12月6日
「The Long and the Short and the All」の出版は、一応来年の3月、Oshoブック・フェアの目玉商品として出る予定らしいが、それでも出版権はまだ取得されていない。原因は、権利取得交渉の窓口となる仲介者が、本部の都合でまた変更され、その仲介者との連絡が取れていないことによるらしい。
こんな変更は以前にもあった。なぜ変更されるのか、理由はわからない。ただ、要は事務的な作業の継承の問題だろうから、いずれ解決されるだろうと思うけれど・・・。
それに関連したような問題として、Oshoの伝記「OSHO The Luminous Rebel:
Life Story of a Maverick Mystic」の出版権は、発行元がインド・ムンバイにある出版社だが、こことも連絡が取れていないらしい。
市民出版社としても、この本はぜひ出版したいと言っているが、これも事務的な問題でうまく進展していない。
一応、今後の出版予定としては、「The Long and the Short and the All」の後には、「超越の訓練」全4巻が予定されているらしい。
となると、Oshoの伝記や、「サイレント・エクスプロージョン」の出版は、まだかなり先になりそうだ。
現在の翻訳状況は・・・、
「ビヨンド・サイコロジー」が全体の4分の3まで終わり、平行してやっている「ヨーガ:アルファ・・・」第2巻の第2章を現在翻訳中。
気になる翻訳として、神智学のスコット・エリオット著「アトランティス物語」がある。長らく、この本に書かれてある知識を著者のスコットはどこから得たのか、が疑問だったが、英語のウィキペディアを訳して、この内容がリードビーターの霊視から伝えられたものだということが判明した。
シュタイナーは、自身の著書「アカシャ年代記」でアトランティスについて語っているが、その本の前書きで、この「アトランティス物語」に触れ、この本を踏まえて「アカシャ年代記」を書いた、と言っている。これは、ブラヴァッキーが「シークレット・ドクトリン」で述べたアトランティスに関する情報よりもさらに詳しいものだ、と言われている。
そういう意味でも、この「アトランティス物語」も訳してみたい。というか、他の誰も、この本をまだ翻訳していない、ということが残念だ。
リードビーターについては、趣向的な面で問題視されている人物だが、霊視的な働きの面では個人的にはすごく興味のある人で、
いずれはこの人の本も集中的に翻訳して行きたいと思っている。
Oshoの翻訳と平行させながら・・・。
12月13日
Oshoの翻訳をすればするほど、Oshoへの信頼と、日本人サニヤシンへのネガティヴな感情が強まっていく。
これは、どうしようもない。現在の自分の自然な、正直な感情だから・・・。
1980年頃当時の、セラピストの第一人者と見られていたアイコは、ブライアン・イーノの音楽を、ただ「ネクラ〜暗い音楽」としか評しなかった。この程度の感受性の持ち主が、当時のセラピストの第一人者だったのだ。
また当時は、やたらとみんな、イーノの「鏡面界」というレコードを聞いていたものだったが、みんなそれしか知らないようでもあった。
ちなみに私は、イーノ愛聴者でもあり、和尚を知る前からイーノのレコードを聞いていたし、自分にとってはインスピレーションの源泉だった。いや、現在でもそうだ。
ただ、イーノ愛聴者といっても、イーノの全ての音楽を知っているわけではなく、ロキシー・ミュージックからソロ・デビュー作の「ウォーム・ジェット」から、アンビエント・シリーズの「オン・ランド」、または「アポロ」くらいまでだ。
その中でも、特に好きなのは、「ミュージック・フォー・フィルムス」「アナザー・グリーン・ワールド」「ディスクリート・ミュージック」「クラスター&イーノ」。
特に「クラスター&イーノ」は不思議な郷愁感を感じさせる。
「鏡面界」はアンビエント・シリーズの2作目だが、実質はハロルド・バッドが中心になっているからな。同じバッドとイーノのコラボとして「パール」というアルパムもあり、これも美しい音楽だ。
ハロルド・バッドは、イーノの「ディスクリート・ミュージック」が出されたオブスキュア・レーベルからも「パビリオン・オブ・ドリーム」というアルバムが出ていて、これも素晴らしい作品である。
このイーノの素晴らしく深い世界が、日本人サニヤシンにはわからないのだろうか・・・・?
