5月2日
 3月半ばにしたリフォーム工事で、外壁塗装の時に、作業者がテラスのトタン屋根に上って作業をしたらしくて、工事終了後に気づいたのだが、そのトタン屋根の横渡し金属棒が曲っていた。 
業者にクレームを言って、現状を見たところ、私としては、ただ曲った部分だけを元通りにしてもらえればいいのだが〜 どうも、元々の屋根の部材が特殊らしくて、部分的な修理は不可能で、屋根全体を交換することになった。 そもそもは、作業者の不注意からの損傷なので、費用は無料。
こういうことのためにか、業者は保険に入っているとのことで、その保険料で作業代をまかなうとか〜〜 で、その保険の手続きに時間を要するらしくて、また、材料手配などの準備などからして、結局、一ヵ月半後の今日、トタン屋根交換工事が施工され、屋根は新品になった! 
それまでの屋根は、位置的に半分が中に入り組んでいるため、長年の汚れがこびりついていて、トタンで、半透明なため、下からその汚れが見えて気になっていたのが、この工事で、完全に新品に換えられ、美しくなった〜 
工事のミスが皮肉な、ありがたい結果になり、今では、ミスをした作業者に感謝している。






 5月6日   死と死後の世界についての覚書
 覚書だから、まとまりはない。学んだことを、思いつくまま書く〜〜

死とは、霊魂が肉体から離れること。その間を結ぶシルバーコードが切れること。
 輪廻の考えは、既にインドの太古の哲学ウパニシャッドに書かれてある〜 学者はそれを、太古の人間は死を恐れ、永遠の生を願って輪廻の思想を作った、と解釈する。輪廻・生まれ変わりは、人間の思考の産物だと決め付ける。そして一般の人は、学者の言う事だから間違いないと、頭ごなしに信じ込む。

神や宗教は信じなくても、学者の言うことは単純に信じる。おかしな話だ〜〜

この世とあの世は、ネガとポジの関係。物欲的、世俗的な欲望を求める人は、あの世から見たら失敗した生き方に見られる。
死ぬまでに、いかに世俗的な欲望から離れられるかが大切になる。

死者の供養も、飲食物を供えることは、死者の物欲を刺激すること。つまり、死者をこの世に引き止めることになる。死者にとってはありがためいわく〜
物欲から早く離れることが、死者のためになること。供養の儀式は、死に対する無知から来ている。生きている人間の気休め。真の供養は、形ではなく心のありさま。形式にこだわるのは愚か。宗派によって、形式は異なる。あまり意味はない。

普通、霊が生きた人間に影響を与えることを怖れたりするが、霊力の最も強いのは生きている人間。生きている人間の念が、霊界に影響を与える。
だから、霊を怖がることは馬鹿げている。人間が霊を怖がらせることもできる。

霊とは、単に肉体のない人間にすぎない。

死に際に、どんな欲望を持っているかが、来世の生き方を決定付ける。
生まれ変わりでは、男女の性別は交互になる。前世で男なら、今世は女になる。その逆も真なり。

過去生を見ることの真偽は、本物の過去生は、時間の流れが逆になる。つまり、死から始まって、老年期、壮年期、青年期、少年期と見ていく。
死後、魂は自分の人生を走馬灯のように回想するが、それも時間の流れは逆になる。

死ぬ時は、ほとんどの人は無意識になる。意識的に死ぬことのできる人は、次の生を意識的に生まれてくる。
そして、意識的に生まれてくる人は、その生が最後の生となる。輪廻から解放される。ただ、そういう人はほとんどいない。

急激な死では、霊は自分の死を自覚できない。つまり、自分は死んだと思わない。だから、事故死などでは、霊はいつまでもその場所に居続ける。

死んでから再生までの期間、霊が死後の世界に住む時間は、諸説さまざまある。
でも、死後の世界、霊の世界には時間がない、ともいわれるから、そのあたりは理解のしようがない〜。

輪廻・生まれ変わりを否定することは、単にその人の知識不足、偏見、狭い見方、無知からくる決め付け、先入観に過ぎない。

否定を証明する方が難しい〜。生まれ変わりがないことや、死後の世界はないことを、どうやって証明できるのだろう?
見えないから? わからないから? 知らないから? 科学者や、どこかの偉い先生がそう言うから? キリスト教が否定しているから?
証明ではなく、ただの理由付けをどこかに求めているだけ。





 5月12日
 23〜25歳頃・・・(33年前か〜〜!)東京に住んでいた頃、よく池袋の西武百貨店に行った。その頃はまだ油絵を描いていたので、画材を買うのと、デパートの中にある西武美術館の展覧会を見るため〜。その当時は、精神世界の分野でのいろんな動きが見られ、それぞれが刺激的だった。
 美術館のBGMには、イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」が流れ、売店には、クラウス・シュルツのLPが全て並んでいた。
フランク・W・ベッカーの「セレブレーション」という限定発売のLPも買ったりしたが、後に手放してしまった。これは今ではすごく後悔している・・・
テリー・ライリー、フィリップ・グラス、ミニマル・ミュージックなど・・・ 精神世界関係の本も充実していたが、インド関係の本に興味があった。

