生まれて最初の飛行機、海外旅行、インド。
往復航空券を持っただけの、ホテル予約もなし、地図もなし、行き当たりバッタリの旅。出国前には予防接種が必要だった。
航空代金はエア・インディアで往復16万円。この時の相場は1ルピーが30円。
カルカッタ到着まで仏教信者らしきツアー客たちと同行する。現地で解散したが行く先の町でよく会ってしまう。
1983年
1月19日;大阪出発 16:30 エア・インディア AI307
1月20日;インド・カルカッタ・ダムダム空港到着 00:14 ツアーのバスに同乗して市街地へ行く。
初めてのインドの光景は真夜中のカルカッタ、ボロボロのバラック家、真っ暗な夜道を明かりもなく歩く人々、
毛布一枚で路上に寝ている人々、終戦直後の日本の様で全てがショッキングだった。
宿泊は予約していないので、ツアー客のホテルに只泊まり。
Hotel
= Fairlawn
Hotel エアコン付で200ルピーの高級ホテル。・・を、無料で泊めていただいた。
ツアー客はすべてガイドまかせなので自分の泊まるホテルの料金など知らないし、興味もない様子だ。
翌朝は小雨。あてもなくホテルを出る。そのへんのインド人を頼って安宿探し。Hotel
Neelam に泊まる。
Hotel Neelam 35ルピー。
ニューマーケツト、チョーロンギー通りを散歩。
カルカッタの町は汚くうるさい。路の隅は汚物にまみれている。車のクラクションとエンジン音がけたたましい。
とにかく人が多い。それもほとんど男性だ。やたら声をかけてくる。
「日本人デスカ? 私トモダチ。日本スキデス。日本ノトモダチイマス。イイモノミセテアゲマス。」
こんな調子で声をかけてくる。不安と心細い気持ちの私は、こんな言葉に心を許してしまい、のこのこ後をついて行ってしまう。
付いて行ったところは彼の店、宝石店だ。商品を私に売りつけようとするが、興味ないのでそこを離れる。
けっこうこんな感じで多くのインド人が近づいてくる。けっこうしつこい。うっとうしいし、疲れる。
突然誰かに触られる。振り向いて見るとまだ幼い女の子が赤ん坊を抱いて私にお金をせがんで来る。
また触られて、その手を見ると指が無い。らい病患者の乞食だ。手足が変に曲がっていてまともに歩けない人もいる。
これらの乞食は無視するしかない。一度金を与えると、他の乞食も一斉に寄ってくる。きりがない。
街角ではどこからともなく音楽が流れてくる。あのラタの歌声だ。
道路の真ん中を堂々と牛が歩く。車の方が牛に遠慮して走る。
この頃のカルカッタは地下鉄工事をしていたが、その穴堀りはスコップとザルによる土運び、超原始的工法だ。
土を運んでいるのは女性が多い。
ガヤ行きの列車の切符を予約するため予約オフィスへ行くが受け付けてくれない。
時刻表を買いにタクシーでハウラー駅まで行く。ここでタクシーと料金で揉める。
乗る前に料金交渉をして乗ったのに、駅に到着するとより高い料金を要求してきた。
話が違うと言い争うと、タクシーのまわりに野次馬が集まってきた。
とにかく運転手は言い値で支払わないと車から降ろさせようとしない。
タクシーの中にカンズメ状態になった私は仕方なく相手の要求額を支払って車から解放された。
ツーリスト・オフィスを探す。予約できる場所が見つかりようやく切符を得る。
1月21日; 早朝、ホテルに男が入って来る。髭剃り、ヘアセット、マッサージを受ける。
最初に値段交渉をしていなかったため40Rs請求される。後に聞いた相場では5Rs程度。
とくにあてもなくカルカッタ市街をブラブラする。博物館などに入ってみたりもした。この日は金曜日で無料。
マンダン公園。ビクトリア記念堂。
miniバスで4時頃ハウラー駅に行く。駅のwaiting roomに入るには乗車券の提示が必要。1stクラスと2ndクラス
に部屋が分かれている。このwaiting
roomでツアー客に会う。列車は 9DoonExp.