イーノが根暗という言葉だけで片付けられるのか・・・。
12月14日
復刊ドットコムというサイトより、シュタイナーの「神殿伝説と黄金伝説」が復刊されるという伝えがある。この本も秘教的な歴史を知る上では非常に重要な本であるが、このサイトへの復刊希望投票数が46票ほどで出版されるというのは、この出版社の裁量の大きさによるものだろう。
長らく復刊が望まれているトゥルンパの「タントラへの道」は、109票の投票があり、私も一票を投じているが、いまだに復刊の兆しはない。
まあ、出版社がめるくまーる社だから難しいだろう・・・・。
同じめるくまーる社から出ていたOshoの本で、復刊が希望されながら、まだ実現していない本には、「反逆のブッダ」、「マイ・ウェイ」、「ボーディダルマ」、「黄金の華の秘密」、「反逆のスピリット」、「瞑想
祝祭の芸術」、「一休道歌」などがある。
「反逆のブッダ」は、ヤフオクでも最近出品されているが、やはりOshoの光明を得た時の様子が語られているため、根強い支持を受けているのだろう。これは、拙訳のOshoの伝記「OSHO
The Luminous Rebel: Life Story of a Maverick Mystic」にも書かれてあるので、これが出版されれば、その内容を知ることができる。
が、とにかく、めるくまーる社からの復刊は、まったく期待できないだろう。
Oshoの前世は700年前と言われているが、その頃の時代状況を想像してみると・・・、
700年前だから西暦1200年から1300年くらいまでの間になる。13世紀、まさにインドで仏教がイスラム教徒の手によって滅ぼされた頃だ。
その頃の前世でのOshoは、チベットのある山にいたのだろう。この頃のチベットは、タントラの教義が最高位にまで発展したチベット仏教の最盛期であったのかもしれない。11世紀にインドからアティーシャが招致され、仏教がチベットで復興し、ティロパ、ナロパ、マルパなどが生まれている。
14世紀にはプトンがチベット大蔵経を編纂し、15世紀にはチベット各地に寺院が創建されていく。
チベットが霊的な意味で最も豊かな、黄金時代だったのかもしれない。
気になるのが、その700年前のもう一つ前のOshoの前世で、その時のOshoの身体が黄金の像として秘密の洞窟に保存されているという。その像の数が99体。
Oshoを除いた残り98体は誰なのか?
想像できる人として、まずアティーシャは間違いなく含まれるだろう。他に、ナロパ、マルパ、ミラレパ、プトン、ツォンカパなど・・・、あまりチベット仏教は詳しくないので、これくらいしか思い浮かべられない。あくまでチベットで没した聖人だろうから・・・・。ティロパはインド人だし・・・。
ということは、まだ90人以上の、名の知られていない「神の化身」とみなされた聖人たちがチベットに存在していたということだ。
歴代のダライ・ラマたちは、これらに含まれているのだろうか?
