2月16日 ・・・・・ 読書暦〜哲学〜

.. 一日中翻訳をしているため、どっぷり活字に浸っている状態なので、さらに本を読もうという気にはあえてなりにくいけれど、自分の読書暦を振り返ってみたりすると・・・、
 ずーっと人生に悩んでいた少年だったから、どうも哲学、人生論的な本に興味を持っていた。
 最初に出会った哲学は、偶然にも中学の校長が自分でプラトンをギリシャ語から、それを子供向けに翻訳して自費出版していた。
 縁あって私がそれに挿絵を書くことになって、それでプラトンを知ることになった。
  「ソクラテスの弁明」「クリトン」「パイドン」など・・・

 当時は、変に理屈っぽい論理が展開されていて、よくわからず、あまり好きにはなれなかった。
 一番影響を受けた本は、旺文社文庫から出ていたショウペンハウエルの「哲学入門」。
 これは「表象と意志の世界」のダイジエスト版で、内容は、要するに、世界はその人が見るように見えるもの、その人の見たいものが、その世界である、ということ。つまり、世界は、人それぞれによって感じ方が違う、それはその人次第だ、ということ〜。
 これは不思議と何か新鮮な見方を与えてくれた記憶がある。後で知ったが、このショウペンハウエルは、インドのウパニシャッドに強く影響を受けていて、西洋にウパニシャッドを伝えた最初の人らしい。
 他には、カントの「純粋理性批判」デカルトの「哲学原理」サルトルの「実存主義」くらい・・・。

 哲学も、結局はその哲学者の考え方に興味を持つかどうかによるので、だんだんと、他人の考え方に興味が無くなっていくにつれて、哲学にも興味がなくなっていった。乱暴に言えば、ただの屁理屈の寄せ集めにしか見えなくなった。
 それでも、この一番影響を受けたショウペンハウエルが、インド思想から影響を受けていたということは、今、インド哲学に興味を持っている自分にとって、何か不思議な縁を感じてしまうけれど・・・。




2月17日 ・・・・ 読書暦〜美術〜

 もともと美術系の高校・大学にいて、美術への関心は強かったけれど、その美術に対する価値観を覆されたのは高校の美術の授業から現代美術を知って〜
 それから美術は、鑑賞するものではなく、考えるもの、になってしまったようだ・・・。
 「ダダ」ハンス・リヒター、
 「現代美術」東野芳明、
 「デュシャンの世界」、
 「ジャスパー・ジョーンズ」

 ただ、今でも西洋美術の歴史を知る上では優れた名著だと思えるのが、 「見えるものとの対話」全3巻 ルネ・ユイグ
 油絵の基礎・歴史を学べるものとして、「油彩画の技術」グザビエ・ド・ラングレ
 評論として影響を受けたものに、「芸術の意味」ハーバート・リード、「絵とは何か」坂崎乙郎
 人物伝で、「画狂人北斎」瀬木慎一
 他に・・・「レオナルド・ダ・ビンチの手記」「ゴッホの手紙」

 美術とは、人の心象を映すもの、と言ってもいいと思うが、西洋美術史の流れを見れば、それは社会の動きと密接に関わっている。
 中世までは、ほぼ宗教のための美術であったものが、ルネッサンスから、人間や自然をいかに写し、表現するか、に変わっていった。徹底したリアリズムが、レオナルドやファン・アイク、デューラーなどによって極められる。
 そのリアリズムは、次第にマンネリズムに陥り、近代の写真の発明により、絵画の対象を模写する意味が崩れ始める。
 機械文明の発達による人間性の喪失、深層心理学の発展などによって、物の見方を変えることに意味を置き、フォービズム、キュビズム、シュールレアリズムなどの運動が起こる。その極めつけがダダイズム。

 19世紀の神秘学、ブラヴァッキーから影響を受けた抽象画家カンディンスキーの「抽象芸術論」「点・線・面」などは全くの哲学書といえる。
 重要なのは、作品そのものよりも、それを意味する思想・観念・概念・主義にあった。

