1月9日
 なんとなく今、感じたことで・・・これからの世界はどうなるのか〜〜 個人性というものの成熟が求められていくような気がするな。
イデオロギーは完全に死語。日本は、民主主義という仮面を被った社会主義、官僚主義の国であることはみんな気づいているだろうし・・・
 共産主義は独裁主義だし、西洋諸国はキリスト教主義だし、結局、どんな主義も人を幸せにはできなかった。
それは、個としての人間の質はみんな同じだから。政治も同じ。政党が代わっても、やることは同じ。政治家それぞれの質は変わっていないのだから。
 教育がまさにそう。詰め込み教育、ゆとり教育・・・方法を変えても、教師の質が変わらなければ同じ。それ以前に、親の質が問われる。

 何を基に質を磨くか・・・日本には禅という優れた精神道があるから、武士道も禅から生まれているし、そのへんに糸口があるような・・・・
 宗教についてはまったく、教祖という存在そのものを否定すべきだろう。救いを自分の外側に求めること自体が間違いの始まりだ。
だから、神の概念も変えなければならない。古い宗教にこだわる必要はない。参考程度にすべし。
 自分に100パーセント合ったものなど存在しないのだから。それだけ個人ひとりひとりは独特でユニークなのだから、ほどほどに受け容れるべし。

 個の時代が始まる予感。だから、巷のスピリチュアルな流行にも注意すべし。甘い夢に惑わされないこと。自分の直感、ハートの声だけを信頼すべし。
各地にポツポツ現れているヒーリング・セミナー、カウンセリング、心理療法など、そういう機関が統合されて、
それぞれの個人の問題にあわせて治癒コースを選べるようなシステム〜〜 本格的に霊学や瞑想を学べる学校のようなものが欲しい。
 とにかく、正常な人間を生み出すためのシステムが必要だと思うけれど、どうなんだろうな・・・・





 1月10日 女優の千石規子が死去
 今知ったニュースで、女優の千石規子さんが死んだとのこと。私は、黒澤映画でこの人を知ったが、本当に好きな女優だった。
この人がいるだけで、不思議と画面が引き締まる、存在感の強い人だった。

 デビュー作品は黒澤作品の「酔いどれ天使」印象の強い作品が「静かなる決闘」での看護婦役。
ストーリーは、主人公の三船敏郎が演じる医者が、ある患者の手術中に手を切ってしまい、患者から性病をうつされてしまう。そこから、医者の分際で女遊びをした、というあらぬ疑いをかけられてしまうもの。そんな誤解を受けている医者の葛藤する心を女の立場から観察する看護婦〜〜 「野良犬」という作品での、麻薬売人の女という役もおもしろい。
 黒澤映画を見るときはいつも、出演者の中に千石さんがいるかどうか確かめ、どの場面に出ているか探すのも楽しみのひとつだった。
 特に印象深かったのが「七人の侍」 出演者のボードには確かに千石さんの名前があるのだが、どの場面に出ているのか、なかなかわからなかった。
 その場面は〜〜
農民が町で侍を探しているところに、盗人が子供を人質にして立て籠もるという事件があり、志村喬が演じる侍が、僧侶に扮して握り飯を持って盗人に与え、その隙に子供を救う場面で〜〜 その子供の母であり、僧侶に扮した侍に握り飯を渡す女の役なのだが、家から握り飯を持って飛び出し、子供が捕まっている納屋を見ながら、急いでその侍に駆け寄るという、時間にしてほんの数秒間のシーン。それが、何とも言えぬ緊張感、リアリティを伝えている。千石さんが「七人の侍」に出ているシーンはこれだけ。それでも、そのシーンはすごく印象に残っている。黒澤監督の演出がすごいのかもしれないが、すごい女優だな、と思った。






 1月21日
目覚めたばかりというのは、頭がとても明晰になっていて、いろんな考えが浮かびやすいもので〜〜

今朝はOshoの講話の変遷が見え出した!
 Oshoは、1960年代後半から1990年に肉体を離れるまで、途中3年ほどを除いて、ほとんど毎日講話をしてきたが、
初期の1970年代前半までは、インド人を相手に話していたので、言葉はヒンディー語で、その内容は、神、魂、生と死、転生、瞑想法、クンダリーニ、ヨガ、精妙な身体(エーテル体など)、インドの聖者たち、寺院や宗教の秘教的意味など〜〜 インド人にとって関心の強いテーマを扱っている。