「サイレント・エクスプロージョン」の中の、チベット僧院への訪問の章で、ラマ・カルマパの言葉が気になる・・・・。
「現在、このような光明を得た生きているチベット人の化身(菩薩)は、みんなでたった三人しかいません。彼らは・・・
1. 現在のダライ・ラマ---至高なる者、観自在仏Chenaezi Buddhaの化身。
2. ラマ・カルマパ---観自在菩薩Bodhisatva Avalokiteshvaraの化身。
3. パンチェン・ラマ---無量光仏(阿弥陀如来) O-pa-meの化身。」
これは大きな憧れを持たせる。人類の霊的歴史の中で、それほど多くの聖人を生み出した時代・国があった、ということは・・・。
それらを示唆させてくれるのは、唯一Oshoだけだろう。
つまり、Oshoを知ることは、Oshoの本を知ることは、人類の霊的世界の豊かさを、その高みを、その可能性を知る事でもあるのだ。
それらが、Oshoの講話の中のあらゆるところに散りばめられている。
だから、私はOshoの特に秘教的な講話の翻訳に関心があり、それはとても興奮させてくれるワークになるのだ。
12月16日
とりあえず、現在の翻訳している本と、これから翻訳したい本のリスト〜〜
★翻訳中: 「Beyond Psychology」第36章 (全44章)。 「Yoga:The Alpha
and The Omega Vol.2」第3章 (全10章)。
★翻訳予定:
☆ Yoga:The Alpha and The Omega Vol.2〜10 .........................1975年-1976年
☆ Krishna: The Man and His Philosophy (Vol.2冊分) .................1970年
☆ The Message beyond Words (カタ・ウパニシャッド)..................1971年頃
☆ The Eternal Quest ...............................................1967年
☆ Zen: The Path of Paradox Vol.1〜3 ...............................1977年
☆ The New Alchemy To Turn You On (メイベル・コリンズ「道の光」) ................................1973年
☆ Om Mani Padme Hum (ミステリー・スクール、マントラ・シリーズ、チベット)
...........1987年
☆ Om Shantih Shantih Shantih (ミステリー・スクール、マントラ・シリーズ、デルフィの謎)
.......................1988年
☆ Vedanta Seven Steps to Samadhi (アキシャ・ウパニシャッド) ..................................1974年
☆ The Great Path (シヴァ・スートラ) ...............................1974年
☆ Satyam Shivam Sundram (ミステリー・スクール、マントラ・シリーズ)...........................................1987年
☆ Gita Darshan Vol.1-2 ...........................................1970年
冊数にして27冊以上になるだろう。ミステリー・スクール、マントラ・シリーズは、それぞれ上下巻2冊になるだろうし・・・。
現在、年3冊ほどの翻訳ペースだから、順調にいって8〜9年はかかるだろう。 出版は、仮に全冊を出版できるとして、既に出版社に届けてある翻訳済の本が8冊分あるから、それを加えると35冊、年2冊の出版ペースとして18年かかることになる。
ラジニーシプーラム崩壊からワールド・ツアーに出発するまでの間の、Oshoの報道陣たちとのインタビュー「ラスト・テイストメント」シリーズも興味深いが、これだけでも全6冊ある。
ダルシャン日誌は翻訳出版が禁じられている。ただ、2冊を除いて、らしいが、その2冊とはどれかを聞きそびれてしまった。 ダルシャン日誌は全部で47冊ある。その内、邦訳されたのは1980年に出たプラブッダ訳の「ダンス・ユア・ウェイ・トゥ・ゴッド」だけ。
先日、出版社に別の人から一冊のダルシャン日誌の翻訳が届けられたそうだが、上記の理由で却下された。翻訳した人はかわいそうだ。
たまに、原始仏典や大乗仏典の現代語訳を読んだりするが、やはり無味乾燥でつまらない。
だが、そこに書かれてあることは、Oshoの講話で語られていることとほとんど変わらない。 逆に言えば、Oshoを読んでから仏教経典を読むと、その意味するところがよく理解できるようになる。 あえて言えば、Oshoを読めば、仏教経典を読む必要はない。読むとしても、一つの基本的知識として・・・。本質的な教えは同じだから。
仏教経典で思い出すのは、プラブッダがどこかで、Oshoのそばにいた5年間は、ほとんど混乱と意気消沈の連続だった、とか、もう一度仏典を漢文で読み直したい、というようなことを書いていた。彼の中に、まだ漢文仏典への傾倒というか崇拝みたいなものが残っているのが、なんとなくおかしく感じられたが、プラブッダと同世代のバヴェッシュも、晩年のOshoは「法華経」を題材に講話をしたかったようだ、などとわけのわからないことを言っている。この辺りの世代の人には、まだそういう条件付けがこびりついているのだろう。
それと、Oshoのそばにいた5年間は、ほとんど混乱と意気消沈の連続だった、というプラブッダの感想はとても正直なものだと思うし、実際そういうものだろう。よく、「何年サニヤシンをやっているんだ!?」と罵倒するサニヤシンがよくいたが、そう言う彼ら・・・正確には彼女たちだが・・・は何もわかっていない連中だった、ということだ。
しかし、そういう連中は、現在何を思って生きているのだろう・・・・?
