4月5日
翻訳一色の毎日〜〜

現状としては、完成した「アティーシャの知恵の書」(上)が手元に届く。
下巻も翻訳済みで、来年出版の予定だから、今年の終わりころにリバイスが始まるかも・・・

現在翻訳中は、OSHOの「The Transmission of the Lamp」 全48章の内、7章まで完了。
このペースでいけばあと7〜8ヶ月ほどで完訳の予定〜〜

その後に訳したい本は〜〜
OSHOの「The Silent Explosion」 〜これは半年くらいで出来そう〜
「The Mystic Experience」 〜これは1年かかりそう〜
「Krishna : The Man and His Philosophy」 〜これも1年かかりそう〜
それに加えて、神智学のリードビーターも訳したュなって、「Other Side of Death」 これは2年くらいかかりそう〜
そして、ブラヴァッツキーの「Secret Doctrine Vol.2」 〜これは何年かかるかわからない〜〜

これだけで、向こう5年は予定がつまったことになる〜
たぶん、OSHOと神智学とを交互に訳していくような感じになるのかも〜〜
ただ、神智学の翻訳が本になれるかどうかは、まったくわからない・・・






 4月7日 
「The Mystic Experience」 の内容が、「In Search of the Miraculous」「奇跡の探究」と全く同じであることを確認。 
両方の本の講話日が近いので、照らし合わせてみたら、ヒンディー語からの英訳ということもあり、
文章に若干の違いはあるが、大筋では全く同じ内容。
また、「The Mystic Experience」からの3章がすでに「グレート・チャレンジ」の中に収められていることも確認。
事前にわかったので、無駄な翻訳をしなくて済むが・・・・






 4月10日
神智学・・・ブラヴァッツキー、リードビーター、アニー・ベサントの主に3人の霊能者の霊視と、
彼らによる古今東西の宗教の知識のエッセンスをまとめたもので、
これを学ぶことで、ほぼ、人間や世界、霊界などの霊的な仕組みがわかってくる。

ただ、それは、仕組みの説明が中心になっていて、では、どう生きるべきか、などの方法論となれば、まあ、ありきたりのもの・・・
意識を高いところに向ける、とか、善を為して悪を否定する、とか、結局、その霊能者自身の宗教観、人生観が反映している。

この、方法論、というか、心理面を深く探究しているのが、インドの古来からの賢者たちであり、
その中の、最もすごいと思われる人間が、私にとっては和尚であるが〜〜〜
やはり、人間の深い探求、となると、インドは本当に飛びぬけてすごい国なのだが、
和尚を学ぶ、ということは、和尚独自の教えを学ぶだけでなく、それまでの古今東西の宗教の本質を学ぶことでもある。

それを知ると、何かひとつの宗教だけに拘って、それこそが絶対である、最高のものである、
と主張していることがまったく馬鹿げているのがわかる。

で、神智学と和尚、今のところ、私にとっては、車の両輪のように見えて、両方が必要な道のようになっている。






 4月13日
だいたいのスピ系の本でも、みんな同じことを言っているのだけど・・・

死んだ人のことを思って、悲しんだり、泣いたりするのは、死者にとっては本当にマイナスである、ということ。
死者は、早く現世〜物質界〜への未練を断ち切ることが一番重要なことなのに、
遺族が死者に対して、必要以上に悲しむと、その悲しみの念が、死者を現世に戻してしまう。

つまり、死者の成仏を妨げている。まあ、成仏という言い方も、本当は正しくないのだけれど・・・・
結局それは、生きている人の、死というものへの誤解から来ている。
つまり、死んだ人はかわいそうだ、という哀れみの気持ちから・・・
そう思うことは、死者のことを思って、と言えるが、
そもそも、それは、死とは何かを、理解していないから、そう思うのであって、そ
れはその人の勝手な思い込み、死とはこういうものだ、という決め付けから来ている。

だから、仏壇に食べ物、死者の好物を供えるのも同じことで、
死者は物質界への欲、物欲から解放されなければならないのに、そういう供え物は、死者の物欲を刺激することになる。

そうすると、死者はますますこの世への執着が強くなる。つまり、成仏できる時間が遅れる、ということになる。
結局は、死後の世界を知らないから、そんなことをしているわけで、はっきり言って、これこそが本当の迷信なんだけど・・・・

