Osho日記 2016年 3月
 3月 2日

 Osho Times 51号用の翻訳を市民出版社に送る。

 市民出版社側も私と同様に、ヒンドゥー語の講話から英訳されたものに関心があり、そのリストを私がわかる範囲内で伝えたら、その中で翻訳中や、翻訳予定のリストを知らせてくれた。
 それは下記の通り・・・

 翻訳中
「Sun of Consciousness (Nine Sutras)」 .... ヨガ・スートラ
 翻訳依頼 〜 「ABC of Enlightenment」、「Vedanta ; Seven Steps to Samadhi」、「The Parfect Way」、「The Message Beyond Words

 「Nowhere To Go But In」は、20年前にある翻訳者に依頼されたものだったが、訳しづらいとのことで挫折したらしい。
 これは1974年の講話で、光明の性質、霊的な力の探究、瞑想と愛の間の関係性、愛と結婚、結婚とセックス、瞑想とタントラとしてのセックス、という内容。
 となると、これも私の翻訳リストに加えたい。




 
3月 4日

  ラジニーシ・ニューズレターのバックナンバー・リストを完成する。
 1978年から1987年まで毎月発刊されていたもので、100号で完結する。創刊から13号までは新聞・瓦版形式で、14号から小冊子に変わる。
 日本のセンター紹介や、オレゴン・ラジニーシプーラムをユートピアのように伝えている記事は、今読んでも好きになれないが、一つの記録として保存する価値はあるだろう。
 表紙が白黒のものはコピー本。




 
3月 5日

 市民出版社のその後の連絡から、Vedanta ; Seven Steps to Samadhiの翻訳は終わっていて、今はリバイス中とのこと。 この本も、20年前に別の人が翻訳していたらしいが、結局は出版されることがなかったので、改めて出版社の方で翻訳し始めた、という経緯。

 翻訳したい本が市民出版社と私とで似通っているのは、初めて同社とコンタクトを取ってからお互いに感じていたことで、何かしら不思議な縁も感じる。 「死ぬこと 生きること」は、出版社側でも20年前に他の人に翻訳依頼していたが出来なかったものだし、The Discipline of Transcendenceも10年前に翻訳依頼していたが出来なかったものだ。

 20年前と言えば・・・、

 市民出版社が設立されたのは1992年、24年前だから、およそ会社設立して間もない頃の翻訳依頼、ということになる。 他にどんな翻訳リストを持っているのか気になるが、最初に市民出版社から出たOshoの翻訳は、パルバのタントラ秘法の書シリーズの「内なる宇宙の発見」。以後6年間、ほとんどパルバだけの翻訳が続く。

 このパルバは自分のブログで、「奇跡の探究」で語られていた秘教的な内容について懐疑的に思っているように言っているが、そもそもこの人は秘教的なことには関心がないようだ。当然、ヒンディー語からの英訳本は秘教的な内容が多いが、そちらにも興味はない様子。 まあ、彼の翻訳の選択は、全て他人からの依頼によるものばかりだから、そこにパルバ自身の主体性は見えてこない。
 逆に、市民出版社はヒンディー語からの英訳本に強い関心を持っている。そのあたりが私と趣味の合うところだ。


 現在は、Yoga: The Alpha and the Omegaの第2巻を翻訳中。 この本の出版変遷を作る。


 大方のヒンディー語からの英訳本の翻訳は、市民出版社側でもそれなりの翻訳予定を持っているようなので、それはそちらにまかせて、私としては、このパタンジャリの講話〜9巻〜と、クリシュナ、そしてミステリー・スクール期の講話に力を注ぎたい。それだけでも相当な数になるが・・・。
 そしていずれは、「ダンマパダ」全12巻の完訳を目指したい。




 
3月 6日

市民出版社での、現在の翻訳進行状況をまとめると・・・

 校正済み、版権申請中 ------- ★The Long, the Short and the All
 リバイス済み、版権申請中 ---- ★OSHO The Luminous Rebel
 リバイス中 ----------------- Vedanta ; Seven Steps to Samadhi
 翻訳済み ------------------ ★The Discipline of Transcendence Vol.1
                      ★The Discipline of Transcendence Vol.2
                      ★The Discipline of Transcendence Vol.3
                      ★The Discipline of Transcendence Vol.4
                      ★The Silent Explosion
                      ★Beyond Psychology
 翻訳済み(ストック) ----------- The Sound of One Hand Clapping ダルシャン日誌
 翻訳中 -------------------- Nine Sutras
 翻訳依頼 ------------------ The Message beyond Words
                      ABC of Enlightenment
                      The Perfect Way

 ★は私の翻訳。翻訳済み(ストック)とあるのは、現在ダルシャン日誌は出版できない規制があるから。
 これも、20数年後の版権解禁の日を待って、その日に出版するために保留してある。

 ようするに、Oshoのワークが本当に自由になるのは、つまり、本当にOshoが望んでいたワークの形になるのは、20数年後の未来だということになる。 
 なんとも内輪の者が足を引っ張っているのだから、まさに茶番というか、笑い話にしかならない。