 一番衝撃的だったのは、西武美術館でのチベット曼荼羅展。チベットの僧たちが、ホール内で音楽を演奏したり、砂曼荼羅を作ったりしていたのを見た。その雰囲気をいつまでも味わっていたかった〜。その時に買った曼荼羅のポスターを、今でも部屋に飾っている。仏の名前は「持金剛」という。もう、自分の守護神のようなものになっている。 その頃の世界が、自分のひとつの基になっているようだ〜

     





 5月13日
 自分がいままで受けたセラピー、精神療法的なテクニックで感じたこと〜〜。それほど数多くは体験していないが、ある共通点は見られる。

 まず、それぞれに高額だということ。金がかかる!
そして、一度や二度受けただけではなんにもならない、ということ。続けなければ効果はない。
経済的に、とてももたない〜〜。 それと、日本人の習慣で、相手に合わせる、ということから、セラピスト(指導者)の気に入るように振る舞う。
「良い子」を演じてしまう。それに、そのテクニックから離れれば、また元に戻る。自分の基本的な生き方、パターンが変わっていないから〜

 ただ、自分の問題点に気づかせてくれる利点はあるが、それもセラピスト(指導者)の解釈が混じると混乱し誤解する。セラピスト(指導者)の判断基準に従ってしまう。つまり、自分を見失う〜 で、世間的には、どのセラピーが優れているか、どのテクニックがいいか、などと、優劣を競っている。これが、大きくなって、宗教戦争になる。

 基本的なポイントは〜、自分にリラックスすること、ただそれだけ。それが瞑想の意味でもある。
自分にリラックスできるコツを学べば、何のセラピーも、テクニックも必要ない。高い授業料を払う必要はない。誰か、偉い先生に従う必要もない。教祖も神も必要ない。人間は、本来そのままで何の問題もないものだ。問題は全て、人間が作ったもの。自分が作った問題に、自分が悩まされている。
 呼吸するのにテクニックは必要ない、自然に起こっている。

 悟りとは、呼吸のようなものらしい。本来の自然な自分に戻ること。本来の自然な自分が悟りの状態である。
だから、何か特別な修行によって悟りを得た、ということは間違い。修行で悟りは得られない。でなければ、その悟りの状態を維持させるために、常に修行し続けていかなければならない。
 悟りとは、全ての修行を捨て、全てのテクニックを捨て、完全にリラックスできた状態〜。それは何かを自分に強制させることではない。それはある意味、リラックスするための修行と言える。逆説的だが・・・

 問題は、人間は自分にリラックスできない、ということ。それは、そういう風に教えられてきたから〜
理想を目指してがんばること〜。目標を達成するためにがんばること〜。現状に満足してはいけない、と〜。いまのままではダメだ、と〜。○○でなければならない、と〜。そうやって、ストレスを溜めて、病気になっていく・・・・
 リラックスと怠けるを同じように考えている。そして怠けるには、非難が込められている。これも大きな誤解である。人は、怠けることを批判されながら生きてきた。怠けることは悪い、と〜。これが基本的な問題だろう〜
 自分にリラックスできれば、それが自然と幸せになる。それは健康にも、長生きにも繋がる。





 5月15日
 科学は外の世界を探究する。宗教は、本来、人間の内側の探究である。

科学は、宇宙の謎を解き明かす〜 物質の根源を解き明かす〜 いろいろな法則を解き明かす〜
最新科学は、外側の世界をかなり詳しく解明してきたが、人間の解明については、まだまだ及ばない所、謎の部分が多い。

宗教〜特にインドでは、太古よりもっぱら人間の内面の探究に関わってきた。ウパニシャッドや、ジャイナ教、仏教が特にそうだ。
現代の最新心理学で言われていることは、すでに3000年以上も前にインドで知られていた。

 最先端の物理学の研究は、太古のインドの思想に同意する。
つまり、物質は、究極的には存在しない。それはただエネルギーの表現に過ぎない、と。
だが科学しか知らない人は、宗教を迷信として見下し、否定する。

本来、内側世界の探求であった宗教は、その性質上、大衆には理解できにくいものだった。
大衆は、難しいことはわからず、とりあえず自分たちを救ってくれるものを求めた。そこから、祈り、信仰が生まれた。神というものが生まれた。
大衆化された宗教は、表面的になり、教えは歪められ、誤解され、大衆的であるため、権力に利用されてきた。 
仏教は、インドで生まれながら、インドから消えた。大衆的な宗教であるヒンドゥー教が広まった。仏陀は、ヒンドゥー教の神々の一人になった。

 個人的に想うことは、本来の宗教〜つまり、太古のインドの人間探究の知恵が、現代科学と結びついて進めば、人間や生への理解はもっと深まるだろう。それが、Oshoがやってきた仕事でもあったわけだが・・・ 
ただ、やはり、こういうことは、一般的には理解されにくいもののようだな・・・






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