4月10日

Oshoの「トランスミッション・オブ・ザ・ランプ」の翻訳が終わった!去年の2月から始めたが、途中、インド旅行の準備などで3ヶ月ほどブランクがあり、正味、1年たらずで完了したことになる。ページ数はたぶん1000ページくらいになるだろう。すでに出版権も取れていて、上下巻に分けて、上巻は今年の12月に出版予定。

 内容はバラエティに富んでいる。アメリカ政府から追放されて、ワールドツアー中、南米のウルグアイで語られたもので、Oshoのエピソード、幽体離脱、霊体投視、意識のいろいろな層、仏教の流れ、ジャイナ教、いろんな聖者の逸話、グルジェフ、禅、キリスト教の欺瞞・悪行、魔女狩り、Oshoに対する世界各国の政府の態度、アメリカ政府の愚行、古代の神託・預言の真実、人類の未来へのOshoの展望など・・・
 これも当然、翻訳しながら、いろいろと考えさせられることが多かった〜〜


 

さて、次は・・・仏教がテーマとなる「The Discipline of Transcendence」で、42章の経文から、となっているが、何の経典かは知らない。これも大著で長い話だ。もう一つ、クリシュナについての講話も訳したいし、両方平行してやろうかとも思っている。片方だけでも、1〜2年はかかるだろう・・・・




 4月19日

 Oshoの翻訳の難しさ

 翻訳は、その言葉のニュアンスを感じ取るのが大切だが、Oshoの翻訳は特に難しい。その言葉の表現が、Oshoの教えの本質でもあるからだ。

 一番よく使われる言葉が「マインド」  心と訳している本もあるが、心はハートとして使われている。マインドからハートへ、という言い方は多い。
 反語として「ノーマインド」がある。無思考、無心というニュアンスだが、これはもう日本語表記は無理として、どの本でも「マインド」を使っている。

 witness と watch
witnessは証人、目撃で、 watchは見守る、注視だが、どちらも観照と訳すこともある。
この言葉の使い分けのニュアンスを感じるのが難しいが、この「観照」はOshoの教えの基本。

 aware ・・・気づきと訳す。自覚、意識的という意味合い。この「気づき」も基本中の教え。

 リアリティ・・・「現実」と「真実」の意味がある。これも文脈によって使い分ける。単純にリアリティとカタカナで表記するのには抵抗がある。だが「真実」は true という単語もある。

 personality と individuality  Oshoはこの二つの言葉を対照的に使う。
personality は人格、品格で、社会から植えつけられたもの、仮面というニュアンス。
individuality は個性だが、個人であること、という意味合いが強い。
personality は偽で、individuality が真となる。

 トータル・・・「全面的」「完全」「全一」などいろいろな訳語を使う。

existence, being, presence
どれも存在という意味だが、これもよく使われる。
presence は現存、臨在と訳すが、existence と being の使い分けは微妙・・・ beingを実存と訳すこともある。
Oshoは神を existence と言い換えているので、こちらの意味の方が幅広い。

 man・・・人間と男性の両方の意味がある。これも文脈を見て使い分ける。

 you・・・「あなた」だが、これだけでは単数か複数かわからない。
Oshoは質問者に答える形で話しているので、その場合は「あなた」(単数)だが、その答えは多くの人たちも聞いており、他の人にも当てはまるもので、それだと「あなた方」「あなたたち」(複数)になる。そのあたりは適当に使い分けている。

 come, get, take, make,
これらは単語自体の意味が幅広い。これらも多用されていて、それに見合った日本語を見つけるのが難しい。

 juice ジューシィ・・・
これもよく使われるが、ピンとくる日本語がない。「ジューシィな人」という言い方をする。
生気に溢れた、みずみずしい、というニュアンスで、これも苦労する。

 only, just, simply・・・
これも多い。ただ、だけ、に過ぎない、まったく、まさに、ただ単に・・など、いろいろな訳し方がある。

 context・・・文脈、脈絡、背景、前後関係という意味で、この言葉もよく使われるが、未だに適切な訳語がわからない。

 Let go・・・手放し、これも基本的教え。

 スピリチュアリティ・・・
たぶん、今すごく誤解されている言葉だろう。 これは霊的、精神霊的と訳すが、やはりスピリチュアルと表記することに若干の抵抗は感じる。
スピリチュアリズムは心霊主義になる。