 
3月12日

 Yoga:The Alpha and The Omega 第2巻の翻訳は5章目にきたが、ここでかなり秘教的な話が出てくる。秘教的な話は興味深いが、翻訳するのはけっこうややこしい。自分にその体験がないからだ。 その代表的な言葉が、オリジナル・マスターというもの・・・。オリジナル・・・、一応ここでは原初のマスターと訳したが、そのような存在がいるのかどうかが実感できないため、この訳はまったく自信はない。だが、他に適当な訳語が見当たらない。

 英語の方が意味が幅広いため、日本語に訳するとその意味を限定させてしまう。これは翻訳の宿命でもある。


 邦訳されたOshoの本で、日本で独自に編集されたものを挙げてみる。現在、独自の編集は禁じられている。

 「反逆のスピリット」 めるくまーる社
 「坐禅和讃」 めるくまーる社
 「臨済録」 めるくまーる社
 「ダンマパダ」 瞑想社 ・・・・・ 経文のみ、Q&Aは省かれている
 「黄金の華の秘密」 めるくまーる社 ・・・・・ 経文のみ、Q&Aは省かれている
 「不滅の言葉」 瞑想社 ・・・・・ 経文のみ、Q&Aは省かれている
 「モジュッド:説明できない生を生きた人」 OEJ
 「英知の辞典」 めるくまーる社 ・・・・・ 原書の10分の1を翻訳者が選出

 「魂の科学」、「喜び」、「死について41の答え」、「勇気」などは、原書が編集本であるため、ここには挙げていない。
 英書は編集が可能だということも、おかしな話だが・・・。現に英書では編集本が続々発行されている。

 ようするに、これらの本は、結局は完全な翻訳の形では発刊できないことになっている。
 まあ、版権がこのような状態だから、それを心配しても仕方が無いかもしれないが・・・、


 ニューヨーク本部からの連絡は、いまだにないらしい・・・。




 
3月14日

 版権の連絡は未だ無し。出版予定は出版社の計画よりも版権認可の時期次第となっている。まったく気まぐれな、見通しの立たない先行きだ。 この分だと、うまく事が運んでせいぜい1年に1冊の出版ペースとなるか・・・? 
 現在、出版社に届けてある翻訳は、冊数にして9冊分。年1冊として9年かかる・・・? 翻訳のペースは年3〜4冊。

 かなり余裕があるから、しばらくはOshoの翻訳から離れて、神智学の翻訳に移ってもいいかも・・・・。
 「シークレット・ドクトリン」、「エソテリック・ブッディズム」、「アトランティス物語」、他にリードビーターの死に関する本など・・・。

 現在は、Yoga:The Alpha and The Omega Vol.2 と、Krishna: The Man and His Philosophy を同時翻訳中。 どちらも異なる意味でおもしろい。パタンジャリは分析・方法論として興味深く、かなり深い洞察的講話が続く。 どこかの浮ついたサニヤシンが批判するように、これこそ重くて暗いと言えるかもしれない。まあ、嫌なら読まなければいいだけだし、いずれにせよ、出版されるとしても、かなり先の話だろう。
 私個人としては、こういう話は大好きである。徹底的に、自分の好きなように訳していくつもりだ。

 そしてクリシュナ・・・、こちらはまさに霊的な憧れとして興味深い。 クリシュナのように生きられたら最高だろうな。 となると、やはり「Gita Darshan」の翻訳も気になってくる。




 
3月15日

 気になるGita Darshanの各章の内容を調べたら、全てヨーガに関するものだった。
もちろん、ヨーガはパタンジャリの専売特許ではなく、この講話の原典であるバガヴァッド・ギータは、ほとんどヨーガについての教えであるから当然だろう。

講話時期 英訳 出版年
1 1970年 11/29-12/7 1 Arjuna Visada yoga Gita Darshan 2012年
12/28-12/30 2 Sankhya yoga
1971年 1/1-1/6 3 Karma yoga Gita Darshan, vol.2 2013年
2 1971年 1/30-3/23 4 Gyaana Karma-Sanyasa yoga
5 Karma Sanyasa yoga
3 1971年 5/2-5/30 6 Dhyan yoga
7 Gyaana ViGyaana yoga
4 1971年 11/25-1972/1/5 8 Aksara Brahma yoga
9 Raja Vidya Raja Guhya yoga
5 1972年 5/6-5/20 10 Vibhuti Vistara yoga
?-1973/1/14 11 Visvarupa Darsana yoga
6 1973年 3/13-5/13 12 Bhakti yoga
13 Ksetra Ksetrajna Vibhaga yoga
7 1973年 12/1-12/10 14 Gunatraya Vibhaga yoga
1974年 3/5-3/11 15 Purusottama yoga
3/30-4/6 16 Daivasura Sampad Vibhaga yoga
8 1975年 5/21-8-10 17 Sraddhatraya-Vibhaga yoga
18 Moksha Sanyasa yoga

 ただ、英訳のGita Darshantが2013年のVol.2までしか出ていないのが気になる。
 単なる翻訳の遅れか、それともやはり版権の問題によるものなのか・・・。
 これこそ、全巻を英訳出版してほしい。 本当に版権の問題はどうにかならないものだろうか・・・。
 ニューヨーク本部のOshoファウンデーションは、いったい何を考えているのだろう!?




