10月12日

 上の日記で、セラピストから受けた傷を癒すために・・・、と書いたが、そこで私が感じていたことを、翻訳中の「ビヨンド・サイコロジー」の中で、Oshoはうまく語っている。

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 「私は以前、人々を彼らのグループのために選んだ。その人の必要性を見て、私は彼がどのグループに行くべきかを決めたものだった。
今、彼らはそれが必要でない人々にセラピーをしている。あるいは、これらのセラピーは彼らを傷つけさえするかもしれない。 
 人々は彼らのセラピーを通して傷つけられるというあらゆる可能性がある。それはセラピーがスピリチュアルなものではないからだ。
 セラピーはただ土壌を準備しているだけだ。そしてもしあなたが種を持っていないなら、あなたが準備してきた土壌はただ雑草を、野草を成長させるだけだろう。それはバラを成長させることはできない。
 ここで私が彼らのセラピーを使っていたのは、瞑想の種を蒔くことができて、人々が開花できるように、土壌をきれいにするためだった。だがすぐに彼らは理解するだろう。その結果を見て、人々は彼らのセラピー・グループから消え始めるだろう。
 私は人々がセラピー・グループを決してしたくなかったことを完全によく知っている。私は彼らに、セラピー・グループをしに行くように説得しなければならなかった。彼らは私の話を聞くためと暝想するために来ていたのだった。
 あなたがそれと遊んでいる間は気分がいいが、二日後にはすべてが無くなる。あなたは同じ人物であり、何も変わらなかった。
そして何度も行ってお金を与えて同じ種類のゲームをする要点は何だろう?」
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 自分に必要なセラピーとは何か・・・、それを自己判断するのは難しい。自己判断できる時点で、既に答えは出ているようなものだ。
わからないが、とりあえず受けてみた。受けてみないとわからない。そしてそれが自分に向いていなかったのは、終わった時に感じられた。

 セラピーを受けて、良い結果を得られた人は、そのようには感じないだろうが、そこは人それぞれだ。
 少なくとも私は、セラピーからは何も得られなかった。正直、それまで知っていたことを繰り返されただけだった。

 俗っぽい人から、表面的に捉えられて批判されてきたことを、同じことをセラピストからも言われた。
 自分では、わかりきったことを、聞き飽きたことを・・・・。そしてセラピストは、ただ指摘するだけで、何の解決も与えない。

 では、セラピーにお金を支払う意味は何なのだろう?

 問題は、セラピーに対する期待と誤解があったのだろう。セラピーは問題を解決できる場ではない。ただ、瞑想のための地盤を作るための場なのだ。

 ある意味、Oshoが警告していた落とし穴に、私はまんまと嵌ってしまってきたのだろう。
 それらの失敗から、外部のものに期待も依存もしなくなったことは、いい意味で絶望したことはよかったと思っている。

 改めて、Oshoの翻訳は、自己洞察の助けになり、翻訳を通して、長年の自分の問題が一つ一つ解決されている。
 そいういう翻訳に出会えるというのは、ある種の霊感とも言えるようだ。つまり、自分の求めている答えが、翻訳している本の中に見つけられる、ということは・・・・。
 これを江原啓之は本当の意味での霊能力と言っている。霊能力とは、ただ霊が見えるということではなく、自分にとって必要なものを感じ取れる能力、ということだ。
 そして、それを感じられるようにするためには、自分を空っぽにすること、マインドを落とすことが必要になる。
 これが瞑想なのだ。

 そもそもOshoの翻訳は、自分のために始めたものだから、本来、自分だけがわかれば、それでいいものだが、やはり、他の人たちにも知ってほしい、という願望が生じてくる。特に、自分と同時期に似たような体験をしていた人たちに・・・・。

 その意味でも、この「ビヨンド・サイコロジー」は非常に興味深い本だが、出版社に届けている翻訳の順序から見て、これは9冊目に当たる。
 年2冊の発行ペースとしても、これが出版されるのは5年後になるだろう・・・。



 
10月24日

 10月も終わりに近いが、市民出版社からの「The Long,the Short and the All」のリバイスは、まだ届いていない。リバイスがどれくらい進んでいるのかもわからない。
 このペースだと、今年中に出版できたとしても、来年のOshoブック・フェアには、新刊としてはこの一冊が出るくらいだろう・・・。

 自分としては、Oshoの伝記と「サイレント・エクスプロージョン」を早く出版して欲しいのだが、なかなか時間がかかりそうな様子だ。

 他の出版の動向では、山川夫妻のOshoの翻訳は、3冊目が出るという情報はまだない。
 河出書房新社から「存在の詩」の改訂版が12月に出るらしい。
つまり、これが阿部氏が版権を買い取ったOshoの再販本としては最後になる、ということだ。

 ということは、Oshoブームも、そろそろ下火に差し掛かって来た、ということになるだろうか・・・・・。


 翻訳の方は、「ビヨンド・サイコロジー」は30章にかかり、これで全体の3分の2まで進んだことになる。
 各章が終わった合間に、少しずつパタンジャリのヨーガ「ヨーガ、アルファ・アンド・オメガ 2巻」の講話を翻訳している。
 それと同時に、ブラヴァッキーの「シークレット・ドクトリン」第2巻のアトランティスに関する章も・・・。

 「The Long,the Short and the All」については、その校正担当者が私との翻訳の連絡係りでもあるのだが、ようするにこの人は、校正の段階で初めて翻訳文の内容を知ることになる。 だから当初この人は、そのページ数も知らず、ただ章の数が6つと少ないため、割と少ないページ数の本になるだろうと予想していたようだった。

 確かにこの本は、内容は非常に濃い。息を抜ける箇所はない。たぶん、Oshoの本の中では一番中身が濃いかもしれない。

 それはこの本の原書の序文にもこう書かれてある。

 「この本は秘訣の寄せ集め、ごたまぜだ。そこにはあなたのハートを奮起させる一文がある。そこにはあなたを刺激させる物語があり、あなたを鼓舞させる語りがあり、まさにあなた自身の変容を渇望することへとあなたを変える論文がある。
 この本にはすべてがある。それは穏やかな湖であり、それは轟く滝だ。それはナイチンゲールの歌であり、それはスズメバチの刺す針だ。それは陽光の中の庭であり、それは最も暗い夜のジャングルだ。
 それは長いもの、短いもの、そしてその全てだ。The Long,the Short and the All」

 Oshoの教えとは何か、それを知りたい人に対して、私は迷いなくこの本を勧める。




    




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