7月 5日
「ビヨンド・サイコロジー」の翻訳で、またもやOshoのワールド・ツアーの様子が語られている。
自分としては少々うんざりしている。というのも、先に訳した「炎の伝承」と「Osho:
The Luminous Rebel」の中でも、さんざん同じことが語られているからだ。まあ、同じワールド・ツアー中のウルグアイでの講話だから、当然だろうが・・・。
ここでわかることは、ワールド・ツアーのOshoは、全世界の国々から拒絶されていた、ということ。
つまり、Oshoには住むことのできる場所がなかった、ということだ。これは全てアメリカ政府からの指示によるものだったのだが。ワールド・ツアー中、ウルグアイだけが3ヶ月間の長期滞在を許しているが、これはウルグアイの大統領がOshoの熱心な賛同者だったため。だがそれも、アメリカからの圧力によって出国を余儀なくされる。
Oshoが生きていた時は、全世界が彼を非難し、Oshoが肉体を離れてからは、全世界から彼を称える賛辞の声がある。
これは、ようするに、いなくなれば、彼によって面倒なことが起こらずに済むからだ。つまり、安全になったからだろう。
こういうことはOshoに限らず、他の場合にもよく見られる。生きているうちは認めず、死んでから認める、ということは・・・・。
だが、少し下世話な興味になるが、この約8ヶ月間のワールド・ツアーで、いったいどれだけの費用がかかったのだろう。
専用ジェット機の使用料、燃料費、滞在費、逮捕後の保釈金、滞在のための賄賂など・・・・、これらは全て、同行していたサニヤシンたちのお金から工面されていたはずだから・・・・。
ただ、個人的には、この頃のエピソードに関する翻訳は早く終えたい、というのが本音。どうしても気が重たくなる。欺瞞に満ちた世界についての話は・・・、そして、現在も、それは何も変わっていないように見えるし〜〜。
正直、やはりヒンドゥー系やチベット系のエソテリックな講話の翻訳が好きだ。
まあ、これも自分が選んだことだけれど・・・。
7月 9日
匿名の方より「サイレント・エクスプロージョン」の出版を要望する内容のメールが送信されてきた。
こういう反応があることは、とても嬉しいし、刺激になる。けっこう、この日記も読まれているのだな・・・という実感〜〜。
リクエストの理由は、やはり、以前「マイトレーヤ」に掲載されていた高僧謁見記
(ラマ・カルマパ僧との謁見記) の原書が、この「サイレント・エクスプロージョン」であることだからだ。それだけ、このエピソードが強烈で影響力がある、ということだろう。
Oshoの講話の本は多いが、そもそも、Oshoとは何者か?ということについて第三者が書いた本は、以外と翻訳されたものはほとんどなく、だから、Osho自身については、まだまだ知られていないことが多く、そのためにも、このエピソードが載せられた当書が出版されることの意義は大きいと思う。
それと合わせて、先に翻訳した「Osho: The Luminous Rebel」も同様に・・・。
この「サイレント・エクスプロージョン」の翻訳について、最初、市民出版社に話したところ、それほど大きな印象は持たれなかった。他の本にも同じ翻訳箇所があることを伝えると、あまり出版には乗り気ではなかった様子。
実際、市民出版社は1992年設立で、「マイトレーヤ」が発行されたのは1988年だから、出版社側はこの本〜高僧謁見記のことを知らなかったようだ。それで、この「サイレント・エクスプロージョン」の翻訳を送ったところ、驚きの内容だと衝撃を受けたようで、ぜひ出版したい、と言ってきた。
この原書は、私が所有しているものは1973年出版のもので (左の画像)、これは現在絶版。
2012年に改訂版がネパールから出されていて (右の画像)、市民出版社はさっそくこの原書を取り寄せた。
出版社としても、この「サイレント・エクスプロージョン」と、「Osho: The
Luminous Rebel」の2冊は、特に強く出版する方向で進めているようだ。
Oshoについての本で、特に忌まわしいものが「ラジニーシ・堕ちた神(グル)」というもの。
私は読んだことがないし、読む気にもなれないが、この本がどの程度世間に知れ渡っているのかは知らないけれど、この本の著者がどういう人物で、どういう経緯でこの本を書いたのか、ということを知らなければ、この本からひどい誤解を受けてしまうのだが、
でも、だいたい世間では、こういったバッシングものの本というのが注目を集めるものだ。