 
3月16日

 ナルタンのOsho体験本「インナーラビリンス-自分という名の迷宮」が発売されている。
 Oshoの講話が出しにくい状況では、こういったサニヤシンの体験本を出すしかないかも・・・。これはこれで興味深い本だが、ナルタンはラジニーシプーラム時代、オレゴン・コミューンでのフェスティバルへの日本人参加を率先して勧めた人であり、コミューン建設のためのドネーション(寄付金)を半ば強引に集めた人だとも聞いているが・・・。

 まあ、あの頃はみんなラジニーシプーラムに熱中していて、そのコミューンのために関わらない人はサニヤシンにあらず、Oshoの弟子たる資格なし、という風潮が強かったからな・・・。 そのあたりのトラウマは、まだ自分から消えていない・・・。

 こういう、他人の体験談を知って、それでどうすればいいというのだろう? 

 Oshoは既に肉体的には存在していない。 プネーのアシュラムは半ばリゾート化し、サニヤシンでない人が管理し、その滞在費用はずいぶん高くなっている。金持ちのバカンスの場という雰囲気か・・・? 
 既にインナー・サークルは崩壊状態みたいで、噂では、アメリカ系とヨーロッパ系が対立・分裂したとか・・・、 Oshoの写真はアシュラムには1枚もないらしく、ブッダ・ホールに長くあった演壇とOshoの椅子もなくなり、サマーディ・ハウスにあったOshoの遺灰も既に消失している、という話もある・・・。


 まあ、現状がどうであれ、経済的に余裕のない私は、アシュラムに長く滞在することはできないし、セラピーに対する不信感はあるので、そういうものを受ける気もなく、そもそも参加費がべらぼうに高い。貧乏人には関係のない話。

 ある意味、こういう体験談が書ける人は恵まれた、幸せな、機会を取り逃さなかった人だと言えるだろう。

 それに比べて私は、その機会を取り逃がした者と言えるかもしれない。 ただ、それを不運と見るか、恩恵と見るかは自分しだいだけれど・・・。それに関連したOshoの話が、現在翻訳中のパタンジャリの講話に出てくる。

 お金もなく、サニヤシンに対するトラウマ・不信感を持つ私としては、Oshoの教えは翻訳を通して得て、Oshoの臨在は、その講話のビデオを見たりオーディオを聴いたりして感じるしかないだろう。 だからOshoアーカイブから出来るだけ多くOshoの講話ビデオを集めていきたい。


 まあでも・・・、こういう古株のサニヤシンが自分の体験談を本にするのもけっこうだが、ここで何度も取り上げている版権を取得しにくい現状、ニューヨーク本部の権力的構造に対して、彼ら古いサニヤシンたちこそが何らかの声を上げて事態改善のために働いてほしいと思うが・・・。 彼らは彼らなりに自己完結しているのかもしれないな・・・。 所詮、過去の、黄金の70年代を懐かしみ、いまだにコミューン造りを夢見ているのかもしれないか・・・。




 
3月17日

 朝から晩までただOshoの翻訳だけをしているのだから、考えたら、1日中Oshoに関わっていることになる。これがOshoに明け渡しているのかどうかはわからないが、自分でそうしようと努力しているわけではなく、ただ、そうしたいからしているだけ・・・。
 要は、それ以外のものにほとんど興味が持てなくなっているからだ。

 他に楽しめるものと言えば、70年代に知ったものが中心になる。その頃知った音楽、本、美術など・・・。
 現在の世の中にあるものには、ほとんど関心が持てないし、心を躍らせるものがない。
 だから、Oshoはよく、ゾルバ・ザ・ブッダの生き方を言うが、私にとってゾルバの部分に引き寄せられることはあまり多くない。

 明け渡しについては、たぶん過去のサニヤシンたちが最も誤解していたことだろう。彼らは一様にOshoに明け渡すことを強いていた。つまり、服従と同じ意味を持っていた。
 これも翻訳を通して理解できたことだが、明け渡しは外から強制されるべきものではない。強制されると、当然反感を生み、傷が生じる。 明け渡しは自然発生的に起こらなければならない。 そして、明け渡す対象は問題ではない。何でもいい。要点は明け渡しの質にある。
 そして一番の重要点は、明け渡しているかどうか、ではなく、エゴがあるかないか、だ。明け渡すということは、エゴを消すということ。つまり、エゴがないことがポイントであって、明け渡しはその結果でしかない。

 つまり、自分を消すこと、これは世間的に見たら完全に敗北である。いわゆる負け犬、負け組みと呼ばれる状態になる。
 もともと私は子どもの頃から生きることにあまり興味がなかった。野心や出世欲は全くなくて、負けず嫌いな部分はほとんどなかった。自分が負けて事が納まるならそれでいい、という感じだった。

 だからこれは、スピリチュアルを理解できない人からは嘲笑や非難の対象になるし、だからそういう状態を受け入れてくれる場、ブッダフィールドが必要になる。そういう場がプネーのアシュラムなのだが・・・。