ようするに、人間の精神的変容というのは、そんなに簡単に、短期間で起こるような生易しいことではない、ということだ。
もし起こり得るとするなら、それこそOshoが言うように、トータルで強烈な働きかけが必要になる。自分の人生の全てを賭けるほどの覚悟が・・・。
だからまた引き合いに出すことになるが、アセンションだ、次元上昇だ、という話はたわ言であり、チャンチャラおかしい話なのだ。
実際、アセンションだと騒いでいた2012年12月から早3年が経ったが、世界で何か好転したものがあるだろうか?
私には、世界は確実に地獄に向かって進んでいるようにしか見えないが・・・。
12月20日
ダルシャン日誌で出版可能な本の1冊は「Hammer on the Rock」らしい。1975年の一番最初のダルシャン日誌だ。最初のページをちらっと読むと、タタターのグループを受けたサニヤシンの感想から始まっている。まあ、グループを知らない人や、Oshoのアシュラムの様子を知らない一般読者にとっては、ピンとこないどうでもいい話になろう。
だから、ダルシャン日誌こそ編集本で出したほうがいいと思う。ただ、その本の数は47冊。その全てから抜粋してまとめるのは大変な作業になる。
別の翻訳者が持ち込んだダルシャン日誌のタイトルは「隻手の音声 The Sound
of One Hand Clapping」で、1981年の最後のダルシャンになる。
出版社としては、24年後に版権がフリーになるまでストックしたいと言っている。24年後の自分は83才・・・・、自分が生きているかどうかもわからない。でも、そういう望みを持つことは大切だろう。 私としては版権がフリーになるまで、「ダンマパダ」全12巻を完訳したい。現在は瞑想社がその版権を持っている。
ちなみに、版権の有効期間は著作者の死後50年であり、例えば、チョギャム・トゥルンパは1987年で亡くなっているので、「タントラへの道」の版権がフリーになるのは22年後になる。
編集本の話で言えば・・・、そもそも自分がOshoの翻訳を手がけるきっかけになったのは、自分の知りたい答えがOshoの本の中に見つけられなかったから、探しにくかったからで、それは他の翻訳者の翻訳文のスタイルが自分にとって心に入りにくかったせいもある。正直、変にOshoへの思い入れが強いような翻訳文は好きではない。逆にそれがいいと言う人もいるが・・・。
関西のあるサニヤシンは自分のサイトで、私の翻訳を、「暗くて重くて宗教書のようだ」と批判していたが、私はその言葉が信じられなかった。この人は、どんなチャラチャラした翻訳文を好んでいるのだろう? まさに、お花畑のような翻訳がOshoの翻訳にはふさわしい、と言うのだろうか・・・。
真理を語っているのであれば、重くなるのは当然だ。むしろ、宗教書のようだ、と言われたことは、私にとっては嬉しい。この人が宗教書に対してどんな偏見を持っているのか知らないが、Oshoが語っているのは真の宗教であり、その意味では、これはまぎれもなく宗教書である。
要は、ほとんどの人は、本当の宗教とは何なのかを全く知らない、ということだ。巷の似非宗教団体に対する嫌悪感が、宗教嫌いや宗教に対する誤解・偏見を生んでいるだけなのだ。
宗教団体、教団、宗派は全く宗教ではない。宗教は、組織化された時点で、宗教ではなくなる。それはただの権力集団に成り下がる。だからそこにあるのは、ただ他の宗教団体との争いしかない。宗教は、あくまで個人的な道であり、これがOshoの基本的な教えだ。〜〜個であること、独りであること〜〜。
自分の知りたい答えがOshoの本の中に見つけられず、それで知ったかぶりした他のサニヤシンたちに振り回されていた悔しさが、私の翻訳の原点である。