みんながやっているから〜〜 昔からやっているから〜〜
という理由で、誰もそのことを疑わない。いや、逆に、それを疑うことは、悪いことのように思わされている。






 4月17日
「シークレット・ドクトリン」
この本は約100年前に書かれたもので、宇宙発生から人類発生〜アトランティスまでの歴史を、最古の書「ジャーンの書」をもとに、ブラヴァッツキーという女史が、彼女の霊視をふまえてまとめたもので、その後のスピリチュアルの動きに大きな影響を与えた、最も基本的な、原点と言える本なのだが〜〜〜

全部で4巻の予定が、現在、本として入手できるのは2巻まで〜〜もちろん英書で〜〜ネットで探したら、無料でダウンロードできるところがあって、これだと3巻まで入手できる。
で、日本語訳の本は、約20年前に出たものがあって、約700ページほどの大書ナ、定価も一万円ほどしていたが、 
〜〜私も所有している〜〜現在は、絶版で、amazonでは二万円ほどで出ている。

でも、この本でも、1巻の前半部分の訳だから、全体の6分の1にすぎない、ということになる。
で、その後の20年間、続きの残り部分は訳されていない〜〜ようするに、売れないのだろう。
つまり、日本語ではもう手に入れにくい本が、英語の原書では、ネットでただで読める、というこの現状・・・・・

スピ系の基本的な本では、日本語訳では、もう品切れでも、英語では手に入れられるものが、他にも多い。なんとかならんかな〜〜と、思う・・・
英語の読める人だけしか、知ることのできない世界になっている。
そのへんに、日本のスピリチュアルの基本的な貧しさ、基盤の弱さを感じる。
基本的に、日本では売れないのだろう。認知度も、まだまだ低いだろうし・・・・

そして、amazonでの、この本のレビューに、「これは輪廻転生が人間の成長に関わっている、と言っているが、伝統宗教では、人間が下等動物に生まれ変わることを、はっきり説いているので、このシークレット〜はデタラメである。」というコメントがあった。
はっきり言って、これを書いた人はバカじゃないのか、と思った。
転生で、人間が動物に生まれると書かれた、その本来の意味をまったく理解していないで、やみくもに、ただ古いから、伝統だから、昔から伝わっているものだから、という理由で、それを信じている。

こういう人は、結構多い。
意味のわからない迷信にとらわれている人は〜〜〜 その真実を説いているのが、この「シークレット・ドクトリン」なのだが、
従来の迷信を信じて、この本を否定している。
古典的な宗教の教えを、頭ごなしに信じ込んでいる人は、本当に多い。これは世界的にも同じだけれど・・・ 
だから、その間違いに気づくためにも、こういう本は貴重なんだけれどな〜〜〜〜 
で、また、ブラヴァッツキー自身、この本が理解されるのは100年後だろう、と言っていたが、それで、今が、その100年後なのだが・・・・






 4月20日
スピリチュアルの道〜

それは、本当の自分を見つける旅、自分とは何かを探す旅だから、当然、自分の中の闇の部分に出会うことになる。
だから、スピリチュアルな道とは、けっこう苦しくて、厳しい道なんだけど・・・ 
自分のネガティヴに、正面から取り組むことだから、よほどのことがない限り、こんな道には進まないほうがいい。
臭いものには蓋をして、嫌なものは見ないようにして、普通に生きていたほうが、ずっと楽だろう。
未来への美しい夢を見て、希望をいだいて生きるほうが、ずっと幸せだろうな。

だから、例えば、見えない光を見たとか、声が聞こえたとかいう超常現象を体験したとか、霊を見たとか、UFOを見たとか、神の導きを得たとか、
そういうのって、全くスピリチュアルとは関係ないんだけれどね。

そういうのを見たい、という、その人の願望の現われであるし、
それで何か意識が高くなったとか、自分は特別な人間だとかいうのを見せる、そのエゴが見えて、すごく嫌なんだけど・・・

スピリチュアルには興味を持っていても、自分のことをわかっていない人、自分のことを正直に見ようとしない人が多いように思える。
ようするに、慰め、安心を求めているのだろうな〜〜〜 
こういうふうに生きれば大丈夫、みたいな指針を求めているのだろう。