 アシュラムで長期間瞑想していれば、成長も早いだろう。 私にはそんな経済的余裕はないが、一人でこつこつとOshoの翻訳を約5年も続けてくると、それなりに自分に変化が起こってきたようにも感じられる。 その変化の速度は遅々たるものだが、おかげで、これまでのわだかまり、誤解、理解できなかった点などが少しずつ解決されていった。
 別に今生で光明を得ようなどとは思ってもいないし、そんな期待もないし、絶対に不可能であることはわかっているが、少なくとも、生まれてきた状態よりかは少し良くなって人生を終えたいと思う。若い頃、人生の前半は、ほぼ自虐的なうつ病状態だったから、その頃に比べたら少しは変わってきたように思える。

 ただ今でも、こんな自分がサニヤシンになったのは時期が早すぎたのではないか、自分はサニヤシンにふさわしくないのではないか、という思いは今でもある。私のようなタイプのサニヤシンを、他に知らないからだ。

 自分を特別な存在だとは思わないが、人より変わっているとは感じている。
 少なくとも、誰かから理解されたという実感は、これまで全くない。もちろん、サニヤシン、セラピーも含めて、だ。セラピーといっても、当のセラピストが俗っぽい世間的な価値観しか持っていないことが多かったので、ただその価値観を押し付けられただけだった。
 改めて言うが、セラピストはOshoではない、セラピストは光明を得ていない。ただ、セラピー・テクニックを知っているだけ・・・。

 わずかに自分を受け入れてくれ、理解してくれたのが、Oshoであり、もう一つは竹下気学だ。
 逆に言えば、他のものは私にとっては何の役にも立たなかった。最初は何も知らないので、それぞれのものを信じ、それに関わってきたが、ほぼ全て期待外れ、または裏切られてきた。

 だから今でも、この世界で生きていることに違和感がある・・・・・。
 だから、一人になっている。

 ただ、Oshoとの不思議のなシンクロはある。
 例えば、1974年3月に、Oshoはムンバイからプネーに、今のアシュラムに移っている。
 私は同年同月に、親元の大阪を離れて京都で一人暮らしを始めている。
 1990年1月に、Oshoは肉体を離れるが、同年の6月に私は母を亡くしている。

 サニヤスを取った1982年に、Oshoがインドではなくアメリカにいたことに、当時の私は落胆した。なぜインドにいないのか?なぜアメリカなのか?インドとOshoは、私の中ではセットだったのだ。アメリカのOshoなんて、まったく受け入れ難かった。
 当時のサニヤシンたちは、アメリカのコミューン誕生に熱狂していたが、私はほとんど共感できなかった。 私は、サニヤスを取った翌年の1983年に、初めてインドに一人で旅に出た。

 今、唯一悔やまれることは、インドでOshoに会いたかったこと。

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 ナルタンの本から連想して、シュンヨの「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」という本を手に取った。同じサニヤシンの体験話で、本自体はずいぶん前に買ったものだが、まだ完読していない。部分的に少しちら読みした程度。 このシュンヨという人のそもそものOshoとの出会いが、物質的・世俗的には全てを手に入れたが、それでも物足りなくなって・・・・、という動機からだから、まず出発点から自分に共感できる部分は無い。あまりに境遇が違いすぎる。自己葛藤や悩みなどを吐露するところが感じられない。
 ただ、ラジニーシプーラムでのシーラの横暴と、コミューンの崩壊、ワールドツアーでの様子などは、サニヤシンの目から見たものが書かれてあるので、いずれじっくり読んでみたい。
 Oshoのワールドツアーの状況は、私が訳した3冊の本で詳しく知ることができたが、それ以上の詳細がこれに書かれてある。
 ただ、それ以上に、どうでもいい話も多い。唯一興味があるのは、所々に引用されているOshoの講話くらいだろう。

 また久々にバヴェッシュのサイトを覗いたが、さっそくこの「インナーラビリンス-自分という名の迷宮」を取り上げていた。それもたいそう持ち上げている。待ちに待った本だ!という感じ。 まあ、どちらも初期の日本人サニヤシン同士なので、お互いに共感できる部分が多いのだろう。
 シャルノが亡くなった後は、これからはナルタンが活躍する番だ、ということを言ってコメントを締めくくっている。
 正直に言って悪いが、そのコメントのバカらしさに、ただあきれ返っている・・・。

 他に、「死について41の答え」や「勇気」についても取り上げているが、私の翻訳本「炎の伝承 1, 2」と「死ぬこと 生きること」は取り上げられていない。完全に意図的な無視だろう。
 以前に、そのサイトで、バヴェッシュが「神智学大要」という本をブラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」からの引用がほとんどだ、という知ったかぶりのコメントを書いていて、私がそれは違うということを指摘したら、アクセス拒否を受けた。
 それでも検索すれば簡単にサイトに行き着くが、まあ、私の翻訳本をあえて無視しているのもそれが原因としか思えない。誤りを指摘されたことで気分を害したのだろう。

 3月も半ば過ぎ、市民出版社のブックフェアの知らせもまったくない。

 抵抗・反逆のしようのない静かな一部のサニヤシンのパワートリップが続いている・・・・・・

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 私がサニヤシンに対してトラウマ・嫌悪感を抱くようになった原因は、