編集本の話で言えば・・・、Oshoの教えを項目別にまとめたものとして、翻訳されたものに「英知の辞典」があるが、この分量で、原書の10分の1らしい。翻訳者が独自に選出して訳したものらしい。そこに、選出者の好み・傾向が反映されている。そこが、個人的に他人の作った編集本が好きでない理由だ。つまり、自分の求めているものに答えていない、ということだ。
個人的には、エソテリックな内容の編集、それぞれの聖人たちの編集をしてみたい。特に、マハーヴィーラについて・・・。マハーヴィーラやジャイナ教についての講話は、まだ一冊も英訳されていない。他のいろんな講話の中で、断片的に語られているだけだ。
12月21日
版権フリーの話で感じたことは、現状では版権が出版を妨害している印象を受けるということ。
本来、出版権というのは、出版社を保護するためのものだろうが、Oshoの出版に関しては、版権の手続きをするための窓口〜仲介や出版社との連絡が取れないことや、または瞑想社のように版権を持ちながら出版しないため、他からその同書を出版できない、という問題が起こっている。
ようするに不自由な感じだ。もっと自由に出せないものか・・・・。Oshoもそれを望んでいたようだし。
それに、他の翻訳者も現れてほしい。私が上に挙げた翻訳リストの中の本の翻訳を、いくらかでもやってくれる人がいてくれればありがたいのだが・・・。
でも、市民出版社がこれからもOshoの出版ワークに熱意を注ぎ、そのデータを後世に繋げようとする働きをしているのは嬉しい。
Oshoの講話ビデオを保存するアーカイブ・ビデオもその一つだ。
今、少なくともOshoを知っている人たちがこのワークをやらなければ、次世代の、Oshoをこれから知るようになる人たちにとっては、Oshoを誤解してしまう可能性・危険性は大いにあるのだから・・・。今でさえ誤解されているところもあるのに・・・。
仏教はインドから中国を経由して日本に伝わったため、日本の仏教は中国仏教の影響を受けてしまい、インドの本来の仏教とは違うものになって、そこから多くの宗派が生まれた・・・。つまり、さまざまな仏教解釈が起こってきた。仏陀の直接の教えではない大乗仏教の中で、ただ漢訳仏典を通して・・・。
そういうことを繰り返さないために、アーカイブ・プロジェクトは始められたわけで、そのためにも、一冊でも多くの翻訳を出して生きたい、というのは、私と市民出版社の共通の思いだ。
12月22日
Oshoは、自分が過去に教えられてきたことを全て疑い、忘れなければならなかった、と言っている。
私が今、実感していることも、まさにこれと同じことだ。他人から言われたこと、批判されたことは、まったく自分の役に立たず、ただいたずらに迷わされ、傷つけられただけだった。それはただ、その人の表面的な見方、勝手な解釈、エゴや欲望の投影に過ぎなかった。
それらは、一般の人の持つ固定化された偏見も面倒だが、特定のスピリチュアルな考えに染まっている人からの知ったかぶりの押し付けはもっとややこしくて面倒だ。
伝統的仏教を信仰している人、今流行りのスピリチュアルな傾向をもって判断する人・・・・、こういう人と関わることは、無駄な議論に発展することになる。自分を見失う危険がある。そのため、他人から距離を置いて一人になる必要がある。
今、環境的かつ心理的に、一人でいられることは幸運なことだと思う。そして、一人でいられることによって、過去の他人からの想念のゴミを少しずつ消し去り、忘れ去ることができる。それらは全て知ったかぶりのデタラメであったのがわかったから・・・。
12月24日
瞑想とは、自分の内面の闇や傷と対面する過程でもあり、それらと直面することによって、それを超えることができる。