そもそも、この本の著者ヒュー・ミルンは、Oshoの古い弟子ではあるが、1980年以前のインド・プネーでOshoの秘書だったラクシュミのボディ・ガードの役割をしていた人で、そのためか、古いアシュラムでのOshoとサニヤシンたちとの会合の写真では、たいていこの人がOshoの傍に座っている。
だが彼は自分がOshoのボディ・ガードをしていると勘違いし、自分はOshoにとって特別な存在だ、というエゴが強くなっていったのだろう。それが、アメリカのラジニーシ・プーラムに移ると、役割が変わってコミューンの門番みたいな位置に付かされた。そのことで彼のエゴは傷ついたらしく、その怒りからこの本を書いたらしい。後に彼はこの本を出したことを後悔したらしいけれど・・・。ある噂では自殺未遂をしたとも言われている。
そのあたりの詳しいことは、1992年発行の「Osho Times 36号」に載っているけど、その話が抜粋された講話は「From Bondage to Freedom」、「From Death to Deathlessness」、「From Unconciousness to Consciousness」、「The Path of the Mystic 神秘家の道」、「The Razor's Edge」、「Satyam Shivam Sundram」などの中に散りばめられている。
ただ、ある意味、このヒュー・ミルンのように、長年Oshoの傍にいた人でも、Oshoのことを理解できない、誤解してしまう、ということがありえるというのは、弟子というものを考える上で、いい例になる。それはシーラの件についても同様だ。ちなみに彼女は「私は瞑想には全く興味がない」とほざいていたし、Oshoの講話中は、ずっと眠っていたらしい。
だいたい、Oshoの近くにいるからというだけで、特別偉いわけでもない。だが権威的なものに弱い人は、それだけですぐにそういう人を特別視してしまうものだ。
福岡のセンターにいた頃も、東京のセンターのサニヤシンはOshoに近いので、彼らの言動はOshoの意向を表している、と思い込んでしまっていたバカなサニヤシンがいたな〜〜。
ようするにみんな、自分の好き勝手にOshoを見ている、ということ。それは、Oshoとの関係はあくまで個人的なものだから、問題はないのだけれど、それを他人に押し付けたり、広めたりするのは間違いだ、ということだ。
その解釈の違いが、例えば、日本の仏教界では実に多くの宗派を生み出したわけだし・・・。
7月11日
上記の「ラジニーシ・堕ちた神(グル)」に関して感じたこと・・・・。
要は、なぜ彼がこれを本にしたかったのか、ということだ。おそらく、みんなOshoに騙されている、洗脳されているから、真実を伝えたい、ということなのだろう。
だがこれは、あくまでこの著者ヒュー・ミルンが見たOshoの世界であり、彼がそう受け取った世界である。
問題は、人間というのは、現実に起こっていることを、自分の好きなように解釈するものだ、ということだ。
この点については、まさに黒澤 明が半世紀以上前に「羅生門」という映画で描いている。
そして、この本に書かれてあることを信用するかしないかは、ただこの本を読む人しだいとなる。
そして、Oshoの世界を否定したい人は、この本に書かれてある内容をことごとく信用するのだろう。
知らない人は、ただこの本だけを頼りに、Oshoというものを判断することになる。
つまりその人は、Oshoを信頼するのではなく、ヒュー・ミルンを信頼していることになる。 これこそ一種の「洗脳」だと思うけれど・・・。
人は、ネガティブなものを信用したがる傾向がある。つまり、それを自分のレベルに引き下げたいわけだ。自分より高いレベルにあるものは、その人のエゴが受け入れるのを許さないし、そもそもその人に理解できない。
所詮、自分の理解できる範囲でしか理解できないのだから。
Oshoは、それぞれの人たちのエゴを壊すために、いろんな策略を行ってきている。
それは、新しいものが生まれるためには、古いものは壊されなければならないからだ。
そしてその古いものというのは、一口にいって、われわれが長い年月にわたって社会から条件づけられてきたものだ。
それはほとんど全ての人たちがそうさせられてきたので、なかなかそれに気づくことは難しい。
それこそが「洗脳」なのだけれど・・・
