称念寺
今井町の成立は戦国の世、天文年間(1532-1555)この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって寺内町を建設されたことに発する。
一向宗の門徒が、今井に御坊(称念寺)を開き、自衛上武力を養い、濠をめぐらし、都市計画を実施した。
称念寺を中心とした寺内町今井は完全な城塞都市で、江戸時代初期の概略を考えると、東西600m、南北310m、周囲には環濠士居を築いた戸数1100軒、人口約4,000数百人を擁する財力豊かな町であった。町割りは西、南、東、北、新、今の六町に分かれ、9つの門からは本橋を通って濠を渡り、外部の道路と連絡している。内部の道路で見通しのきくものはなく、ほとんどが一度屈折させてある。これは、敵の侵入に備えて、その遠見、見通し、弓矢・鉄砲の射通しを不可能にしたものであった。これらは当初、軍事目的のためにつくられたものであるが、江戸時代中期は富裕な商人の生命、財産等を外部から守るというものに変貌した。
1662年
18世紀後半
18世紀後半
中橋家
豊田家
河合家
2009年4月18日
河合家
河合家
中橋家
豊田家
西口門跡
旧環濠
近鉄八木西口駅
北口門跡
今井町