 スピリット(霊)とソウル(魂)の違い、その使い分けは、他のOsho以外の本でも微妙な意味を持つ。


 造語も多い。
万物は全て停止しておらず、動いているから、現在進行形ingを使って、
tree 木は treeing、stone 石は stoneing、
river 川は rivering・・・
こうなるともうお手上げである。苦肉の策で「木でありつつある」と訳したが、変な言葉だ。

 英語でないと意味がわからない話も多い。「悪魔devilを逆に読むと lived生きた、になる」とか・・・

 ところどころに挿入されるジョークは、まさに英語でないとおもしろさが伝わらないものが多い。
その場合は括弧して解説を入れている。そのためには、まず自分が、そのジョークを理解しなければならない。それもまた一苦労だ。




 4月21日

 山川夫妻のOsho翻訳

 スピ系の本の翻訳者として人気の高い山川夫妻がOshoの本を翻訳した、ということに、何か違和感を感じていたのだが、市民出版社から、そのへんの情報を聞き、出版される本のタイトルは「ジョイ」といって角川書店から出るらしい。

 「ジョイ joy (喜び)」・・・?
私はOshoの本の全てのタイトルを記録しているが、聞いたことが無い本である。どうやら編集本らしい。
 最近、こんなOshoの編集本がいろいろと出ている。これも170ページほどの薄い本だ。
喜びに関連したOshoの講話を集めたものらしくて、それでなんとなく納得できた。

 でも、直接Oshoの世界を知らない(と思う・・・)山川氏がOshoの翻訳をすることには、やはり若干の心配はある。Osho独特の言葉使いをどこまで理解しているのかが・・・
 それが、編集本の翻訳だ、ということを知って、まあ、それじゃ、大丈夫だろうな、と思った。
 編集本だから、分かりやすく、読みやすくて、美しい言葉を集めたもので、大手の出版社でもあり、訳者の名声も買って、そこそこ売れるのだろうな・・・・
 これでOshoの名が一般にもっと知られるようになると、これもまたおもしろくなってくるかも。

 で、なぜこの山川氏がOshoに興味を持ったのかが不思議だったが、どうも阿部敏郎氏と知り合いらしくて、彼からOshoのことを聞いたらしい。

 阿部敏郎は、Oshoの初期の邦訳の本三部〜「存在の詩」「究極の旅」「Tao 永遠の大河」の版権を買い取っているらしい。で、彼はこの本をこれからも再販してゆくつもりらしいが、まあ、絶版になって手に入らなくなるよりかはいいけれど、いつまでもこのあたりの本にこだわっても・・・という気はする。確かに、日本にOshoを知らしめたパイオニア的本だけど。

 でも、Oshoのことを知るには、自分で訳したから言うわけじゃないけど、本当にこの「知恵の書」が一番だと思うな。それは出版社の人も言っているし、この本を読んだ人も言っている。 正直、私も、この本を訳していて、いままでOshoについて持っていた疑問が全て解決したし・・・

 「知恵の書」の下巻発売は、東京のブックフェアの開催が遅れて、5月過ぎになるよう・・・

 今、最終原稿のチェック中・・・・





 4月22日

 Oshoの次の本の翻訳を始める。
タイトルは「The Discipline of Transcendence」
邦題をとりあえず 「超越の訓練」にする。 

 1976年に語られた、仏陀の42章の経文についての話で、全4巻、42章の大作。
2巻の最後の章で、Oshoが悟りを得た時の様子が語られている。

 42章の経文が何の経文かわからなかったが、第一章の経文を訳した・・・


仏陀は言った:
 熱情から自由であることと、穏やかであること、これが最も優れた道である。
 自分の両親を後に残し、家庭から出て、マインドを理解し、源泉に達し、そして非物質的なものを把握する者はシュラマナスと呼ばれる。
 道徳の教訓を守る者、彼らの振る舞いにおいて純粋で汚れ無き者、そして聖人らしい成果を達成するために努力する者はアルハットと呼ばれる。
 次はアナガーミン。その人生の終わりに、アナガーミンの霊は天に上昇し、アルハットらしさを獲得する。
 次はスクリダガーミン。 スクリダガーミンは(彼の死後に)天に上昇し、もう一度地上に戻り、それからアルハットらしさを達成する。
 次はスポータパンナ。 スポータパンナは、最終的にアルハットらしさを達成した時、七回死んで、七回生まれる。
 熱情を分断することは、すなわち手足を切断されたような意味であるため、彼らは決して再びそれを使わない。


 聞きなれない言葉が出てきた。
シュラマナス、アルハット、アナガーミン、スクリダガーミン、スポータパンナ・・・・

 アルハットが阿羅漢であるのは知っていた。シュラマナスは沙門。

 残りの言葉をネットで調べて・・・

 アナガーミンは阿那含、スクリダガーミンは斯陀含、スロタパンナは須陀シ亘になるようだ。(シ亘で一つの漢字だがここでは表示されない)
このような、サンスクリット語と漢訳仏教用語の対応表のようなものが欲しい!