 サニヤシンになったばかり、九州の仲間たちとで瞑想キャンプをしようとして、客として東京からミュージック・グループを招いたが、そのグループのある女が、使用していた会場が汚いとかいって、私たち九州のサニヤシンたちに掃除を命令・強制した。主催者は私たちなのに、だ。その女は特に私に向かって、もっと気合を入れて掃除しろ!と怒鳴ってきた。
 それが、私が出会った最初の東京のサニヤシンである。

 また、別の場合では、ラジニーシプーラムのフェスティバル参加の説明を私がした後、ある女がコミューン永住に関する説明を聞いていないといって、その事で、電話でまた東京の女のサニヤシンからなぜ説明しなかったのかと怒鳴られた。

 説明を怠ったくらいで、そこまで怒鳴られることなのか? 旅行に必要な事ならまだしも、永住権についてなのだ・・・・、しかも、そのコミューン自体は2年後に解散しているのに。永住権もへったくれもない。

 また、関西の瞑想センターに行った時は、そこのスタッフがみんなやたら私の顔をじろじろ見てきた。それも目を合わせて長時間だ。誰だって気分がいいものではないだろう。

 また、初めてプネーのアシュラムに行った時は、英語が出来なかったので日本人の通訳を頼んだが、そいつがちくちくと、なぜ英語を勉強しないのだ、Oshoは英語を学べと言っただろ? と文句を言い出してきた。それもしつこく・・・。
 Oshoがそんなことを言ったなんて知らないし、それに、瞑想より英語の方が大事だとも知らなかった。
 正直、じゃあなぜお前は通訳を引き受けたのだ、と思った。

 そして極めつけは、アイコの個人セッションで、最後の時にアイコは私を徹底的に罵倒してきた。罵倒である!そして、そのままセツションは終わった。何のフォローもなく・・・。後にはアイコの満足そうな顔が残っていた。

 さて・・・・、これらに何か深い瞑想的な意味でもあったのだろうか? 
 私がこれらに傷つき、それでサニヤシンが嫌になったのは、間違っているのだろうか? 私は何かを取り逃がしたのだろうか?

 こんな体験をさせられて、どうやってサニヤシンに心を開くことができるだろう?




 
3月18日

 ナルタンの本を、ただの読み物として読むなら、それは非常におもしろいかもしれないが、私はそれを自分に当てはめる。
 では、今の自分はどうなのか? 今の自分に何ができるのか?と。

 その結論が、前日の日記の内容になる。

 これが現在の私の姿、本音である。 要は、それを直視すること・・・。

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 他のサニヤシンに対する関心は、ますます薄れて行く。どうでもいい、というか、共感できる部分が少ない。共有できる部分がない。
 一般的な他人に対しては、なおさらだ。 関係性は、私にとっては重荷でしかない。 子どもの頃からそれを感じていた。 集団行動はただストレスだった。 本当に分かり合える友人だけがわずかにいればいい、と思っていた。が、それも叶わぬことが後になって実感した。 だからそれも求めなくなった。

 そんな私が、過去に2年間もOshoの瞑想センターで集団生活していたのだから、当然無理なことだったのだ。

 だが、そういう経験は、逆に自分という人間のタイプを知るためのいい環境だったのだろう。それを際立たせるために、はっきりと自覚するために・・・。 問題は、そんな自分のタイプを自分が受け入れられるか、ということだ。それで問題ない、と自分に納得させられるか、ということ。
 それが難しいのは、普通は、特に日本人は、他人に合わせて生きているから、他人の評価を基準に考えているからだ。
 個性的な人が、独自な人がこの社会で生きていくのは難しい。 集団から浮いてしまうから、集団になじめないから。
 そして集団になじめないことで、自信をなくし、自己嫌悪に陥り、罪悪感を感じてしまう。ようするに、生き辛くなる。
 誰か理解してくれる人がいれば、助けにはなっただろうが、私には誰もいなかった。ただ、嘲笑と批判の半生だった。

 自分を受け入れられるようになれたのは、本当にここ数年のことだ。それは、一人になれたことと、〜つまり他人からの雑念から解放されたこと〜、そしてOshoの翻訳が助けてくれたことが大きい。

 そして過去の経験から、誰にも依存しなくなった。
 その意味で、うつ病になったりドラッグ中毒になったりする人の心情が、私にはよくわかる。心理的に弱い人の気持ちはよくわかる。

 Oshoの翻訳は、本当に自分を導いているという実感がする。今の自分に必要なことが、そのときに翻訳している講話に出てくる。
 何を翻訳するかは自分で決めているのだが、本当はOshoに決めさせられているのかもしれない、という感じがする。

 やはりここで、スピリチュアルの言葉が思い出される。つまり、この世に偶然はない、全て必然である、ということ。




 
3月19日

 要は、自分にとって苦手なものを克服することが成長につながり、そこから逃げることは良くない、という考えに長い間囚われていたのだろう。
 逆に、自分の好きなことに没頭することは、自分を甘やかすことだ、という考えにも・・・。
 それは、子どもの頃から親に、自分は甘えている、わがままだ、という批判を言われ続けてきたからだろう。それに対する反動として、自分に無理を押し付けてきた、自分を殺して生きてきた、自分を否定して生きてきたのだろう。
 つまり、長い間、あるがままの自分を受け入れられなかった。受け入れることに罪悪感を感じていた。