 1970年代の中頃から西洋人たちが集まってくる。西洋人が抱えている問題は、物質文明の行き詰まりを感じ、新しい生き方を探していること〜〜 
そのためOshoは、古今東西の宗教、神秘家、精神世界について幅広く語り始める。
仏陀、キリスト、老子、スーフィー、精神分析、禅、心理学など〜 そしてより現実的な問題について〜〜苦しみ、不幸、愛、男女関係、家族、社会、欲、エゴ、マインド、嫉妬、野心、権力など〜〜 これは1980年まで続く。

 前に翻訳した「知恵の書」はチベット仏教を扱ったもので、この頃の講話。

 その後、3年ほど沈黙する時期があり、そして1980年代中頃からは、状況的に、少数の弟子たち、より瞑想が深まった人たちに語っているので、その内容はより深く、高度になる。人間の意識の層について、意識の進化、瞑想が進むことに関する注意点、落とし穴、悟り、それに伴う、現代社会、政治の欺瞞、それらの個人に及ぼす影響の危険性、罠など〜〜

 現在翻訳している「トランスミッション・オブ・ザ・ランプ」はこの時期の講話。

 それから、1986年から約1年半ほど、ミステリー・スクールと称して、古代からの神秘的な技法を現代に対応させるように紹介されているらしいが、この頃の講話は、約15冊ほど本になっているが、日本語にはまだ一冊も訳されていない。だから、その内容については私もまだ知らない。 
そして晩年は、もっぱら禅について語られる。最後の仕上げは禅になるようだ。個人的には、この時期は今のところあまり興味がわかない〜〜

 Oshoの本には、いろんな側面があり、その中から自分に合ったものを見つけることは難しい。
まして、全ての本が翻訳されているわけではないし、その邦訳された本の傾向には偏りも感じられる。

 ただ、その基本的な教えは変わらないが、それを把握するのに苦労する。知らず知らずに入ると、迷路に陥ってしまう。
 だが、それがOshoの狙いでもある。Oshoは、知識を教えるためではなくて、特定の観念に捉われないようにさせるため、最終的には、無思考になるために語っているのだから〜〜 でも、混乱を避けるためには、ある程度、その本の傾向、背景などを知っておくことは必要だろう。





 1月25日
 中学生の頃、心に響いた言葉〜 「汝自身を知れ」 ギリシャのデルフィの神託の言葉だ。
ソクラテスの言葉、「私は、ただひとつのことだけを知っている。それは、私は何も知らない、ということだ」
〜自分を知ること〜 自分とは何か?を知ること これが自分の原点だったのかもしれないが〜 
知れば知るほど、自分は何も知らない、ということがわかってくる。進めば進むほど、ゴールは遠くなるように見える。

 外側の世界を知りたくて、約20年間、写真を撮り続けてきた。でもそれは、自分が見た世界だった。自分が選んだ世界、自分が見たい世界だ。
 いろんな美術を見たり、いろんな音楽を聴いてきたが、それらもやはり、自分の世界なのだ。結局は、自分に返ってくる。
いろんな世界を知ることを通して、自分を知ること、に辿り着く〜  
で、結局、スピリチュアルな世界に行き着く。真実を知るために〜

 Oshoは言う〜 「宗教とは、内面を知る科学だ。科学とは、外の世界を知ること、宗教とは、内の世界を知ること、
知ることにおいては、科学も宗教も同じだ。ただ、その対象が違うだけだ」と。
 また、こんなことも言う〜「悟りは、人間のゴールではない。それは新たな始まり、スタート地点だ。悟りの地点から、人間にはまた新しい人生が始まる」

 シルバー・バーチも似たようなことを言う〜
 「知れば知るほど、そのゴールは遠く見えます。進化すればするほど、その責荷は大きくなります。やるべき仕事が増えてきます。」