そして、その古くからの条件付けに気づくこと、これを落とすことは、痛みを伴う。エゴが傷つく。だからOshoへの反発が、非難が起こる。
だからこういったOshoへのバッシングというのは、ある意味、当然の、自然な成り行きだとも言える。
でも、マスターと弟子の関係というのは、そういうものだし、過去においては、もっと非常識、不条理なものだったらしい。
そのことは、チベットの師弟関係、禅の師弟関係についてのOshoの話から読み取れる。
それらと比べれば、Oshoがしていることは、ずいぶん優しくて、愛に満ちているのがわかる。
ようするに、通常の常識をもってしては、Oshoを理解できない、ということ。
そもそも、その常識が問題なのだけれど・・・
だからチベットの高僧、ラマ・カルマパは、「サイレント・エクスプロージョン」の中の「ラマ・カルマパ僧との謁見記」でこう言っているのだ。
「世界は和尚を知るだろうが、彼のほんとうの姿に気づくのはほんの少数の人々だけだ。」
「Oshoは、本当は自分を知ることができる人々にだけ関心がある。彼は時間を浪費したくない。彼は不適当な人々が来ることを望んでいない。」
そしてよく、Oshoの世界を典型的なカルト教団と呼ぶ人が多いが、そもそも「カルト」とは「狂信的」という意味を持つ。
で、Oshoの何が狂信的なのだろう? Oshoは何を信じるように強制しているというのだろう?
むしろOshoは、信じることを最も批判しているのに・・・。
Oshoは「誰が私を信じろと言ったのだ?」とも言っている。
ようするに、批判する人たちは、何も知らずに、いや、真実を知ろうともせずに、ただ表面的な印象だけでわかったようなことを言っているにすぎない。
ちなみに・・・
Oshoに関する本は、他に次のようなものがある。
Appleton, Sue. 「Was Bhagwan Shree Rajneesh Poisoned by Ronald Reagan’s America?」 The Rebel Publishing House. 1986.
Appleton, Sue. 「Bhagwan Shree Rajneesh: The Most Dangerous Man Since Jesus Christ」 The Rebel Publishing House. 1987.
Braun, Kirk. 「Rajneeshpuram: The Unwelcome Society」Scout Creek Press. 1984.
Forman, Juliet. 「Bhagwan: The Buddha for the Future」The Rebel Publishing House. 1987.
Forman, Juliet. 「Bhagwan: Twelve Days That Shook the World」The Rebel Publishing House. 1989.
Jyoti, Ma Dharm. 「One Hundred Tales from The Thousand Buddhas」Diamond
Pocket Books. 1988.
(邦訳: 「一万人のブッダたちへの百話」OEJ)
Meredith, George (Dr). 「Bhagwan: The Most Godless Yet The Most Godly Man」The Rebel Publishing House. 1988.
Murphy, Dell. 「The Rajneesh Story: The Bhagwan’s Garden」Linwood Press. 1993.
Shay, Ted. 「Rajneeshpuram and the Abuse of Power」Scout Creek Press. 1985.
Shunyo, Ma Prem.「My Diamond Days With Osho: The New Diamond Sutra」Full Circle Publishing Ltd. Publishing House. 2000.
(邦訳: 「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」OEJ)
Thompson, Judith and Paul Heelas. 「The Way of the Heart: The Rajneesh Movement」Aquarian Press.1986.