 自分は他人よりも成長が遅れているのではないか、という劣等感は常にあった・・・・・。その原因は家庭環境、親の性格からきているのは当然だが、それを基礎として育ってきたのだから、自力でそこから抜け出そうとも、その方法がわからない、モデル・理想とできる人がいない、周囲は無理解な人からの表面的な批判しかない・・・・。そんな状況で悪戦苦闘して、Oshoにたどり着いたわけだが、そのサニヤシンの世界でも同じことが繰り返されたということ。

 最初から、サニヤシンの世界は嫌だった。しかしOshoとは関わりたかった。それでも直接Oshoに会うことは、当時の私には無理だった。Oshoはインドではなくアメリカにいた。アメリカのコミューンに行くにはサニヤシンの集団に加わらなければならかった。私の嫌いな集団行動に・・・。
 だから他のサニヤシンを通してOshoと関わるしかなかった。Oshoを直接的に、個人的に知らないから、他のサニヤシンのOsho像をそのまま受け入れるしかなかった。それでも、Oshoの本から読み取れるイメージとはずいぶん違う、という違和感はずっとあった。

 要は、自分の最初の直感を素直に受け入れていればよかったのだろうが、そんな勇気も自信もなかったのだ。

 そこへ最初の、苦手なものを克服することこそ成長なり、という条件付けから、自分を無理強いしてサニヤシンと関わり始め、その結果としてさんざん傷つけられた、不信感に陥った、というわけだ。
 そうなることは最初から自分の中ではわかっていたはずだった。ただ、自分を信頼することができなかった。

 これはあくまで、私個人の感じたことだ。他の人にとっては、サニヤシンの世界はまさにパラダイスのようなものかもしれない。それは人それぞれだ。


 この日記も、最初は年度別に分けていて、2015年から月別に分け始めたが、今年からは毎日に分けた方がいいほど、3月は書く分量が増えてきた。この日記はホームページ・ビルダー8で作っているから、ブログのような他人からのコメントを受け付けるような機能はない。
 まったく個人的に感じたことを書いているだけだから、見知らぬ人から好き勝手なコメントをもらってもややこしくなるだけ・・・。

 まったく自分のために書いている。それは自分の精神状態の変遷の記録であり、自分を客観的に見つめ直す上ですごく役に立っている。

 人生60年を迎えて、ようやく自分らしく自由に生きられるようになった、と思う。




 
3月20日

 数日前にバヴェッシュのサイトへ、なぜ私の最近のOshoの翻訳本が取り上げられていないのか、という質問を送ったところ、次のような返答が同サイトに載っていた。返答・・・といっても、まったく質問には答えていない。ただ長々と弁解じみた文が続いているだけ。
 これがそのサイト・・・
 
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-0fc2.html 

 よく読めば、いろいろとつっこみたくなる矛盾点、おかしな点があるが、一つ一つ取り上げるのもめんどくさい。ようするに保身に入ったといってもいい。私はただ、そのプログに取り上げられていない理由を単純に知りたいだけなのだが、彼は取り上げるように強制されているように感じたのかもしれない。また、自分はOshoマニアではない、とか、Oshoのことはほとんど知らない、とか言っている。私にとってそんなことはどうでもいいのだが・・・。
 しかし彼は最古参のサニヤシンであり、プネーでの滞在も長いらしく、自分の過去生も見えたりカウンセリングもしていたらしい。そう本人が言っているのだ。過去生でOshoと深い関係にあった、とも言っている。そんな彼が、自分はOshoのことはほとんど知らない、と言う・・・。
 ・・・・ただ、あきれるだけ・・・。




 ナルタンの「インナーラビリンス-自分という名の迷宮」では、最後のところで、彼女がOshoから光明を得たと宣言された、という話をしているらしい。
 同じ内容の話が、「ビヨンド・サイコロジー」の10章の中で語られている。どうせこの本もしばらく長い間は出版されないだろうから、その全文を紹介する。
       
Osho、サニヤシンに光明を得たと宣言する・・・



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 Oshoのエンライトメント・デイを明日に控えて、これまで持っていたサニヤシンへのわだかまりを大分ここに吐き出すことができたかもしれない。
 この日記は私のカタルシスなのか・・・?

 まあ、あの質問コメントを送ったことで、Oshoの翻訳出版の現状を他の人にも知ってもらえる機会が広がったかもしれない。
 だからといって、この状況が好転するとは思えないが・・・。

 翻訳中のパタンジャリのヨーガの講話は本当に興味深い。私の好みに合っている感じがする。現在7章まで来たが、ジョークの類は一切出てこない。
 思えば、最初の翻訳「アテーシャの知恵の書」ではジョークが多かった。それも英語でないと意味が通じないものが多かった。なぜあの講話ではあんなにジョークが多くて、このパタンジャリの講話ではまったくないのだろう?




