1月8日
 ヴィパッサナ瞑想も11ヶ月〜あまり、こうやって経過年月を追うのもよくないのかもしれないけれど、なんとなく、ひとつの「闇」は通過したみたい・・・いろんなことが見え出してきた。
 それで、感じたことは・・・これまで他人から教えられたことは、どれも全てデタラメだった、ということ。私にとって、だ。
 苦しみの原因はただ一つ、自分を信頼していなかった、ということ。自己否定をして、他人に従っていたから〜他人の評価、批判を気にしていたから〜ようするに、自分よりも他人が、生きる基準になっていたこと〜
 世間は、他人のために生きるのを美徳と見る。自分のために生きるのを、エゴイストと非難する。そこに根本的な問題がある。

 今、私は、自分の全てを信頼し、愛し、受け入れたいと思う。自分の弱いところ、醜いところ、欠点の全てを、それでいいのだ、と受け入れる。自分を変える必要はない。つまり、自分を評価しないこと、自分を批判しないこと、そのままの、あるがままの自分を受け入れること。そうすれば、楽に、幸せに生きられる。どうしようもない、自分はそういう人間なのだから。

 世の中は、他人を批判ばかりする人が多い。自分のことを棚に上げて・・・彼らは、自分はわかっている、自分は正しい、と思っている。特に、年寄りになればなるほど、自分の考え方に頑固になる。

 人と自分は違う。自分のような人間は、世界にただ一人しかいない。誰もが独特な、独自の存在なのだ。だから、他人の考え方が自分に当てはまるわけがない。他人に教えたがる人、忠告したがる人、おせっかいな人には本当に気をつけて、できれば避けたほうがいい。自分を見失うことになる。
 だから、仏陀は言った。自灯明〜自分の灯りを頼りに生きよ、と。

 Oshoの翻訳を続けていて、改めてそれを感じる。最初に自分が直感で感じていたことが結局は正しかったのだ、と。足らなかったのは、自分への信頼だけだった、と。
 世の中は、本当は知らないのに、知ったかぶりして強く主張する者ぱかり・・・他人のあら捜しをして、批判する者多し・・・

 老子の言葉〜
世間の人はみんな、自信に満ちて生きている。私だけが、何もわからず、頼りなく生きている。
 自分は知っている、と思う人は、それだけ狭い世界に生きているだけのこと。〜井の中の蛙〜生きている世界が狭いほど、自信は身につく。世間で、一流といわれる人たちはみんな、ある特別な世界だけに生きている。政治、科学、スポーツ、芸能、職人・・・その世界から外れたら彼らは?ただの人・・・普通の人・・・
 知れば知るほど、自分は何も知らないことに気づく。生きる世界が広ければ広いほど、自分の無力さを、自分のちっぽけさを感じる。

 自分を信頼すること。ある意味、これは厳しい生き方にもなり得る。世間の価値観に合わないだろうし〜しかし、世間の価値観など、まったくコロコロ変化している。これこそ、最もデタラメなものだ。それに左右されて生きることこそ馬鹿げている。でも、そうすると、孤立しかねなくなる。
 ただ、それが大多数を占めている。だから自分を信頼することは難しい。確かなものが見えにくいから〜多くの人が信じていると、なんとなくそれが確かであるように見える。

 だから、瞑想が必要になる。
 要は、孤立、孤独を恐れているかどうか、ということ。でも、所詮、人間は独り。他人への期待、他人への依存が、不幸、苦しみの原因の一つ〜自分を信頼して生きることは、一人で生きることになるのか・・・でも、その生き方が、少なくとも自分には性に合っている。独りで生きることが・・・

・・・と、こう書くと、何か否定的なイメージに取られてしまうようだが、ようするに、これまで、外から受けてきたことが全てデタラメで、ただ、あるがままの自分を受け入れればいい、ということがわかれば、こんな幸せなことはない。

 だから今は、そんな自分をようやく信頼でき、受け入れることができるようになって、とても楽に生きられるようになった、ということ。
 自分に無理をする必要はない、ということ。
 長くかかったけど、今が一番幸せに生きているな〜〜






1月11日
  仏典〜法句経の言葉より〜
 「我に児あり、我に財あり」とて、愚者は苦しむ。己、己のものに非ず、況や児をや、況や財をや。
犯したる罪業は、固結せざること新しき乳の如く、灰に覆はれたる火の如く、燻りつつ、愚者に追随す。
常に焼かるるに、何の笑いぞ、何の歓喜ぞ。黒闇に覆はるるに、何故に火を求めざる。
此の世界は暗黒にして、観察あるものは少なし。智なきものに禅なく、禅なきものには智なし。