ただ、その過程の中で、他人と関わるのは非常に危険であり、問題が生じやすい。なぜならそういう状態、つまり、自分の苦悩が浮き出ている状態というのは、無防備であり、傷つけられやすい状態にあるからだ。
だから、出来るだけ独りになって他人に関わらないようにするか、本当に信頼できる人とだけ関わるようにしたほうがいい。
私がそういう状態にあった頃、サニヤシンたちは信頼できるものと思っていたが、見事に裏切られてきた。
サニヤシンには、苦しんでいる人をバカにする人たちが多い。彼らに、どん底まで苦しんだ経験がないから、他人の気持ちがわからないのだろう。
ただ、セラピーのテクニックだけで、全ての苦しみを解消できると思い込んでいるようだ。
サニヤシンになっただけで、全てがハッピーになれるわけではない。むしろそれは、偽りを捨てた真実の生の始まりであるはずだ。
だから、サニヤシンになって、瞑想を始めた最初の1〜2年は、それ以前もよりも状態が悪くなることがある。いや、1〜2年では済まないだろう・・・。
それは、内側に隠されていた闇の部分が現れ出しているからであり、これは順調に自己洞察が進んでいる証拠だ。プラブッダが、Oshoのそばにいた5年間は、ほとんど混乱と意気消沈の連続だった、と言うのは、まさに本当のことだと思う。
こういう状態になった人を批判するサニヤシンは多い。「暗い」「重い」「ネガティヴだ」と言って・・・。
では、そのように批判する彼ら自身はどうなのだろう。表面的には幸せそうな、喜びに満ちているようなふりをしているが、それはただ、自分の闇や苦しみを見ないようにしている、それを避けている、隠しているだけなのではないだろうか。そしてそれは、世間一般でもやっていることではないだろうか? はったり・・・、強がり・・・、そいういう人が世間では強く頼もしいと思われている。
だから、そういう時は、他人からの雑音を一切断ち切って、ただ独りになることが大切になる。そして、自分に起こっていることは、どんな批判も判断もせずに、ただ受け入れることだ。それがどれほど馬鹿げていようとも、どれほど世間的に見て批判や嘲笑の対象になろうとも・・・・。
それがどれだけの期間、続くかはわからない。ただ言えることは、それは毒を吐き出している、ということであって、必要な時なのだ。
そんな時に、上の日記にも書いたように、知ったかぶった他人からの忠告や助言を聞き入れることは最悪であり、危険だ。
なぜなら、各人でその状況は独自であり、違っているからだ。そんな時に、他人に助け・救いを求めたくなるのは人情だが、それが一番の落とし穴になる。安易な救いほど危険なものはない。
唯一つの鍵は、自分自身を愛すること。他人から何と言われようとも、ただ自分を愛すること、自分の全てを受け入れること、これしかない。
そしてサニヤシンたちは、それぞれ独自のOsho観、解釈を持っているので、それに惑わされると、自分の感じ方を失いがちになる。自分の感じ方に絶対的な自信があれば問題はないだろうが・・・・。
これは私自身の経験でもあり、Oshoの翻訳を通して、学んできたことだ。
12月25日
「The Long and the Short and the All」の最終校正が終わり、市民出版社へ返送する。12月16日にpdfファイルで届き、全6章を約1週間かかった。
これでも、翻訳後の見直しとしては4回していることになるが、それでも訂正しなければならない箇所が出てくる。ほとんどは日本語の表現に関するもので、どうすれば意味をわかりやすく伝えられるか、ということで悩んでしまうものだ。
それとやはり、意味が伝わりにくい箇所の見落としもある。これは単純に、作業中の疲れによるもの・・・。
さて、手元から離れれば、後は出版を待つばかり・・・。版権が取れたかどうかは、まだ聞いていないが、それでも一番の悩みどころは、この本のタイトルだ。
