愛するOsho
 私は、光明を得た人のリストが発表された時にかつがれた一人でした。それで私は思いました。「私が光明を得たとOshoが言うなら、なぜそれを試してみないのだ?」と。
 私はそれを楽しみました。私は再び闇に突き落とされるまで、百人くらい友だちを呼んで、六ヵ月の間パーティーをして暮らしました。私は見たものを、本当に有効な状況として利用しようとしました。
 私が見た主要な事は、自分が本当にオーケーだということでした。私はその経験について自惚れているのでしょうか?



 いいや、あなたがそれを理解できるなら、自惚れることはできない。まず他のことをいくつか説明しよう。
 数人の人々が光明を得たと発表した後----サントッシュもその一人だった。彼は私に手紙をよこした。「私が光明を得たというあなたの宣言は、私に何の興奮も与えません。しかし私の存在が光明を得た人々の委員会の一員として受け入れられたことは、私を非常に良い気分にさせてくれます。」
 私は彼にメッセージを送った。「なぜ光明を得たことがあなたを興奮させないのだ?理由は、あなたが自分は既に光明を得ていると思っているからだ----それは真実ではない。だから光明を得た人々の委員会の一員になることが、あなたを良い気分にさせるのだ----ついにあなたの光明が認定されたわけだ。それはあなたにとっては宣言ではなく、あなたはかなり前に光明を得ていたという認定だ。

 しかし光明が興奮させるものでないのなら、光明を得た人々の集まりやその委員会の一員になることが、どうしてすごい事であり得るのだ?もし光明それ自体があなたにとって何の意味もなさないのなら、委員会の一員になることはどんな意味もなすことができないはずだ。あなたのエゴを満足させる、ということを除いては。
 あなたは光明を得たが、誰もそれに注目していなかった。ついに私がそれを認めた。そして今やあなたは光明を得た人々の委員会の一員だ。だからそれは確認された。しかしあなたは間違っている---なぜならあれはすべて冗談だったからだ!委員会は冗談だった。宣言は冗談だった。そしてそれは策略だったのだ。」
 ソメンドラはすぐに「私は認定を受け取ったよ---君はどうだった?」という電報をティアサに送った。彼は絶え間なく競争していた---それが彼の問題だった。彼はティアサより上位にいなくてはならない、というのが。そしてこれはいい機会だった。
 彼はサニヤスを落とした。彼は私たちとどんな接触もしてこなかったが、彼が光明を得たという私の宣言を、彼は受け入れた。サニヤスは、彼は落とした---彼はもはや私のファミリーの一員ではない---しかし光明となると・・・すぐに電報だ。「私は認定を受け取ったよ---君はどうだった?」

 これは、人々がどのように反応するかを見るための策略だった。それに対するあなたの反応は完璧に美しかった。
 あなたの反応はこうだった。「私が光明を得たとOshoが言うなら、そうに違いない。」これは信頼と愛を率直に示している。エゴとは何の関係もない。そしてパーティーを開いて、友だちとその瞬間を楽しむということは完全に正しいことだった。
 そしてあれは冗談だったと私が言った時、あなたは怒らなかった。あなたはそれを再び同じように率直に受け取った。「私は光明を得ていない、あれは冗談だった、とOshoが言うなら、たぶん私は光明を得ていないし、あれは本当に冗談だったのだ。」そしてあなたは六ヶ月を光明を得た人として過ごした。あなたが感じた喜びと平和と穏やかさは、光明のものではなかった---それは信頼と愛のものだった。
 それはあなたにとってよい経験だった。
 しかし違う経験が違う人たちに起こるものだ。

 光明を得たと宣言されたグループの中に、インド人は二人しかいなかった。光明が何を意味するのか、彼らは伝統的に理解していた。その一人はヴィノード・バルティだった。
 彼はとても神経質になって、泣きながら、私にメッセージを渡すためにヴイヴェックのところへ来た。「Osho、私は光明を得ていません。それにあなたは私を困らせています。あなたが間違っていると私には言えませんし、自分が光明を得ていないことを私は完璧によく知っているのです。では私はどうしたらいいのですか?私は引き裂かれています。ただ、本当のことを言ってください!」
 彼は光明を知っている。インドでは何世紀もの間、光明が霊的探求の究極の頂点であったことを、彼は知っているのだ。西洋では、そうした考えそのものが一度も存在したことがない。だから彼は自分自身をゴータマ・ブッダのようにみなすことはできないのだ。そして彼が私を否定できないのは、彼が私を愛し、信頼しているからだ。だから私には彼の困難がわかる。だから私は彼にメッセージを送った。「心配しなくていい。あれはただの冗談だった。あなたは光明を得ていない。くつろぎなさい!」
 自分が光明を得ていないことを耳にするまで、彼は二日間眠ることができなかった。それで彼はくつろいだ---自分は光明を得ていない、そのことに問題はない。

 もう一人は、スワミ・アナンド・マイトレーヤで、彼はすぐに冗談を理解した唯一人の人物だった。それは彼が部屋を去るやいなや、こう言ったからだ。「Oshoは本当にいたずら好きだ!その証拠に、私が光明を得たと言った!」だが彼もまたインド人で、特にビハール出身者だった。そこはインドで光明を得た人々が最も多く輩出したところだ----ゴータマ・ブッダ、マハーヴィーラ、パルスターナ、ネミナータ、アディナータ・・・・光明を得た人々の長い系列がある。二十四人すべての光明を得たジャイナ教徒のマスターたち・・・ゴータマ・ブッダ---彼らはみんなビハールに現われた。ビハールには光明に対する最も深い理解と経験がある。だから当然彼はこう言った。「Oshoはいたずら好きだ」だがそれもまた彼の愛だった。

 彼はかき乱されなかった。なぜならそれは冗談だということがわかれば、それについて何も難しい問題はないからだ。
数人の人々はただ沈黙したままだった。彼らはどんなふうにも反応しなかった。これもよいことだ。彼らはそれに惑わされなかった。彼らはただ単に自分自身のままで、あるがままでいた。「Oshoが光明を得たと言うのなら、そうかもしれない。彼がそうでないと言うのなら、そうでないのかもしれない。」しかしそれは彼らにとって何の違いにもならなかった。彼らは超然とし、距離を保っていた。

 人々がそれぞれ違ったマインドで、一つの考えにどのように反応するのかを見るのはよい経験だった。委員会に含まれなかった人々は腹を立てた。私はこのような数通の手紙を受け取った。「この人たちが光明を得たのなら、どうして私が光明を得ていないのですか?」まるで何か魂胆があるかのような言い方だ・・・「あなたはこれらの人たちに光明を認めました。なぜ私には認めなかったのですか?」
 ある者はこう書いていた。「私はこの人たちより長くあなたと一緒にいたのに、私がまだ光明を得ていないとは。あなたは私を忘れてしまったのか、それともこれは何なのですか?」人々がどう反応するのかを知るのはいいことだった。

 あなたの反応はどちらも完全に美しいものだった。「これが光明だとOshoが言うのなら、そうに違いない」---それはまったくの信頼だ。「そして彼がそうではないと言うなら・・・」あなたはどんな矛盾も、一貫性のなさも感じない。あなたは単に受け入れる。「彼がそうではないと言うなら、そうでないに違いない。」あなたは一貫した世界も、一貫性のない世界も超越した。

 愛は矛盾を知らない。
 それは比較を知らない。
 それぞれの瞬間にそれは手に入れることができる。


                                「ビヨンド・サイコロジー」 10章




    


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Osho、サニヤシンに光明を得たと宣言する・・・
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