12月 1日

 
8月から電話の線を外して通話不能にしているが、外部から遮断して一人でいることが自分にとってこれほど自由で幸福に感じられるとは思わなかった。
それはこれまでの過去の経験の影響もあるだろうが、一人でいて自分のやりたいことをやりたいようにして生きることが、本当に自分に合っているのを感じている。

 この状態で不具合に感じているのは市民出版社との応対くらいだが、それもメールで済ませる。全く市民出版社から電話があるだけで、こちらからかけることはない。そして他に電話の用事はなく、ただ不要な勧誘の誘いの電話を避ける目的もある。
  このままずっと電話を通話不能にしたままでも何も不自由はない。相手側からかかってくる電話にはロクなものはない。

  一人はいい。
一人でいることを非難したり笑ったり哀れんだりする世間の声には吐き気がする。ようするに一人でいられない人がほとんどだということだ。
 世間は一人イコール孤独・寂しいというネガティヴなイメージでしか捕らえられない人ばかりだ。一人でいられるようになった自分の人生経験に感謝する。





12月11日

 最近はまっているのがジブリ・アニメの「借りぐらしのアリエッティ」。最初観た印象は少し物足らなさを感じたが、なぜか何度も見返したくなる。
 特に音楽とのマッチはジブリ映画では定評だが、この映画の音楽にすっかりはまっている。それはセシル・コルベルの「アリエッティ・ソング
 ケルト風の曲調だからよけいに惹かれるのだろうか、それ以上にこの歌手の声がいい。

 ジブリ作品で一番好きなものは「天空の城ラピュタ」。失われた文明への憧れを刺激させてくれるからだ。
 自分の求めているものは結局これなんだろうな。だからケルトにも惹かれるわけだし、1981年の東京での個展でも、その紹介文になぜか古代文明への憧れが自分を導いてくれるかもしれない、と書いている。

 現在はOshoの翻訳に没頭しているが、いずれは失われた古代文明の神秘学的探求に入っていくことになるだろう。それはOshoの講話もまったく関係のないものではない。全ては最終的にはどこかで繋がってくる。




12月21日

 自分にとって過去の人間関係は全て呪縛でしかない。 34歳の時に母が死に、48歳の時に父が死に、とりあえず肉体的な呪縛からは解放され、精神的呪縛の余韻がその後 少しずつ薄れていくことを期待しつつある。それ以上に親の介護をせずに済んだことは大きな幸運でもある。 工芸高校の呪縛は、その思い出が染み付いたもの〜卒業アルバムや作品など〜を全て処分することで離れる。 サニヤシンの呪縛は、Oshoの翻訳をすることでそこから離れていくことができている。 自分の過去を少しづつ消すことで、自分はより軽くより自由になっていく。

 他人に対する期待感がますます消えていく上で、それに伴う孤独感、頼りなさが強まっていく。ただ、それは本来そういうものであり、一般世間はそれをごまかしたり隠したりするためにいろいろなゲームをしているだけのことだ。
 私はそれに直視せざるをえない。世間的なゲームに飽き飽きしているからだ。何も頼れるものはない。逆に、外側の何かに頼ったため、これまでは失敗してきたのだった。それを体験で思い知っている。それによって痛い目に遭ってきたため、いまさらそうしろと強いられてもできない。

 世間的な幸福の価値観は、私の中では崩れている。何の意味も魅力もない。




12月22日

 21日の日記から、自分への解答が2013年7月に書いた自分の日記にあった。


 シュタイナーの本はこれまで20冊以上は読んできたが、この「霊視と霊聴」という本は、難解といわれるシュタイナーの本の中ではとても分かりやすくて読みやすい。ページ数も180ページほどで手軽な量である。
 いわゆる霊能力を得るための方法、霊的世界について書かれてあるが、この本ではそれを「超感覚的世界の認識」と言っている。
まだ読み始めたばかりだが、その中で印象的な言葉は〜
「超感覚的世界の認識〜内的進化の成長の歩み〜のために必要な二つの条件は、孤独と、利己主義の克服であること。」
孤独とは神秘学で言う「高次の人間的孤独」のことで、ようするに独りであることを受け入れること。
「自分よりも高次に進化している人に愛と信頼をよせること。」つまり、自分を導いてくれる人〜導師〜が必要であること・・・(現実的に厳しいが・・・)