 でも本当にネットは便利で、検索していけば、ここに行き着いた。


 ウィキペディアより・・・
★人四依
 人四依(にんしえ)とは、大乗経典の涅槃経に説く、仏滅後の末世(すなわち末法)に正しく依るべき4種の人をいう。
 四種人ともいう。法四依を受持する凡夫と声聞衆(須陀シ亘;・斯陀含・阿那含・阿羅漢)のこと。
 ただし涅槃経ではこの4種人をただの凡夫・声聞と見ず菩薩と見る。

 1. 凡夫ではあるが、出家してなお煩悩を持ちながらも仏より聞いた所説を自ら正しく解し、他にも分別宣説する人で、よく菩薩の方便所行秘密の法を知る人。

 2. 仏より聞いた法を書写受持し読誦して他のために説く人で、これは須陀シ亘;(すだおん)及び斯陀含の位にあっても菩薩にして、すでに受記(近い将来に仏と成ることを約束する)を得た人。

3. 正法を護持する人と正法を宣説する人を分別し得る人で、阿那含の位にあっても、すでに受記を得て間もなく、成仏する菩薩と名付く。

4. 自ら煩悩を断じて自在に智慧を得て、仏道を成ぜんと大願を発せば何時でも成仏することのできる人で、これを阿羅漢というが実は如来と何ら異なるところはない。

 これらの4種人が、仏亡き後の帰依処であると説いている。


 ・・・・難しい説明だ。だから伝統的仏教はとっつきにくい。

 ともあれ、この翻訳の経典は、涅槃経であるらしい。





 5月17日

 玉川信明のOshoの本

 玉川信明・・・ 1930年生まれで、2005年に75歳で亡くなった社会評論家。

 この人のことが気になったのは、Oshoの古い日本人弟子の一人のプログ「地球人スピリット・ジャーナル」から。直接Oshoを知らずとも、邦訳されたOshoの本を全て読んで、その教えのエッセンスをまとめて独自に3冊の本にまとめて出している。

 そのような編集本を、Oshoを知らない人が出すという、その仕事自体に対しては、多少の違和感は感じていたが、その違和感は、自分はOshoを知っている、という変なプライドから来ているのだろうな。それは、山川夫妻のOshoの翻訳仕事に対しても感じたこと・・・・
 その同じ感覚は、このブログを書いた人も言っている。

 ただ、この人の偉いところは、この仕事〜Oshoの教えをコンパクトにまとめる、という仕事を始めたのが、70歳を過ぎてからというもの。

 その玉川氏の言葉・・・
 「あとがきを書き終えてからのまえがきであるが、言いたいことのただ一点は、この書は私個人の人生上の問題はあれ、これだけのガッツのある天才的宗教家を世に紹介したいという思いばかりのものである。
あとがきにも触れたように、これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である。」

 心強い言葉だ。その人生を、社会のいろいろな世界を取材・評論して生きてきた人の、晩年の言葉である。
 その3冊の本は2003年に出版されたが、その後、そのような本は出ていない。そして、その2年後に彼は亡くなっている。
 いろんな形にせよ、そういう仕事が為されているというのは興味深いものだ。



 その、玉川氏の言葉「これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である。」・・・に感じたことは、そもそも日本人は、偉い人物や凄い人物が嫌いなのではないか? ということだ。 出る杭は打たれる、とか、判官びいき、ということなのか・・・ ちょっと目立った人物が現れると、みんなで粗探しをしたり、足を引っ張ったりする。

 海外では高く評価されていても、日本人にはほとんど知られていない日本人は多い。謙遜の歪んだ態度なのだろう。
 そして巷の宗教嫌い、スピリチュアルへの偏見からも、おそらく日本でOshoが一般的に受け入れられるのは、非常に困難なことかもしれない。
 でも、この人のような、一部でも理解している人が存在しているのはひとつの光になる





 


Osho日記 2013年 4月

OSHO TOP  徒然想記  翻訳・出版暦  日記TOP  

inserted by FC2 system