分の翻訳にこだわるつもりはないし、だいたいはリバイスした人に敬意を表して、その訂正部を使うことにしている。これだけのチェックをしたのだから、それだけでも大変な労力だっただろうと思う。

 だから、時間がかかるだろうな・・・。

 相変わらず出版の目途は立たず、馬鹿げた茶番劇は続いているが、出版社としても、いつでも出版できるように準備を進めているという感じがする。









Osho日記 2016年4月

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