10月某日

 埼玉で初めてのOshoブツクフェアが10月4日〜11月24日の間に開催される。






 11月7日

 市民出版社へ「トランスミッション・オブ・ザ・ランプ」の校正原稿を1章から11章まで返送する。
11月1日に手元に届いたもので、訳文の意味がわからない箇所には「?」マークで指摘してある。
このあたり、単純な翻訳ミスや原文の解読不足によるものも多いが、改めて日本語での表現の難しさを感じる。 
翻訳時は頭も疲れてくるので、しばらく時間を置いて見直すと、いろいろともっとよい表現が浮かんでくるものだ。





 11月12日

 市民出版社へ「トランスミッション・オブ・ザ・ランプ」の校正原稿の残り、23章まで返送する。けっこう訂正箇所は多い。
これの日本語タイトルは「炎の伝承」になって、12月下旬頃に出版の予定。上巻として23章まで。

下巻分の24章から46章までは来年出版の予定らしい。毎年春か初夏に行われていたOshoブックフェアも、
この「炎の伝承」の出版に合わせて12月に開催の予定らしい。となると、来年以降のブックフェアも順番にずれ込んで行くのではないだろうか?
現在は埼玉で初めてのOshoブックフェアが行われている。

 来年の出版予想として、この「炎の伝承」の下巻と、そろそろ「超越の訓練」全4巻の第1巻目が出版されるかもしれない。
翻訳の方は、現在4巻の6章目まで進んでいる。今年中に終われるかどうかは難しい。

 これが終わったら、「ビヨンド・サイコロジー」の翻訳にかかろうと思っている。
これも「トランスミッション〜」と同じくOshoのワールドツアーでウルグアイ滞在中に語られた3つの講話の中のひとつ。
「ビヨンド・サイコロジー」はそれの最初の講話で、二番目は2009年に出された「神秘家の道」、そして三番目が「トランスミッション〜」になる。




 
11月26日

 いまさらながら・・・Oshoの晩年前後、日本でマルチバーシティなる運動が三重県で起こった。
三重県の霊能者、石田かつ江なる人がOshoにゴータマ・ブッダの霊が入ったことを霊視して、事の成り行きは詳しく知らないが、自ら日本大使と名乗り、Oshoのワークを日本で引き継ぐと言明する。 それに便乗してか、喜納昌吉(ウパニシャッド)が沖縄大使を名乗る。まったく馬鹿げたゲームが始められる。

 そもそも大使とは何か?何をするのだ?なぜそんなものが必要なのだ?
 Oshoとの関係は、あくまで個人対個人のものであるはずだ。それはOshoが一番強調している。

 だから、その仲介的な存在に見える大使のような役割そのものがナンセンスであり、かつ有害でもある。 そんなもの必要ない。
だが、ほとんどのサニヤシンはそれに気づいていない様子。 誰か頼れるリーダー的存在が欲しいのだろうか・・・

 また、石田女史自身の言葉によれば、 Oshoが彼女を日本大使に任命し、「かつ江は日本で私の仕事をするのだ」と、目に涙を浮かべて訴えた、という。
 まさに笑止千万!! Oshoが涙を流すことなど考えられないし、誰か特定の人物に何かを託す、ということもあり得ない。それはOsho自身がそう明言している。 たぶんOsho特有のジュークなのか、完全な石田女史の妄想、でっち上げに過ぎないのだろう。

だいたい、Oshoの瞑想をしたことがあるのかないのかわからないような二人が、ただその擬似カリスマ性だけで、日本人サニヤシンの代表的な地位に着くこと自体ナンセンスであり、まさにパワートリップに他ならない。

 それから早20年以上が過ぎたが、果たしてこの二人のお偉い大使様はどんな仕事をなさったのだろう?まったく何の成果も耳にしないが・・・・
 最近では、この喜納昌吉(ウパニシャッド)は沖縄知事選に立候補したらしい・・・政治的な生き方なのだ。

 この石田かつ江(シャルノ)も政治的な雰囲気が感じられる。シーラ、アニマと似ているな・・・
 だが、ほとんどのサニヤシンたちがこの二人を支持しているのなら、私はやはり大方のサニヤシンの世界とも相容れない、ということになる。私はサニヤシンの中でも異端児なのか・・・・
 やっぱり、一人でやっていくしかないな・・・


 それと・・・

 Oshoとの関連でよく引き合いに出されるのが奈良の天川村にある天河神社〜正式には天河弁財天社。私も何回か行ったことはあるが、なぜこの神社とOshoが関係しているのか、まったくわからない。 なぜOshoと神道が関連するのか・・・?Oshoを神懸り的な存在に祭り上げているようにも見られる。そういう特別な場所・機関と密接に関わらせること自体、何か日本人の作為的な意思が見える。
 ようするに日本は霊的・スピリチュアル的に特別な、選ばれた場所だ、ということを思いたいのだろう。
 そして日本の本来の宗教は神道であり、それはOshoと深い繋がりがある、とでも言いたげな・・・


 また・・・
 禅の十牛図の十番目の図が日本に持ち帰られ、新たな動きが日本で始まる、と言う人もいた。

 これらは全て、Oshoが肉体を離れる前後の年月に起こった一連の騒動〜〜。 ひとつの、ある夜明けの始まりと見て、それに希望を託し、浮かれている観が強く見えるが、 未だにこの夢を持ち抱えている人もいるらしい。それはそれでその人の勝手だが・・・

 そこに、Oshoの教えとの違和感を感じるのは、私だけだろうか? 私の感じ方は間違っているのだろうか・・・?