 そうやって、現代美術は難解になり、わけがわからないものになり、鑑賞するものではなく、美を味わうものではなく、考えるものになってしまった。とにかく、新しくなければならない、というのが共通の命題だった。
 西洋の美術館に行けばわかる。古典的なものから現代的なものまで、あらゆるタイプの美術がうんざりするほどの量で存在している。
 つまり、様式的には、ほぼ出尽くしている、という観がある。だから現代には、もう新たな美術運動は現れていないのだろう。
 となると、後はただ個人の趣味の世界に入るしかないような・・・。ある意味、美術教育を受けてきたせいで、美術を素朴に楽しめなくなってしまったところはある。

 でも、やっぱり惹かれる時代はルネッサンスとその前後の時代の美術になるな・・・。





2月23日

 昨日放送されたしくじり先生「小林麻耶」の番組は、八方美人になって嫌われた経緯についての話だったが、その原因となったのが、子供時代の度重なる転校によるもの、だという。その境遇が自分とほとんど同じなのに興味を引かれた。
 自分も小学校を3回、中学校を1回転校している。つまり、ほぼ1年こどに環境が変わっていた。
 仲良くなれた友人とも、1年で別れることになる、ということの繰り返し〜。常に新参者、よそ者、部外者だった。

 孤立を避けるために、自然と、周囲に合わせる行動を取るようになった。表面的には仲良くなっても、共有できる過去の思い出がなかった。
 それ以上に、それぞれに雰囲気が違い、以前の所で普通であった振る舞いが、新しい所では珍しく、奇妙に思われた。
 だから、よく笑われた。自分では普通に、当たり前にしていたことが、周りから笑われた。そんな状況が、1年ごとに繰り返された。

 だから当然、自分に自信が持てなくなり、自分を確立することは難しかった。
 当然、自分の本当の心を打ち明けられる友人もいなかった。なぜなら、自分を昔から知っている人は誰もいなかったのだから。

 だが、そのような状況は後になってプラスに働いた。つまり、どこでも生きることができるようになった。一つの場所に執着しなくなった。
 そして、友人がいないというのは、一見不幸に見えるだろうが、逆に一人で生きられるようになった。
 私は、一人でいて、孤独だとか、寂しいと感じたことは、最近は全くない。逆に、自由でありがたい、と思っている。

 転校を繰り返した子供時代と、それから受けた影響は、すでに起こってしまったことであり、過去は消えないし、その影響は消えない。
 その影響をプラスにするかマイナスにするかは、自分次第だが、自分としては、今となっては、過去に転校してきたことはよかったと思っている。

 過去を思い出したくないので、卒業アルバムや文集、通知表の類は全て捨てた。〜いや、半分は父親に捨てられた。
 父親は、自分の子供の学校での学業など、全く興味がなかった。ただ、自分の社会的体面だけを気にしていた。そんな父も15年前に亡くなった。

 過去を懐かしむ気持ちは、私には全くない。同窓会など、行きたいとも思わないし、まずそういう連絡がない。
 過去との関わりを絶って、今、自由に、一日中好きな翻訳に没頭している。
 多分、今が自分の人生で一番幸せな時なのだろう。





2月25日

 前の日記で、子供の頃、転校を繰り返していたので、その友人関係は1年しか続かなかった、ということを書いた。
 それは社会人になっても同じで、転職、転居を繰り返すたびに、人間関係は出会いと別れを繰り返す。
 で、結局は、自分独りに投げ返される。
 子供の頃から、そんなことの繰り返しだったので、自分としては全く苦にならず、慣れている。

 仏教も、「無常」という教えを説く。
 人は誰しも、一人で生まれてきて、一人で死んでゆく。死ぬ時は、手ぶらで死んでゆく。

 生きていた時に得たもの〜財産、地位、交友関係〜それらは、自分と一緒にはあの世に持っていけない。
 そういうことを、小さな時から少しずつ体験できたことは、自分にとってよかったと、恵まれていたと思っている。
 なぜなら、もし、生まれてからずっと同じ場所で生き、同じ事をして、同じ人と関係してきて、
 突然、その環境が何かの事故や災害によって失われてしまうなら、そのショックは非常に大きいだろうからだ。
 例えば、私の祖父は83才の時に長年連れ添ってきた祖母が先に亡くなって、そのためにすごく落胆し、落ち込んでいた。
 60年も一緒に生きてきた相手がいなくなったのだから、そのショックは計り知れないだろう。
 私の場合、これまで3年以上一緒に生きた人は誰もいない。常に、どこでも一人だった。
 そして何度も、自分の財産を失ってきた。そういう経験の積み重ねが、今では結果的によかったと思っている。







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