〜私の勝手な解釈では・・・この世の、世俗的な世界のはかなさと、それに執着することの愚かさを説いている、と思う。

「己、己のものに非ず」
この言葉は深い。自分は自分のものではない、と説いている。まさにエゴにとらわれるな、ということ。
「況や児をや、況や財をや。」ましてや、我が子や財産などは言うまでもない、ということ。
「常に焼かるるに、何の笑いぞ、何の歓喜ぞ。」
いずれは死んで火葬場で全て焼かれるのに、欲にうつつを抜かして一喜一憂することに何の意味がある、ということだろう。

・・・と、最初は解釈したが、その前文を考えるなら、少し変わってくる。

「犯したる罪業は、・・・火の如く、燻りつつ、愚者に追随す。」罪業に焼かれる、という意味だろう。
だから〜「黒闇に覆はるるに、何故に火を求めざる。」となる。
ここでの「火」とは熱情、欲望といえる。人は、自分の欲望の火に燃やされ、闇に覆われる、とも言える。
こう解釈する方がいいかもしれない。

「・・・観察あるものは少なし。」その無常さを観察し、自覚する者は少ない。
「智なきものに禅なく、禅なきものには智なし。」智とは智恵、知性であって、知識や物知りではない。禅とは瞑想、内観、自己の内面を知ること。

真理の言葉と感じた・・・





1月12日
 趣味人倶楽部の人生相談Q&Aを覗けば、60歳過ぎの人たちが、老後は何をしたらいいのかわからないとか、一人になりたい、離婚したい、とかいう悩みを書いているのをよく見る。失礼ながら、正直まったく共感できない。普通の人はそんなものなのか〜、という印象。
 私は変人なのか、恵まれているのか、そういう悩みはまったくない。現在57歳・・・もうすぐ58になる。38歳で離婚してから、ずっと一人暮らし。結婚願望は全くなく、むしろ、絶対にしたくない。

 家は一戸建ての持ち家で、ローンも終わっている。両親は10年前に亡くなっているので、介護の必要もなし。3年前にリストラで退職し、現在は退職金で生活している。62歳からの老齢厚生年金支給までには十分生きていける。今の気がかりは、約束通りに年金が支給されることくらい。

 一日中、翻訳作業ばかりしている。誰とも会わないし、誰とも話さない。ずっと一人、それで別に寂しくもないし、苦にもならない。
 家は、築30年で、リフォームは全て終わった。後はシロアリの点検くらい・・・固定資産税が値上がらないことを願うくらい・・・

 これまでの約20年間の写真撮影で、行きたい所にはだいたい行ってきた。今、特に行きたいところはない。バイクも手放した。もう乗る気もない。免許の更新をどうしようか、と思う・・・更新センターまで遠いが、足がない。

 行きたいところは、またインドくらい〜前回のインド旅行で、宿題が出てきたし・・・
 オール電化と太陽光発電で、光熱費はかなり節約できる。去年は年間で約4万円の収入。電気代は年間5万円で、太陽光の売電額は約9万円。一人暮らしだからこんな額が可能なのだろう。太陽光を設置して5年目。この計算だと、あと5〜6年で元が取れる。

 まあ、このままだと確実に孤独死になるだろうが、それ自体は別にかまわない。ただ、自分の死体を誰が処分してくれるのかが気がかり・・・死ぬまでにすべきことは、Oshoや他の本を読んで、大方わかっているが、それができるかどうかはわからない。自分の死期が近づいてきたなら、今持っている本は全て図書館などに寄付しよう。

 でも、自分の70歳、80歳の姿など、全く想像できない。それまで生きているかどうかもわからないし、どれだけ身体が元気でいられるのかもわからない。何の不安も願望もない。
 とにかく今は、特に欲しいものもなく、やりたいことを淡々とやり続けているだけの毎日。






1月17日
 クラシック遍歴 1 〜モーツァルトとベートーヴェン
 好きな音楽のジャンルはけっこう広くて〜ロック〜特にプログレ、シンセ系、インド音楽、ケルト音楽、バロックなどだが、心の癒し・・・となると、やっぱりモーツァルトになる。
 最初にモーツァルトを聴いたのは、中学生の頃だったか・・・もちろん、一番有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だが、それ以上に魅かれたのが、ハフナー・セレナード。たまたま兄がこのレコードを持っていて、よく聴いたもので、特にロンドのこの曲が一番好きだ。

http://www.youtube.com/watch?v=i8spxIzW3BI

ただ、この頃は精神的に暗い時期だったので、モーツァルトは軽すぎて、ベートーヴェンばかり聴いていた。
特に聴いていたのがピアノ・ソナタ「月光」

中学時代はこんな曲を好んで聴いていた〜





1月20日
 モーツァルトと聞いて、子供っぽいとか、眠たくなる、と言う人がよくいる。私が、モーツァルトが好きだ、と言うと、よくそんな風に言われることが多い。ヴィヴァルディも、「四季」のイメージが強くて、それしか知らない人が多いのでは・・・ この二人の作曲家は、一般的に、なんとなく軽く、低く評価されているように感じる。しかし、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、ベートーヴェンが手本にして学んだと言われている。