〜世の中・・・いかにも自分は知っているかのように振る舞う人は多いが、それは、その人が狭い世界しか知らないだけのこと。
広い世界を知れば知るほど、自分は何も知らないことがわかってくる。ただ、この「知りたい」という欲望はどこからくるのだろう・・・
 今、感じることは、人間とは、何とも不思議で神秘的な存在なのか〜〜






 1月26日
 今、自分の全エネルギーを、Oshoの本の翻訳に注いでいるが、別に無理にそうしているわけではない。
がんばっている、という感覚はない。そうしたいから、それをしているだけ。自分にとっては、自然な流れ。
それをしている時が、一番くつろげるし、おもしろしいし、やりがいがあるから〜〜 
実際、Oshoの本は本当におもしろいし、考えさせられることばかりが出てくる。
 朝から晩まで、ただ翻訳だけの毎日〜 それが自分の喜びになっている。

 それを、仕事と呼ぶのはニュアンスが違う。仕事だと、外から強いられたものというイメージがあるから〜〜 金にもなっていないし〜
 趣味と呼ぶのも違う。趣味という言葉には、何か軽さが感じられる。
仕事中心で生きた人から見た、息抜き的な、暇つぶし的なイメージがある。

私は、「趣味」という言葉は嫌いだ。よく、退職して趣味の世界に生きる、というが〜 そういう感覚ではない。
天職だとか、使命なんて言葉になると、すごく重くなる。そんな大げさなものでもない。 
だから、今自分がやっていることを、正確に形容できる言葉は見当たらない。

ただ、それをしているだけだが、今、その仕事(?)の多さに、めまいがしそうな感じがしている。
その世界の広さと深さに、すごくわくわくしている♪それ以外の世界は、霞んで見える。 

57歳〜 自分の人生がおもしろくなってきた〜






 1月27日
 昔、手放した本を、また買い戻したりしている。
 当時、本を売ったりした理由は、単純にお金がなかったことや、自分の、それまでの過去と決別したい、という思いから、
過去の思い出の染み付いたものを処分したい、という気持ちから〜〜 
でも、やっぱり、惜しいことをしていた〜 貴重な本を捨てていた。無くなってみて、初めてその価値がわかったりする。 
で、ぼちぼちと、その本を買い戻している。

 でも、かつて自分が持っていた本ではなく、赤の他人が持っていた本になるから、他人の手垢のついた本は嫌だけど、仕方がない。
蔵書印があったり、線引きがしてあったり、ページが折れていたり〜〜と、ひどい本もある・・・
 今は、ネットでみんな検索できるから便利だ。ただ、現物を確認できないのが問題〜 出品者の、本の状態についてのコメントを信じるしかない。
でも、けっこう掘り出し物もある。

 今、特に買い戻している本は、1970年代の現代美術系の本。この時代の現代美術の動きはおもしろかった。が、非常に難解だった!
 現代美術評論は、社会学でもあり、哲学でもあった。今、振り返ってみて、よくこんな難解な本を読んでいたな、と想う。
ほとんどわかっていなかったと思うな・・・ただ、自分の知力は、かなり鍛えられたかもしれない。
特に、また読みたい、というわけではなく、自分の財産として、手元に残しておきたい。





 1月28日
 私は、今まで人と関わることが下手だったため、いろいろと辛い目に会い、結局、他人には何も期待したり、依存したりしなくなった。
 1人であることに投げ返された〜
 だから、今、こうやって一日中、翻訳に没頭できる。
精神世界の知識を深められた。現在の宗教、スピ系の世界のいろんな矛盾を知ることができた。

 もし、一般の人のように、普通に結婚したり、会社に長く勤めたり、親しい友人たちに囲まれて、幸せな人生を送っていたら、
こんな翻訳の仕事をしたりはしなかったかもしれない。
おそらく、できなかっただろうし、興味も持たなかっただろう〜 
子供や家族の世話をしたり、親の面倒を見たりしていたら、自分のやりたいことはできなかっただろう〜

 自分が、普通の人のような人生を送ることができなかったため、逆に、1人で生きることができるようになった。
 だから、今、自分のやりたいことを、誰にも邪魔されずにやることができる。
それが自分の運命だったのか、とにかく、結果的に、そうなった。
 そして私は、自分のそんな人生に、今になって、感謝できる。
 人生はおもしろい〜






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