原題の「The Long and the Short and the All」は、「長いのも短いのもみんなひっくるめて」という意味になるだろうが、そんなタイトルは使えない。
内容が直球の話ばかりなので、それを匂わせられるようにしたいし、やはり「真理の〜」という形がいいように思えるが、第1章の冒頭に、Oshoのメッセージとは何か?という話から始まっているので、最初に浮かんだタイトルは「真理のメッセージ」だ。このあたり、センスのいいタイトルが他にないものだろうか・・・。
でも想えば、30年前の九州でのOshoの瞑想センターで、私はほとんど全てを失ってしまったわけだが、それがあったから、今このように執拗にOshoの翻訳をしていられるのだろうな・・・。
あの、どん底の体験がなかったら、今のようにOshoの翻訳をしていたとしても、せいぜい2〜3冊で終わっていたかもしれない。そこまでやり続ける意味はなかっただろう。
翻訳を始めて、丸5年たらず・・・、翻訳した冊数は13冊。出版された数は5冊。
それでも、まだまだやり足らないと感じている。
12月28日
「ビヨンド・サイコロジー」の翻訳は37章目・・・。ここでまた、セラピストやセラピーについての話が出てくる。つまり、セラピストたちのエゴやセラピーはスピリチュアルなものではない、ということについて・・・。セラピーは単に瞑想のための準備をするだけのものだ、ということ。
ようするに、瞑想〜静かに座ること〜ができない人のために、セラピーは必要になる。
それが微妙にひっかかるのは、現代人は静かに座ることができない、と、大方の人が決め付けているように思えることだ。
私は静かに座ることができる、と言っても、おそらく信用されないだろう。そこに一つの先入観が感じられる。
私は幼い頃から、静かな、おとなしい子どもと言われてきたが、それはそれで、生きていない、物足らない、死んでいる、と批判されてきた。
ようするに、他人からの価値観の押し付け、決め付けは本当に面倒だ。
私個人の経験では、セラピーを受けて良かったという思い出はほとんどない。ただ、セラピストの私に対する無理解と偏見、そしてテクニックの強要、そういう印象が強い。そして同じ参加者の持っている古い条件付けから、好き勝手に批判されることも・・・。
ある意味、繊細な人間にとって、グループ・セラピーは残酷な場になるだろう。
うつ病、アダルト・チルドレン、このような人はセラピーには関係しない方がいいだろう。
そもそもセラピーは西洋人のために開発されたもので、日本人の繊細な精神に合っているとは思えない。
この本でもOshoは言っているが、セラピストとは特別な人間ではない。ただ、心理療法のテクニックを知っているというだけで、彼ら自身は瞑想的でもなく、他の人たちより意識が高いわけでもない。むしろ、セラピストにこそセラピーが必要になる、ということだ。
逆に、セラピストには、他人を助けている、というエゴが強くなる。そして、自分はマスターだ、特別な存在だ、と勘違いするようになる。
そんなエゴが感じられるセラピストを、私も知っている。アイコなど、その代表だ。
最近のYahooニュースで、40代や50代の「ひきこもり」が多い、と出ていた。それだけ、繊細な人は生きにくい社会だということだ。
そして私も、そういう人たちと同じ種類の人間である。私の今の生活も、ある意味では、他人から見れば「ひきこもり」である。ただ、私自身はそうは思っていないが・・・、ただ、自分に正直に生きようとしているだけで、他人と関わる必要性を感じないだけだ。
自分のやりたいことをやろうとするなら、正直、他人との関わりは邪魔になる。だから一人になっている。