7月13日
上記の、「サイレント・エクスプロージョン」の出版をリクエストした人から、同メール内で、シャルノ(石田かつ江)に関する文章が載せられたサイトを紹介された。
http://sorakaranojyouhou.at.webry.info/200903/article_15.html
まず、改行がないので非常に読みにくい。このあたり、これを書いた人の無神経さが見られる。読む人のことを気遣っていない。
そして内容は、私からみれば、まさによくあるスピリチュアル系のたわごとの連続である。この手の話は、これまでにもうんざりするほど知ってきた。
そしておもしろいのは、またプレアデスとのチャネリングである。本当によくある話・・・、ありふれた話で、その代表が有名なバシャールだが・・・。
この文の中で、いろいろと高額な宝石やらの売買の話があるが、まあ霊感商法と見られてもしかたがないだろう。
要は、日本のOshoの弟子たちが、このような霊能者を中心として、Oshoのワークに関する日本の拠点、つまりマルチバーシティを作ろうとしていたことである。そして、それを一番サポートしていたのが、「タントラ秘法の書」を翻訳したパルバだということ。
これは、Oshoの日本でのワークの中心拠点を、神道を基盤として、シャルノ個人のチャネリングを頼りに作ろうとしていた、と見てもおかしくない。当然そこには、Oshoを神道的に扱うところとして有名な、奈良の天川神社も、いずれ関わってくると思われよう。
直感的に、何か変な方向に、ヤバイ方向に向かっているのでは、と感じられたが、結果的に実現されなくて良かったと思っている。
これこそ、まさにカルト集団と思われても仕方がない現象だっただろう。
でも、こういった霊的な妄想活動にすんなり従う人がOshoの弟子たちにも多いとは、少し残念である。彼らは本当にOshoの教えを理解しているのだろうか?と思ってしまう。だから私は他のOshoの弟子たちとは関わりたくないのだが・・・
彼らは、Oshoの弟子ではなく、シャルノの弟子になってしまったのだろう。
霊能力が強いのと、人間的に優れているのとは関係ないからな。それは私個人の経験から言えること。
霊能力によってその人のエゴが暴走することがあるし、そもそも、上のヒュー・ミルンの問題でも言ったように、現前の現象をどうとらえるか、どう解釈するかは、その人次第だということ。
それは霊的な世界を見ることについては、なおさらのことなのだ。その人の世界観、宗教観が、見方が反映されるのだ。
これは、私がこれまで神智学、シュタイナー、エドガー・ケイシー、スウェーデンボルグ、M.ドーリル、シルバー・バーチ、江原啓之などを読んできて感じたことだ。それぞれが、微妙に違っている。
だから、ある特定の霊能者だけを信じ込むことは危険だ、ということだ。
要は、誰にも依存してはならない、ということ。
その人に従えば幸せになれる、天国に行ける、というのが、一般的な宗教の姿だ。ようするに、教祖に絶対的に服従することを強いられる。
日本のOshoの弟子も、同じようなことをしているのなら、そのレベルの低さが見えてくるし、それならカルト教団と言われてもしかたがないだろう。
7月14日
そもそも、Oshoマルチバーシティとは何か・・・。
これについては、翻訳し終えた「Osho: The Luminous Rebel」の中で、
この本の著者であり、Oshoマルチバーシティの学長でもあるヴァサント・ジョシはこう述べている。
「Oshoのワークは大変な勢いをもって成長し続けた。
ラジニーシ国際瞑想大学は今や十個の学部を持つOshoマルチバーシティ(多様性を持つ大学)になった。
それは数多くの人々が科学的に、そして同時に影響を受け、そして触れ合える世界で最も大きな変容のスクールに変わった。
いくつかの革新的なプログラムとトレーニング・コースを通して、それぞれの体験はOshoが瞑想と呼ぶ同じ内的な沈黙と平和へ導く。
そして瞑想が人の変容のための手段になり、その終着点になる。
Oshoマルチバーシティは、Oshoが彼の生と教えを人類に利用できるように捧げてきたものへの入り口、全ての多元性への入り口だ。
Oshoによれば、マルチバーシティでは人間が獲得したあらゆる種類のスピリチュアルな次元が差し出されなければならない。
その機能は、全ての雰囲気と全ての風味を、たとえそれらが矛盾していても、一緒にもたらすことにある。
マルチバーシティは、どんな教育制度とのどんな競争の中にもない、ということをはっきりさせなければならない。
そのため、それはどんな政府による承認も必要としない。それはどんな大学も探求していないことを探求している。
それは普通の大学や教育制度が提供しないことを全て探求する。
Oshoマルチバーシティが含む十個の学部とは---変容センター、中心に定まることと禅武道のためのスクール、創造的芸術のスクール、療法の国際学院(アカデミー)、愛と意識の研究所、瞑想学院(アカデミー)、神秘学のスクール、チベッタン・パルシング・ヒーリング(チベット式脈導治癒)の研究所、瞑想クラブ、そして創造的余暇などがある。組織の中で意識の研究所は新しく開発された学部だ。」
・・・で、日本マルチバーシティとは、結局何だったのだろう?