 また、ヴィヴァルディの「調和の幻想」からは数曲がバッハによってコピーされている。
 ヴィヴァルディ「調和の幻想」第3番 3楽章はバッハBWV978
たぶん、この二人が軽く見られるのは、その音楽が聞きやすいからなのかな・・・小難しい音楽の方が優れている、と思われているのだろうか・・・でも、専門家は評価するが、素人はバカにする、という図式が見えるな〜 逆に言えば、素人にはこの二人の作曲家の本質、というか素晴らしさはわからない、と言えるだろう。





1月21日
 
バロック音楽にいつから親しむようになったのか・・・ だいたい、バッハが近寄り難かったから、それ以前の音楽はもっと堅苦しいのでは?という先入観を持っていた。中世、いわゆるキリスト教が支配していた時代だから、教会音楽、ミサ曲のイメージが強かったのだろう。
 たまたま、どこかでバッハのG線上のアリアを聴いて、こんな曲をもっと聴きたいと思い、ネット上でこんな類の音楽の紹介を問い合わせて、教えてもらったのが、マラン・マレのヴィオール曲集とビーバーのロザリオ・ソナタ。

 どちらにも感動した!なんと自由でワイルドな音楽か〜〜先入観は完全に壊された。バロック音楽の方が、バッハ以降の古典主義よりも自由に伸び伸びとしているように感じられた。それから、もっとバロックの音楽を聴きたいと思い、「古楽CD100ガイド」という本を手に入れて、それを頼りに買い集めた。この本は優れもの。





1月23日
 私が翻訳したOshoの本の出版予定は〜当初では、5月中旬に「トランスミッション・オブ・ザ・ランプ」上巻、9月に「アンド・ナウ、アンド・ヒア」、12月に「トランスミッション〜」下巻、だったが、「アンド・ナウ〜」の内容が凄い!ということで、こちらを5月に出版することになりそう〜

 「アンド・ナウ〜」は、1970年に生と死の現象について語られた講話で、おそらくOshoの講話の中で、これほど死について詳しく語られたものはない。死ぬ現象、その時の生命エネルギーの変化、幽体離脱のプロセス、生まれ変わりのシステム、過去生を知る方法・意味とその危険性、チャクラやマントラの働き、仏陀のような高次の魂が生まれるための準備と、その現代的な困難・・・など。 人間の意識の至高の境地〜タタータ・真如〜についても説明されている。 真如を達成した人をタターガタ・如来と呼ぶ。

 「トランスミッション〜」はOshoがウルグアイに行った時の講話で、こちらも秘教的な内容が多い。今年はこの3冊が出版予定だが、どれも500ページくらいの大著。

 仏陀の経典に関する講話「超越の訓練」は来年以降の出版予定。全4巻で、現在2巻目の終わりを翻訳中〜

 山川夫妻の約したOshoの「Joy喜び」の影響で、Oshoの本が一般の書店にも並ぶようになった。ただ、本当にOshoを理解する人は、まだまだ少数だと感じる。一般的なスピ系の本のような、希望や慰めをOshoの本に求めることはできない。また、伝統的な宗教の観念からOshoを見ても、理解されないかもしれない。Oshoは全ての固定観念、信仰、慣習の無意味さを説き、それを壊す。

 ただ、現実〜リアリティ、真実だけを示す。それをどう捉えるか、受け入れるか、否定するかは、各自の自由、その人次第・・・Oshoから何を感じて、そこからどう生きるのかは、その人の自由〜人は、それぞれが違うのだから・・・ただ、何かを求めている人のために、自分の知っているものを提示することくらいはしていきたい。

 私はただ、翻訳を通して、そんなOshoの本を提供するだけ〜それが自分の残りの人生の役目のような気がしている。自分が後世に残せる仕事といえば、それくらい・・・運良く、出版社も私と同じ思いで、これからも出版に関しては、ほとんど問題ないのだが・・・・

 気になるところが〜Oshoが「ダンマパダ」を題材にして語った講話。「ダンマパダ」は仏陀の教えの真髄のような経典で、これについてOshoは約1年間語り、それは12巻の本として出ているが〜日本語訳では、別の出版社がその中から2冊を訳して出しているが、それは不完全な形であり、現在、この本の版権はこの出版社が持っているのに、この出版社は今後Oshoの本は出さないと言っている。おかしな話だ。

 だから、このままだと、この「ダンマパダ」は現在翻訳しても出版できないことになる。この件についてこの出版社に問い合わせたが、何の返答もない。版権は、著者が死んでから50年間有効らしいので、この場合なら、Oshoが死んだのは1990年だから、版権が無効になるのは2040年になる。その時、私は84歳・・・生きているかどうか・・・

 その時に出版できるように、今からコツコツ「ダンマパダ」を翻訳していこうか・・・全12巻〜、順調にいっても10年はかかるな〜










 

   2014年 1月
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