トゥリヤ
1993年12月28日-31日
Trier
Treves - elector palace
Konstantin Basilika
コンスタンチン・バジリカ
ペトルス泉
皇帝大浴場
円形大競技場
ローマ時代の最古の建物。
長さ75メートル、幅50メートル。
当時、古都の住民を闘士の試合で楽しませるため、紀元後約100年、ペトリ山の山腹に深く掘り込み建造された。
選帝候のロココ宮殿
ルイ14世のフランス軍が度重ねてトゥリヤに来襲したため、1680年、選帝候はその行政機関をコブレンツにある難攻不落のエーレンブライトシュタイン城に移した。 トゥリヤが奇襲される危険がなくなったのにも拘わらず選帝候はその後もトゥリヤに戻ろうとはしなかった。 総大司教のヨハン・フィリップ・フォン・ヴァルダードロルフの時代になってはじめてトゥリヤに戻ることになるのだか、彼はトゥリヤの古い城に住むことには満足していなかった。 そこで、1756年に政権の座に就いた折、ロココ様式の宮殿を建設するよう命を下した。 設計はノイマンの弟子のヨハン・サイズが担当したが、この宮殿は永久に完成することはなかった。
三大王の家
1200年以降においても貴族達は、都市住宅としての家というものに関して、依然としてあたかも鐘楼を防備するかのような造りを好んだ。 一階と二階には扉もなく、それが1230年頃の典型的な建築様式であった。 家の出入りに使う扉は三階にあって、収納梯子で昇り降りしていた。