 
3月21日

 改めて、OshoファウンデーションがOshoの本の出版に規制しているものを挙げてみる。

 (1) 表紙にOshoの写真を載せない
 (2) 講話が行われた年月日を記載しない
 (3) Oshoのプロフィールを記載しない
 (4) 翻訳者の後書きを記載しない
 (5) ダルシャン・ダイヤリーは出版しない
 (6) 編集本は出版しない
 (7) 出版権使用料は本商品の1000冊分の金額を前払いする

 私が知る限りこういうものがある。
 ちなみに、(3)のOshoのプロフィールの規制については、市民出版社によれば突然言い渡されたらしい。
それも、「なぜOshoのプロフィールを載せるのだ?必要ないだろ?」という言い方で・・・。
 (1)の表紙のOshoの写真については、Osho自身が自分の写真を本の表紙に載せることの大切さ、その瞑想的意味を語っているのに・・・。旧プネー時代では、Osho自身が自分で写真を選んでいた。特にその写真の「目」を基準に・・・・。
 (2) 講話日が記載されない問題は、後になってOshoの講話の時間的流れがまったくわからなくなってしまう危険がある。Oshoファウンデーションは、それをあえてやろうとしているように思える。
 それは、Oshoのプロフィールを記載しないこと、ダルシャン・ダイヤリーを出版しないこととも繋がってくる。
 ようするに、Oshoという存在がこの世界に生きていたという事実を消したいのだろう。要は、Oshoの言葉だけ残せばいい、という思惑なのだろう。

 だがこれは、あくまでOshoファウンデーションの解釈・意向である。 はたして、これに賛同するサニヤシンがどれだけいるのだろう?

 正直、20数年後の版権解禁まで待てないという気持ちはある。 あまりに出版が長引くなら、自分の翻訳したものだけでも、このホームページで公開してもいい。現在、9冊分の翻訳が未出版のままだから相当な分量にはなるが・・・。それでも、このページへのアクセスはまったく微々たるものだから、それもあまり意味はないかもしれない。 いずれにせよ、ただ黙ってこれらの規制に従うのもつまらない。何らかの形で突破できないものか・・・。

 Oshoの講話の原文は、英語・ヒンディー語の両方がpdf形式で自由に手にいれらるサイトがある。いつか規制がかけられて、そのサイトも閉じられるかもしれないから、関心のある人は今のうちにアクセスしておいた方がいいだろう。




 
3月26日

 Yoga:The Alpha and The Omega Vol.2 の7章まで翻訳が完了したので、Krishna: The Man and His Philosophyの全章の内容をざっと通して見てみた。全体的な印象として、まさにクリシュナ賛辞という講話だが、やはりインド人にとって身近な話題が多い。インド人の関心を呼び寄せるため、という感もするが、この辺り、日本人としてどこまで関心を持っていけるか、詳細に訳していないからわからない。特にインド哲学に関心のある人にとっては興味深い講話だろうが、私個人として最も興味のある章は、第15章の死後の生と再誕生で、これは先行して翻訳した。また、14章も、神智学のアリス・ベイリーについて語られているので、この章もおもしろそうだ。

 アリス・ベイリーは後に神智学協会に幻滅してそこから退くが、チベットのジュアルクール大師からの教えをテレパシーで受けて本に書き留めた。その翻訳を土方三羊という人は約30年にわたってひたすら行っている。
 つまり、クリシュナの講話のこの章では、他のマスターから啓示を受けることは可能なのか、ということが討論されている。チャネリングのような類になるのか・・・。

 クリシュナについての講話の中で、このようなエソテリック(秘教的)な内容が語られるということは、クリシュナ自身が秘教的な存在だと言えるかもしれない。割と特異な講話に思えてくる。
 秘教的というなら、このパタンジャリについての講話もそうだ。この第2巻からじんわりと秘教的な話が出てくる。それは「魂のヨーガ」や「魂の科学」からは読み取れないだろう。
 つまり、このYoga:The Alpha and The Omegaは不思議な講話とも言える。内容はかなり濃くて深い。Oshoの本の中ではかなり難しい部類に入るかもしれない。

 Oshoは後に、初期の頃は人々の関心を寄せるためにクリシュナや老子、仏陀など、過去の聖人を通して語ってきた、と言っている。そういうことを止めたのはラジニーシプーラムで長い沈黙から再び話し出した頃になる。
 そのあたりをふまえると、クリシュナを全章訳するという意欲が若干そがれてしまう。




 
3月29日

 3月も終わり。版権の連絡は未だなし。Oshoブックフェアはいつになることやら・・・・。

 ネットで見ても、Oshoインターナショナル・ファウンデーションに対して疑問視するコメントが英文サイトで見つかる。
 その中の一つ、Oshoのワーク、PDF、印刷、電子メールに対する著作権主張の歴史The History of Copyright Claims for Osho’s Workを翻訳して、新たにOsho版権に関する問題というページを作った。
 他のサニヤシンが訳したOshoの版権に関する文章コミューンへの公開質問、アシュラム、幻想、資料集も参考になる。

 Osho Copyright and Trademark このサイトも興味深く、1部を翻訳して載せた。また少しずつ翻訳していきたい。

 ただなんとなく、全体的にサニヤシンの世界は退廃しつつあるように感じるな・・・。
 こういうサニヤシン同士の対立というものは馬鹿げているし、寂しいものだ。




 
3月30日

 以前に、OIFがOshoの出版物にOshoの顔写真を載せることを禁じているにもかかわらず、インドで出版されているOshoの本には堂々とOshoの写真が使われていることの矛盾について書いたが、それに関連するコメントが下にある。