 発展させるべき六つの特性〜
(1) 思考のコントロール〜思考に支配されないこと
(2) 行動のコントロール〜外界からの誘惑に支配されないこと
(3) 忍耐〜感情に支配されず、平静さ、冷静さを獲得すること
(4) あらゆる存在を理解すること〜あらゆるものの中に美しいものを見つけること
(5) とらわれのなさ〜先入観、偏見を捨て、新しいもの、未知のものに対して開くこと
(6) 内的調和・・・上の五つの特性を発展させると、自ずと獲得される。

 そしてその鍵は瞑想〜規則的に同じ時間に続けることが大切とされる。時間は15分くらいでもかまわない。
 そして霊については・・・
「私たちの世界には、霊的世界に依存していないものはない。私たちの周囲にあるものは、霊的世界の外的な表現なのだ。物質というものはない。どの物質も、凝縮した霊なのである。霊的世界を覗き見た者にとっては、物質的・感覚的世界は霊化する。」「高次の世界のための器官〜(霊能力)〜が発展するまでは、人間は何も知らず、自分自身を知ることもない。」

 そして霊的世界に参入するためには・・・「人間は準備以外のことはできない。その他のことは霊的世界からもたらされる。霊的世界が現われるのは霊的世界の恩恵である、と理解しなければならない。」と言う。

 そこで準備とは・・・「心静かに待つこと。完全な心の安らぎを獲得すること。完全な心の安らぎのみが、霊的世界が私たちに接近することを可能にする。」と言う。

 霊能力は授かりものとよく言われるが、それはシュタイナーも同じことを言っている。シュタイナーの方法論は西洋人向けで、特にイメージ・トレーニング的なので、この点については私としてはタイプがあまり合わないのだが、言っていることはとても整然とされていて納得できる。
 私自身は霊能力を得ることにはほとんど興味はないが、この本で語られていることはその霊的世界の仕組みを知る上ではとてもおもしろい。





12月26日

 古いものを捨てるというのは風水的には運気を上げるのにいいらしい。気学でも吉方位に行った時にその場所に下着を捨てるのはいいらしい。
 私自身に取り付いている強迫観念〜父親からのものだが〜が、何でもすぐに捨てるというもの。これはある種の病気でもあろう。

 確かに非常に貴重なものも捨てたり捨てられたりしてきたが、大方自分の過去は嫌な事ばかりだったから、その遺物を捨てたことによっていくらか運は良くなってきたのかもしれない。確かに現在、衣食住的な面では不自由はなく、人間関係においても問題はない。特別な付き合いはなくても近所の住民との関係においても問題はない。
 近頃のニュースで見られるような大火事や大地震に遭って家や財産を失ったり、交通事故やつまらぬ因縁で命を失ったりすることはない。その面では平穏な生活を手に入れている。

 それが、過去のものを捨てたこととどう関係があるのかはわからないが、得ると失う、失うと得る、という正負の法則がここで働いているのかもしれない。
 だから問題は、過去のものに執着するかしないか、という自分自身の心の問題になる。

 平穏な生活を手に入れられたから、とあるサニヤシンからボロカスに批判された落ち着いた生活をしているから、今はOshoの翻訳に没頭できるのだ。



 最近、気になっているものが、「虚舟〜うつろぶね」の画像

   

 生まれて最初に見たのは一番右の絵で、石森章太郎の「サン・ジェルマン伯爵」というマンガの最後のページで紹介されていた。サン・ジェルマン伯爵も非常に不思議な人物で、神智学でも取り上げられている。
 当時としては、石森マンガが私にとってのスピリチュアルな情報源だった。

 これは滝沢馬琴が1852年に「兎園小説」で「虚舟の蛮女」として紹介されている。見るからにUFOである。できればこれを都市伝説としてテレビで取り上げてほしい。










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