 大方のサニヤシンたちは、こういうことに熱を上げて喜んでいたらしい。やはり私は部外者なのだろう。
 でも、熱は、いつかは冷めるもの〜〜

 いくら日本という国を特別視したくても、それはどこの国でもやっていることで、自分の国は特別だ、という〜〜
 それで今日まで、日本はどう変わってきたのか?何が変わったのか?それは現在の日本を見れば自ずとわかる。
 それは世界についても同様。大して何も変わっていない、むしろ、より悪くなっている。

 確かにOshoは、これからは日本が世界を導く、というような事をどこかで語っているが、それにしては、今、日本は世界を導いているのだろうか?そのための努力をサニヤシンたちは何かしてきたのだろうか?
 その一つが、三重のマルチバーシティ計画だったのだろうが・・・今ではただの、絵に描いた餅にしか見えない。    

 だいたい、Oshoのワークって何だ?社会革命〜外側を変えることではなく、瞑想〜内側を見ること、だろう〜〜
 器ばかり作っても、中身がなければどうしようもない。

 少なくともやるべきことは、基本的にOshoの遺産を保存維持すること〜〜つまり、アーカイブ的作業〜〜Oshoの講話ビデオ、本、テープ、写真などを保存し、広めること。それで充分だと思う。後は各個人が、そこから感じ取った事を、その人のやり方で実践していけばいい。
 だから、誰か特別な人物が中心になってワークをする、ということではない。あくまで個人のワークなのだ。

 ただ、その作業でさえ、日本で十分にやっているとは思えない。ビデオに関してはサクシンが取り揃えているようだが、講話の原書に関しては、蔵書を完全に保存しているところを知らない。サクシンでさえ、Oshoの講話の全体を把握していないようだし・・・。
アーカイブ作業としては、それをしているのは日本ではサクシン瞑想センターくらいだ。
 そしてその一環として、翻訳作業を大いに進めて行ってほしいし、そのために私も微力を捧げたい。

 だから組織団体を作ってはいけない。中央集権体制を作ってはいけない。それこそが堕落・腐敗の元凶であり、Oshoに限らず仏陀もイエスもそう言っているのだから。

 三重のマルチバーシティには、その危険性が感じられた。
だから私は、それは失敗に終わってよかったと思っている。これは完全にシャルノ個人の願望にすぎなかった。




 
11月28日

サニヤシンになることについてOshoはこう言っている。      サニヤスとは?    

Q:弟子になるための前提条件は何ですか?
Osho:「何も必要ない。開いたハート、愛に満ちたハート、自分自身への深い信頼。他には何も必要ない。
あなたはどこかの師に自分自身を明け渡したり、どこかの神を崇拝したり、どこかの仮説上の神に祈りを捧げる必要はない。
自分の内奥に隠されているものを見いだすのに、人が作った寺や教会に行く必要はない。」 

 ・・・だが、現実は違う。実際にサニヤスを申し込んで断られた人を私は知っている。
彼は東京のセンターにサニヤシンになりたいと申請したが、今のレベルではだめで、もっと瞑想をしてから出直しなさい、と言われたらしい。
サニヤシンになるためのどんな基準があり、そしてそれは誰が決めるのだろう?

この東京のセンターの担当者は、Oshoのサニヤシンになることに大そうな条件を勝手につけている。
まったくこの人個人の思い込みなのだが、これは上のOshoの言葉とは全く反する。




 
11月29日

自分のHPに転載したOshoのサニヤスについての言葉から〜

 「私のヴィジョンでは、サニヤスは常に周期的なものだということだ。あなたはいつでもそこから去ることができる。・・・・ サニヤスは個人的なものであり、それはその人自身の決意だ。」

  〜これについて、私は40歳頃から55歳頃まで、一切Oshoとの関わりを拒否していた。Oshoに関連する世界に対して強い嫌悪感を持っていた。この感覚は現在も日本人のサニヤシンの世界に対しては変わらない。
 その時所持していたOshoの洋書を全て処分しようかとも思っていた。今から思えば処分しなくてよかったが・・・。

 再びOshoを受け入れられるようになったのは、「アティーシャの知恵の書」を翻訳し始めてからだ。それから、自分のOshoに対する感じ方を信頼するようになり、他のサニヤシンとは完全に距離を置くことにする。私の翻訳を扱ってくれている市民出版社〜サクシン〜とも、まったくビジネス的な関係で、それ以上の何でもない。担当者とは似たようなフィーリングを共有できていて、その点ではやりやすい。