の1stクラス。
カルカッタからガヤまで125ルピー。ホームで自分の予約車両を探すのに苦労する。
各車両に乗客名簿の紙が貼られてあるが、自分の名前がない。駅側の手違いで、なんとか席を確保する。
9DoonExp. 2段寝台、ハウラー駅出発21:35
ガヤまで約9時間、458kmの夜行旅。125ルピー(予約手数料16ルピー)
1月22日;早朝6:30 ガヤ到着。車内アナウンスはまったくない。朝日で目が覚めたら駅に停車していた。
その駅がガヤ駅と知ってあわてて降りる。
だいたい定刻どおりに動かないインドの鉄道で車内アナウンスもないのに一般のインド人はよく間違わないものだと感心する。
ガヤ駅でヴァラナシ行きの列車を予約しようとしたが受付は夕方から。
リキシャでバスターミナルへ行こうと思うと数人のリキシャのドライバーが寄ってきて自分を争奪しようと競い合う。
こちらから運賃をセリに賭け、4Rsを2Rsに値切る。しかし到着した所はバスターミナルではなくリキシャの溜まり場。
ここで朝食を取っているとヒッピー風なアメリカ人二人に声をかけられ、彼らと共にリキシャでブッダガヤまで移動。
運賃を3人で割り勘して一人7Rs。
8:30ブッダガヤ到着。
ブッダガヤのツーリストロッジに行くとツアーの面々が朝食を取っている。
そのホテルは満室なのでとりあえず日本寺の付近に行こうとすると、自転車に乗った若いインド人に会う。
彼の名はプラサド。カルカッタの博物館前でぼくを見たという。彼のはからいでツーリストバンガローのドミトリーに泊まる。
Hotel = Tourist Bungalow 一泊7ルピー そこには先に日本人が二人来ていた。
午前中はツアーと一緒に日本寺、大精舎寺院、菩提樹を見学。
27歳の誕生日をブッダガヤで迎える。
後、若いイスラエル人に会い、ナーランジャ川を見に行く。チベット村で昼食。
そのイスラエル人から数珠を50Rsで買わされるが、後で先のインドの若い青年ラム・ナレシュ・プラサドから偽物であると教えられ、
彼の計らいで50Rsを返してもらえた。
プラサドの仕事は数珠商で、まだ19歳だが、ヒンディー語、ベンガル語、英語、日本語と4ヶ国語を話せる。
ブッダガヤにはチベット仏教僧たちが多い。
インドには仏教徒はほとんどいないので、この仏教の聖地ブッダガヤに巡礼に訪れているのはチベット人ばかりだ。
菩提樹の周りには多くのチベット僧たちが赤いロープを着て坐り経典を読経している。
話によると3日後にダライ・ラマがここに来るとのこと。それでチベット人たちが多く集まっていたわけか。
近くにはチベット密教寺院もある。内部は彩色豊かなチベットマンダラが描かれている。
日本寺もある。日本人の僧がここで信仰生活を送っている。
チベット人にはなぜか不思議な親近感を覚えた。どこか懐かしい安らげる何かを感じだ。
ナーランジャ川で大精舎に沈む夕陽に向い瞑想。 遠くで若いアメリカ人女性が笛でアメリカ民謡を奏でていた。
仕立て屋でクルタとパジャマを作る。夜はプラサドとかれの友人と共に過ごす。
インドに来て、はじめてゆったりと静かな時間を過ごせた。
1月23日;9:30ブッダガヤ出発 ツアーバスに同乗
11:30ラジギール着、仏陀苦行林跡、旧王舎城跡、温泉、
仏陀が法華経を説いたとされる霊鷲山へ行く。
ツアーに参加したからこういう場所に行けたのだが、しかし、霊鷲山ではまいった。
この団体は日蓮宗の信者なのか、その場所で全員大声で法華経を唱え始めたのだ。
やめてほしい!