そもそもマルチバーシティとは、マルチ・ユニバーシティのことで、基本的に、大学なのである。それは学びの場であり、探究と実験の、そして変容の場でもある。
だが、日本で言っているマルチバーシティには、どうも違うニュアンスを感じてしまうが・・・
7月18日
「ビヨンド・サイコロジー」の翻訳で、過去にOsho Timesに載せられたこの講話の訳文を書き写す作業で、たまに英文原書と照合してみると、あまりにその訳文が原文からかけ離れているところがある。
訳者の意訳のせいか、とも思ったりしたが、原文を読んでもそこまで意訳する必要はないように感じることが多い。
素直に直訳しても充分意味は伝わるし、そのほうがわかりやすいし、なによりOshoの直接の言葉なのだから〜
たぶん、Osho Timesの英文が原書から少し書き変えられているのだろう、と思う。
これまで自分もOsho Timesの翻訳をいくつかしてきたが、既に訳し終えた自分の講話が引用されている箇所を訳する時に、時々違和感を感じることがあった。前に訳した文と違っているからだ。調べてみると、やはり原文が書き変えられている。
ということは、このOsho Timesに掲載されたこの講話の訳文を写し取ることは、完全にそのままは使えないということになる。
ただこれは、Osho自身は自分の話した講話の文章を、本にする時に部分的に書き換えられることは好まなかったらしい。
むしろ、自分が語った言葉を、そのまま一字一句正確に書き表ししなさい、と言ったのを、どこかで読んだことがある。
そうすると、こうやって編集者がOshoの講話の一部をも書き換えたりすることはどうなのかな〜〜?という思いがある。
同じような問題で、Oshoの本の著作権についても、Osho自身は著作権については否定的な考えを持っていた。
このことについては「Osho: The Luminous Rebel」の中の、マ・ヨーガ・ニーラムとの対談の中で、ニーラムがOshoの考えについてこう述べている。
「私はここで、彼は誰にも彼の名前を利用することを決して思いとどまらせなかった、ということにも言及したいと思います。
たとえそれが店や事業を名付けることに関連して使われたとしても。 私はこれがより重要性を帯びているのに気づいています。
なぜなら「Osho」と彼によって考案された瞑想を使うことについて言えば、そのような大きな著作権問題が最後の数年間に起こってきたからです。
私はこの問題がOshoのビジョン、彼のワーク、彼の導きとは完全にそぐわないことに気づいています。
それはさまざまな疑問を引き起こします。Oshoの言葉の著作権は存在すべきなのか?というような---。
この地球の六十億人以上の人々にとって、どこかの権威者からのどんな許可も求めず、どんな制限もなく、足枷なしで彼の講話や瞑想テクニックを直接利用することは良くないのでしょうか? もし彼の全ての本の所有権が自由であるなら、どんな不利なことが起こり得るのでしょう? そしてもし何らかの財団が有する著作権があるなら、彼の本は編集と歪曲から守られるのでしょうか? その時彼の本はより多く出版されるのでしょうか? それが管理されている時、どんな種類の知識がより以上に栄えて成長するのでしょうか?」
それでも著作権、というか、Oshoの本の出版権は存在している。
「秘教の心理学」を翻訳していた時は、自分で翻訳権を取得し、契約もしたのに、瞑想社からそれを完全に無視されたことがあった。
ちなみに、韓国ではOshoの著作権はまったく無視されて、勝手に翻訳出版されている。
それから、Oshoとそのワークについて、どう捉えるか、という面では、ワールド・ツアーをはさんでその前後に行われた記者会見での質疑応答を記録した「ザ・ラスト・テイストメント」というシリーズが興味深い。1985年から86年にかけて、一応6巻出ているが、もっと多いという情報もある。
その中から、記者の質問に対するOshoの答えが痛快なVTRがこちら〜 日本語字幕付き。
https://www.youtube.com/watch?v=06I8s5LZ0PE
7月20日
翻訳したOshoの本が出版されたからといって、印税などない。まったくの無償行為。同書を5冊いただけるだけだ。
同じ本を5冊ももらってもしょうがないので、他のOshoの翻訳本や、Oshoの講話のアーカイブ・ビデオをもらうようにしている。
アーカイブ・ビデオは、現在40本ほど所有している。
特に、古いプネーのアシュラム時代、Oshoの若い頃の講話ビデオを中心に集めている。