  その点について、Oshoは〜
 「過去において、弟子たちは組織を作り上げてきた。それが彼らの関係性だった。・・・・ あらゆる組織は、弟子同士の関係性から生じてきた。実際には、ふたりの弟子はまったく繋がり合ってはいない。弟子のひとりひとりは各々の素質で師と繋がっている。
 ひとりの師は何億もの弟子たちと繋がっていることができるが、その繋がりは個人的なものであって、組織的なものではない。

 弟子同士はいかなる関係性も持っていない。もちろん、彼らはある種の友愛、ある種の愛を持っている。・・・・ しかし、彼らは師を通して互いに関わりあっている。彼らは直接には互いに関わってはいない。

 それは過去においてのもっとも不運なことだった――弟子たちが組織化され、彼ら自身の間で関わり、彼らはみな無知だったということが。そして、無知な人びとは世の中に、他の何にもまして、迷惑な行為をつくり出す。

 あらゆる宗教はまさにそれをやってきた。私の人びとは、個々に私と関わっている。そして、彼らは同じ道の途上にあるからこそ、間違いなく互いに通じ合ってもいることだろう。友愛が溢れ、愛に満ちた環境がそこにある。しかし、私はそれをいかなる関係性とも呼びたくない。

 弟子たちが互いに直接関係するようになり、宗教、宗派、カルトをつくり、そして争い続けて来たがゆえに、私たちは余りにも苦しんできた。彼らには、それ以外のことはできないのだ。少なくとも私といるときには、このことを覚えておきなさい。あなたは互いとどのような形でも関係し合ってはいないということを。」

  〜まさに、当時の九州の瞑想センターでの生活は束縛だった。現実的な理由〜お金がなく、他に行き場もない〜と、サニヤシン同士の絆を深めるという勝手な思い込み〜こだわりから、そこを離れることができなかった。
 まったくここでOshoが言っているように、組織は弟子が作る。しかし弟子は何もわかっていない。だからその組織は面倒な事、問題を引き起こすようになる。、

 まさに私は、これらのOshoの警告を身を持って体験してきたみたいだ。そしてその体験からみても、特に東京のセンターのサニヤシンたちはOshoについての組織作りを強めようといているのが感じられた。東京を中心とする組織を〜 そして三重でのマルチバーシティ計画においても・・・・。

 傷は受けたが、それだけに外部のものに対してのこだわり、しがらみ、関心は消えた。いい意味で絶望し、まったく興味がなくなった。やりたいやつは好きなようにやればいい、私の知ったことではない。私は自分のやりたいことしかしない。

 そして、このOshoのサニヤシンに関する講話が、「Krishna: The Man and His Philosophy」の最終章からの抜粋だからやはりこの本を翻訳することの意義を強く感じた。自分が選ぶものに間違いはない、という自信も得た。

 早くこの本も翻訳したいが、今の予定では「ビヨンド・サイコロジー」の後にしている。でもこれは自分が決めたこと。
 これは来年早々から始めることになるが、二つを同時進行してみるか・・・。


     

 1990年代の頃、Osho Timesの後ページの紹介欄にいろいろなセラピーの紹介記事が載せてあったが、そこに掲載されているセラピストの笑顔の写真が非常に胡散臭く、嘘っぽく感じていた。
セラピーの参加料が異常に高く、それに見合った効果があるとは信じていなかった。
 それは自分が体験したセラピーが結果的に嫌な気分にさせられたものばかりだったからだ。

 特にアイコのセッションから〜。後のアイコのセッション案内の言葉でひっかかったものがあった。
それは・・・ 「アイコはこの時を待っていました!」というもの。
参加者たちの瞑想レベルが上がるのをアイコは待っていた、という意味だ。非常に傲慢なものを感じた。
完全に上からの目線であり、マスター気取りに見えた。アイコの期待を満足させることが、このセッションの目的であるような〜。
彼に人の心の痛みはわからないだろう、という懸念を感じた。苦しんでいる人をバカにするところがあった。
そんな彼が日本のサニヤシンを代表するようなセラピストであるらしい・・・・。

 この点についてもOshoは警告している。 セラピストのグル・トリップについて。ようするに、自分は人を助けることができる、というエゴから、自分はマスターである、という思い込みが強まること。Oshoの古いサニヤシン・セラピストであるティアサにもその傾向があったらしい。 
案の定、アイコも後にネットで自分のセラピー紹介をしているところでは、もうサニヤス名を使わずに本名に戻していた。サニヤシンを止めた・・・?
 
 Oshoが言っているのでは、セラピーとは瞑想のための土壌作りの役割を持っているだけのことで、少しの一瞥や気づきは得られるかもしれないが、それで全て解決になるわけではない。セラピー中に高揚したいい気分になっても、それが終わってしばらくすると元の平凡な生活に戻る。

 セラピーで体験したことは、ひとつのいい思い出にはなるかもしれないが、自分を根本的に変えることにはならない。
セラピーだけに頼るのは非常に馬鹿げているし、なにより出費が高くつく。数日間のセッションで何かが変わっても、また直ぐ元に戻る可能性が強い。急に変われるものは、急に戻れる。同じ理屈だ。
 Oshoはどこかで、日本人にセラピーは必要ない、とも言っている。




  




Osho日記 2014年10月-11月

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