読経しているその顔からは、いかにも、徳を積んでいるのだ、というエゴがありありと感じられた。
表面的に信仰者を気取ってはいるが、その内面の俗っぽさがしっかりと出ている。
どうも日本の仏教は好きになれない。
Hotel
= Tourist Bungalow 一泊20ルピー
1月24日;ツアーバスにてラジギール出発。
ナーランダ着。ナーランダ仏教大学跡。博物館。
ナーランダ大学跡にかつての仏教の栄光の時代を偲ぶ。 三蔵法師もここを訪れたのだ・・・
ナーランダからパトナへ移動。
パトナ駅からヴァラナシ行きの列車が遅れているとのことで、ツアーバスにてヴァラナシへ行く。
1月25日;2:30ヴァラナシ、ホテル・デ・パリス(ツアー客たちの宿泊所)着。ここから夜道をヴァラナシ駅まで歩く。
ヴァラナシ駅からリキシャに乗ってガートまで行く。ガートの夜明けを見たかったのだが、リキシャの運転手に話が通じず、
彼の所管するシルク店に連れて行かれる。わけがわからないまま商品を売りつけられるが、強引に断って店を出る。
すでに夜は明けていた。すったもんだでなんとかベナレスでのホテルを確保する。
Hotel
= New Imperial Hotel 一泊45ルピー(2日以降は30ルピー)
リキシャに無理やりガンガーのボート乗り場へ連れていかされる。
付近は砂を運ぶ人夫が働いている。女・子供が多い。ツアーに参加していた女性とガートの遊覧船に乗る。
朝食を取りながら値段交渉。一時間20Rsを10Rsに値切る。手漕ぎボートに乗ってガンガーを遊覧。2時間の遊覧。
マニカル・ガート、火葬場に着く。灰が立ちこめていてよく見えない。
しばしガートを見物。 ベナレス市街は細い路が入り組んでいて、すぐ迷ってしまう。
そんな路でも牛さまがお歩きになられている。
ここでルピー現金が少なくなったのでトラベラーズ・チェックを両替しようと銀行を巡ったがどこも受け付けてくれない。
かなり大きな銀行を見つけて、そこでようやく現金に換えることができたが、その銀行探しだけでかなりの時間をロスした。
疲れたためホテルのロビーへくつろぎに行くと、そばにいたインド人がインド音楽のカセットを聴いていた。
軽快でリズミカルな歌がとても心地よかった。
それがこれ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=cq46yuFjWYE
私「グッド・ミュージック!」
彼「イエス、グッド・ミュージック」
私「アイ、ウォント、トゥ、ディス、カセット」
彼「オーケイ!ジャスト、ウェイト」
こんな軽い調子で彼はこのカセットを買ってきてくれた。
これは映画Goonj Uthi Shehnai とBaiju Bawra のサントラ盤。
Goonj Uthi Shehnaiからは http://www.youtube.com/watch?v=j4jLZa2xKBA
Baiju Bawraからは http://www.youtube.com/watch?v=oj3t5jOTYmw&fea..
http://www.youtube.com/watch?v=5tm6I3C9BGw&fea..
この歌の歌手 ラタ・マンゲシュカールの音楽に出会い、魅了される。
1月26日;オートリキシャでサルナートへ行く。
仏陀初転輪法の地、考古学博物館、中国寺、マハーラジャ寺院、モンキー寺院などを見学。
夜、ホテルの人間に勧められて麻薬(ガンジャ)をやる。タバコのような葉をパイプにつめて吸う。
かなり深く吸い込まなければ効かないらしい。徐々に意識が遠のき、現実感が乏しくなっていく。
頭の中を流れる血液が実感できる。いままでの自分の人生が全部ウソに、虚構に思えてくる。
たしかに、現実からの逃避にはいいかもしれないが、しかし一時的なごまかしにすぎない。
自分にとっては決して気持ちのいいものではなかった。二度とやりたいとは思わない。
彼は残りの葉も全部私に与えて部屋を出て行ったが、僕はもう興味がないので残りの葉を全部捨てた。
1月27日;13:00、アグラ行きの列車に乗る。列車 (83up Exp. 1stクラス) でヴァラナシ出発。アグラまで994キロ、17時間の旅。190ルピー
ベナレス駅のホームで列車が到着すると、赤い服を着たポーターが私の荷物を取り上げて勝手に列車の中へ入っていく。
「おいおい、頼んでないぞ。」 まったく強引だがこれが彼らの仕事。
車両の中は乗客たちでごった返しているが、その混雑の中を手際よく分け入り、私の予約席(寝台)を見つけて確保してくれる。
さすがプロ、じつにスムーズだ。ポーター代は2ルピー。
ただ、別の機会で一度ポーターを断ったことがあったが、そのことで後そのポーターと揉めたことがある。
やっぱりあまりこちらの意見は聞かないようだ。
車中で、隣にいた乗客が突然布を床に敷いて、その上に膝間ついて祈りを始めた。イスラム教徒なのだろう。