 ヘラクレイトスは語る:       2010年4月4日

 複数の著作権違反が特にインドにある。何も法的にこれらの人々に起こっているようには見えない。それは全て少し奇妙な事だ。 私はアムリットとジャイエッシュがインドではあきらめたのだろうと推測する。
 しかし彼らはまだ、明らかに他のどこかで著作権を犯している人たちへ法的通告を送っていて、その違反を犯している人々を脅迫しようとしている。インターネットに関しては、それは多かれ少なかれ全く自由な一帯のように見える。そして人はあらゆるところでOshoの著作やその他のものを見る。カリフォルニアの誰かで、著作権問題を法的にも調べ出そうとする者はいなかったのだろうか?
 肝心なことは、まだ手配中のものが50冊以上あると何人かが言う未出版のOshoのヒンディー語本とそれらの翻訳だ。 それらのテキストはうまく秘密裏にされていて、普通の弟子が近いうちにそれらを読む見込みがないように、どんな将来的な出版もうまく守られている!


 ちなみに、韓国では昔から版権を無視して出版されている。

 律儀な日本ではそういう行為は無理か・・・・?

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 話によれば・・・、「The Long and the Short and the All」の版権申請は去年の11月に為されたらしいが、これほど長く返答がないのは初めてらしい。逆に、版権違反の行為があるなら、それはすぐに見つけられて忠告されるらしい。 特に、Oshoインターナショナル・ファウンデーション (OIF) に批判的なものに対しては厳しいらしい。独裁的、権力的だな。まるで北朝鮮みたいだ。
 ようするに、状況はますます悪化し、異常な、馬鹿げた状態になっていっている。

 だから、私が作ったOsho版権に関する問題というページも、いずれOIFの警告の対象になる恐れがあるらしいとのこと。
 でもこれは、他のサイトに載ってある文章を翻訳して転写しただけのものだし、私個人の意見・批判は何もない。万が一警告されるとしたら、そのオリジナルのサイトが先だろう。これは完全に反Osho的、反サニヤシン的な行為だ。
 私の理解では、サニヤシンとは自由を最も愛し、自発的に、妥協せず、反逆的に生きる者だ。だからこのページの削除を助言されたが、そうするつもりはない。どんな脅迫が来るのか見てみたい。しかも、それをしようとしているのはサニヤシンなのだ。

 数年前、「喜び」が発売された時、Oshoの再ブームが始まったと喜んだ人は多かったが、残念ながらそのブームは終息に向かっている。私は、このブームは数年で終わるだろうと言っていたが、まさかその原因が同じサニヤシンによるものだとは予想できなかった。
 ナルタンの新刊本が、最後のともし火になるのだろうか・・・・。

 となると・・・、やはり翻訳では一冊を完訳しようという意欲がそがれてしまう。
 まあ・・・、自由気ままにやればいいだろう・・・。




 
3月31日

 「The Long and the Short and the All」の謝礼分として、サクシンよりOshoアーカイブ・ビデオから「Zen:Zest,Zip,Zap and Zing」の講話ビデオを4巻いただく。 この講話にこだわったのは、この講話が行われた時期に、Oshoの弟子でハノーヴァー王子のヴィマールキルティが光明を得て肉体から離れている、その葬儀の様子がヒデオの中に収まっていないかという期待からだったが、やはりそれはなかった。
 ただそれでも1980年の講話だから、プネーのアシュラムでの若いOshoは本当に魅了される。

 市民出版社のOshoブックフェアは、一応4月29日から約1ヶ月催されるらしい。翻訳した「The Long and the Short and the All」は「真理の扉」という邦題で出す予定だったが、版権がこのような状況だからそれに間に合わず、代わりに「奇跡の探究 U」の改訂版が出されるらしい。

 OIFについては、ただ出方を待つしかないということ〜。確かにどうしようもないしな・・・・。
 ただ、一つ言えることは、確実にOshoの教えと魂は消えつつあるということだ。一部の権力と野心に狂ったサニヤシンの手によって消されつつあるということ。問題は、彼らを止めることのできるサニヤシンが誰もいないということだ。
 特に、主要な人物であるプラモードは1990年以降にサニヤスを取っている。つまり、肉体の中に生きていたOshoを知らないわけだし、ただ観念的な理解しかないのかもしれない。西洋人だから当然Oshoの教えよりもキリスト教的条件付けの方に影響されているだろう。
 うがった見方をすれば、Oshoの世界を壊すためにサニヤシンになった、と言えるかもしれない。

 サニヤシンだからといって、Oshoの教えを理解しているわけではない。彼らはその代表的な例だろう。
 まあ、このような自分のエゴを満足させるためにサニヤシンになったような人は日本人のサニヤシンにも多くいたけれど・・・。

 ようするに、本物の人、真摯な人というのは、ほんのわずかしかいないのだろう。古いサニヤシンがなんとかしてくれないのか、と思ったりしたが、所詮彼らも同じ穴のムジナだったのだろう。OIFの一人のアムリットはOshoの主冶医師だったのだから。
 権力を持ったら人間は変わる、ということだろう・・・。




    




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