サクシンがこのアーカイブ・ビデオを管理していて、そこには約1700本の在庫があるらしい。
http://www.shimin.com/video/ArchiveVList.html
ところで、こんなサイトのプネー・アシュラム紹介のページに、私の写真が無断で使用されていた。
http://page.mixi.jp/run_page_apps.pl?page_id=201378&module_id=1115804&from=menu
上から三番目の写真。
私のプネー・アシュラム訪問のページはこちら Oshoコミューン (インド・プーナ)
7月22日
実際、自分の本当にやりたい翻訳というのは、まだ始まっていない、という感覚がある。
今はまだ、そのための準備段階という感じ・・・。いや、準備段階はもう終わった感じがある。「サイレント・エクスプロージョン」とOshoの伝記の翻訳によって〜〜。この「ビヨンド・サイコロジー」の翻訳は、正直、市民出版社への奉仕に近いものだし・・・。
本当にやりたい翻訳というのは、やはりヒンディー系、チベット系の講話。
だから、「クリシュナ」や「パタンジャリのヨーガ」、ウパニシャッドに関する講話になる。
新たにヒンディー語からの英訳が進められている「ギータ・ダルシャン」も興味がある。
チベット系では、ミステリー・スクール時代の講話が気になる。特に「Om Mani Padme Hum」が・・・。
ジャイナ教について語られたヒンディー語の講話「Jin Sutra」は、まだ英訳されていない。
ヒンディー語で語られた仏陀に関する講話「Es Dhammo Sanantano」も気になる。全6巻。これも英訳されていない。
他の分野では〜〜
カビールについての講話が6冊もあるのが目に引く。この内、訳されたのは「愛の道」だけ。それも2年前になってようやく・・・
スーフィーに関する講話は11冊もあるが、完訳されたものは「あなたが死ぬまでは」と「ユニオ・ミスティカ」の2冊だけ。
それも「ユニオ・ミスティカ」は上下巻2冊の中の上巻だけ。これは1999年に発行されていて、下巻の出る気配はない。
「モジュッド:説明できない生を生きた人」は「The Wisdom of the Sands」編集本だし・・・。
タオについては13冊あるが、その約半数は訳されている。その中の「黄金の華の秘密
」は経文だけの編集本だけど・・・。
西洋の神秘家に関する講話で、ずっと気になっている本が「Guida Spirituale」。その題材がデジデラタで、その文章が本当に素晴らしいから。
禅に関する講話は、なんと40冊ある。うち、翻訳されたのは15冊。すでに絶版のものもあるけれど。
ただ、個人的には、禅の講話はあまり興味がない。人を食ったような話が好みではないし、まあ、これだけ邦訳が出ていれば、もう充分かもな。
いずれは、Oshoが取り上げた、特にインドの神秘家たちのエピソードをまとめて、インドの霊的系譜を小説風に作ってみたいが、
今のところは、夢また夢の思いつき・・・・
7月29日
次の出版予定の翻訳は「The Long, the Short and the All」で、11月頃らしい。
これは今年の初め頃から予定されていたものだが、リバイスがなかなか進まないらしい。
この本はかなり初期の講話で、ヒンディー語からの英訳で、内容はかなり濃い。全ての領域に関してのOshoの基本的な教えが詰まっている。
ということは、「サイレント・エクスプロージョン」やOshoの伝記は来年以降の発行になる。
その間に、仏陀に関する講話「超越の規律」全4巻もあるし・・・。
今、だいたい年4冊くらいの翻訳ペースだから、やや出版の方が追い着いていない感じかな・・・。
それはそうと、以前、瞑想社は「ダンマパダ」の続巻を出すと息巻いていたが、今のところまで、何の音沙汰もない。
たぶん無理だろうな。だいたい翻訳する者が現在なかなかいない状況だから。そもそも、ここの社長はOshoとはあまり関係がなさそうだし、Oshoのこともあまりわかっていない様子だし・・・・。
自分がヨーガの指導者だから、というわけで、Oshoのパタンジャリ・ヨーガについての講話の続巻も出す、と言っていたが、これも口先だけだろう。
それでも一応、かませのつもりで、この「ビヨンド・サイコロジー」の翻訳が終わったら、「ヨーガ:
アルファ・アンド・オメガ」の第2巻の翻訳を始めたいと思っている。ただ、「クリシュナ」の講話の翻訳もしたいから、どちらを先にやるかは、その時の気分しだい・・・・?