彼らは1日に5回(だったと思う・・・)メッカの方に向かって祈りを捧げるのだが、走行中の列車の中でも行なうのか。
信仰心が熱いというか、まあ、めんどくさい宗教だなと思った。
途中の停車駅で腹が空いたので駅弁を取ることにした。
駅弁といっても、ホームにいるのは屋台のようなもの。窓越しに注文すると皿にチャパティと具を盛り付けして持ってきてくれる。
停車中に食べ終えて皿を屋台のオヤジに返さなければならない。オヤジも列車の出発時間を気にしてそわそわしている。
無事食事完了。7.5ルピー(230円)
その他でも、停車中はチャイ売りのオヤジや新聞・雑誌売りの子どもたちが車中を歩きめぐる。
「チャ〜イ、チャ〜イ!」 この声のひびきが好きになった。
1月28日;6:00アグラ駅着。まだ薄暗く小雨が降っている。リキシャの案内されるままツーリスト・ロッジに宿泊を決める。
Hotel = Kishan Tourist Lodge 一泊20ルピー
そのまま彼のリキシャでアグラ城、タージ・マハルを見学。その後彼のつれの店へ連れて行かされる。
大理石加工現場と販売店、宝石店、染物店、楽器店。高級シタールを700Rsと手持ちの時計で買わされる。タブラも財布と交換。
商品は配達されず騙される。アグラ駅へ行き、ボンベイ行き列車に乗る。
夜は大雨で時々雷が落ちる。
1月29日;1:26アグラ出発。列車 (58 Amristar Exp. 2ndクラス) ボンベイまで1343キロ、約28時間の旅。104ルピー
終日列者の中。駅に着くごとにチャイ売りのオヤジの声が響く。子供たちも駅内でよく働く。
1月30日;6:30ボンベイ(ムンバイ) ヴィクトリア・ターミナル駅着。
タクシーの運転手に連れて行かれたのはサンタクルズ空港近くの高級ホテル。Hotel Galaxy 一泊110ルピー。
安宿を希望していたのだが、とにかくインド人は自分の意見を押し通す。言うことをきかない。
しかしタクシー代は132ルピーも請求してきたが、今金がなく、翌日払うと言って運ちゃんを帰し、
そのままなんとか払わずに煙に巻くことができた。ホテルで久々にシャワーを浴びる。
空港バスで市街地へ出る。エア・インディアのオフィスへ行って帰国便のリコンファーム(再確認)を行う。
バザールを散歩、チャーチゲート駅へ行く途中ボーラという中年の紳士(自称トラベル・エージェント)に出会う。
彼の奢りで高級レストランでビールを戴く。この日はガンジーの命日で飲酒禁止の日なのだがそんなことはかまわない。
彼の勧めでエローラ・アジャンタへ行くことになり、オーランガバード行きのバスを手配してくれる。
1月31日;例のタクシーから逃れるため約束の時間より早めにホテルを出てサンタクルズ駅へ行く。通勤ラッシュのため昼までホームに留まる。
昼過ぎ、チャーチゲート駅のレストランでボーラと再会。入国の時日本円を直接インドルピーに両替したことで、
それではまともに出国できないと注意され、残金の内の700Rsをドルに交換のため彼に渡す。
ボンベイ、インド門、マリンドライブを観光。ヘビ使い。
20:00 M.T.D.Cより夜行バスでオーランガバードへ行く。約380キロ、11時間の旅。111.5ルピー
2月 1日;7:00オーランガバード着。
バス停に着くとすぐホテルを勧誘する少年が近づいてくる。この少年の案内されるまま宿泊するホテルを決める。
Hotel = Novelty Resturant 一泊25ルピー、3日分として60ルピーに割引。このホテルは雑貨店を兼ねている。
Aurangagad Cavesまでの道3キロを歩く。 Bibi-ka-Magbara
2月 2日;9:30発の観光バスでエローラ行き。ガイド同行なのでせわしない。観光ペースが早くてゆっくり鑑賞できない。
バス代金(ガイド料込)
25ルピー
2月 3日;7:00発の観光バスでアジャンタ行き。片道3時間。エローラの時と同じガイド。やはりせわしない案内。
バス代金(ガイド料込)
39.3ルピー
2月 4日;オーランガバードでラタのカセット「Faraway Memory Vol.3」を購入。
20:10 夜行バスでボンベイへ行く。
2月 5日;5:00ボンベイ着。マリンドライブを散歩。カメラを盗まれる。
ボーラと再会。アグラのシタール詐欺は無理、彼に預けていた700Rsは日本円に両替してもらえた。
帰国のため空港に向かう。空港バスの車掌に国際空港行きかと尋ねたら、首を横に傾ける。これはインドの仕草でイエスの意味だが、
僕はノーという意味と解釈していまい、そのバスには乗らず、別の空港へ行く。
そこが国内空港だと後で気づきあわてて国際空港まで行く。金がないため徒歩で約1.5kmの道のりを歩く。
18:00ボンベイ空港出発で帰国。このとき所持金ゼロ。迎えに来てくれた友人の助けによって家まで帰ることが出来た。
家に着くとそれまでの緊張感が解け、疲れも出て、約1日半寝込む。
初めてのインド旅行
1983年 1月19日 -- 2月 6日