それらがすべて欺瞞であること、自分の孤独や惨めさを隠すための誤魔化しにすぎないことを知ることが、
本当のスピリチュアル、精神世界の道なんだけど〜〜〜 
その本当の姿を見たくない人は、権威的なものにしがみついたりしているし、
だから、夢物語のようなキラキラした世界を、スピリチュアルというのは、私には、まったく嘘っぽいとしか見えない。

ただ、自分の願望の夢を見ているだけ。
そんな夢から醒めることが、本当の精神世界の道なのだけれど〜〜〜






 4月22日
本や情報などは、人に興味を持たせるためには、センセーショナルな内容にした方が、より魅力的なようだ。
当たり前のこと、見慣れたことは、当然、関心を寄せられない。地味な内容では、人の好奇心を刺激しない。

そのやり方で、一番効果のあるテーマが、地球終末論・滅亡論だろう。あるいは、宇宙人侵略説など・・・
古代の賢者、宗教の知恵を、全てそこに結びつけようとする、こじつけた話がよくある。そういう話のほうが、おもしろおかしいので人気があるのだう。
それのおかげで、本来の正しい知識が誤解されたり、伝わらなくなっていく。
そういう本は、地味でつまらないのだろう、しだいに手に入らなくなり、消えてゆく。

真実よりも、妄想の方が、人の興味を引く、ということは、いろんな面でありえることだ。
人と違っていれば、変わったこと、新しいことがあれば、それだけで注目される。
私はそれを前から、スピリチュアル・ミーハーと思っているが・・・ 
こういうミーハーな知識を真面目に信じ込んでいる人は、けっこう多いし、また、そういう本はよく売れるのだろうな〜〜〜

前にも書いたけど、真理とは、身近で当たり前で単純なものだ、と。
英語の原書では、そんな基本的な本は手に入れられるのに、しかも、ネットで無料で〜〜〜 
日本語の本では、絶版になって消えてしまっているものが多い。

私は、これはちょっとヤバイ状態なのでは、と危機感を感じているので、
こういう本を出来るだけ保存して、翻訳していきたい、と思っているのだが・・・・
真偽を見分けられない人が、巷のスピリチュアル・ミーハーな本に影響されて、真実の知識を否定したり、おかしな方向に捻じ曲げたりしている。

妄想を信じることは、全くスピリチュアルなことではない。
それが、スピリチュアルに対する偏見、誤解、馬鹿にしたような見方の元になっているのだけどね〜〜〜





 4月25日
スピ系・精神世界の本の翻訳者たちで、私の知ってる限りの目立った人を挙げてみる。
だいたい、それぞれその分野専門でやっている人が多い。

古いところで・・・
●おおえ まさのり〜〜チベット仏教系  「チベットの死者の書」「ミラレパ」

神智学系統・・・
●仲里誠吉〜〜「神智学大要」「イニシエーション」「ヒマラヤ聖者の生活探究」「解脱の真理」他
●田中恵美子〜〜「シークレット・ドクトリン」他
二人とも亡くなっていて、その後は神智学の本の翻訳はあまり進められていない・・・
古い人で、三浦関造〜〜「沈黙の声」「エメラルド・タブレット」「バガヴァッド・ギータ」
●土方三羊〜〜 アリス・ベイリーの翻訳だけを専門にしている。昔の名は、坊洋。

シュタイナー・・・
●高橋 巌〜〜 この人自身も霊能力がある。
●西川隆範〜〜 真言宗で得度。
シュタイナーの翻訳は、ほぼこの二人が中心にやっている。高橋氏の翻訳の方が読みやすい。

スピリチュアリズム・・・
●近藤千雄 ●桑原啓善 この分野のパイオニアとして●浅野和三郎

●林 陽〜〜 わりとエドガー・ケイシー系が多い
●大野純一〜〜 クリシュナムルティ系

●林 鉄造〜〜 M・ドーリル専門

問題(?)のOSHO・・・
翻訳者はみんなOSHOの弟子なので、名前がサンスクリット語になっている。いろんな人が翻訳しているが、特に翻訳数の多い人で、
初期は、●プラブッダ ●ナルタン
中期は、●モンジュ ●パリトーショ ●パルバ
後期は、●ムグダ

それぞれ、翻訳時期の旬があるようで、初期の二人は、今はまったく翻訳していないし、中期の人も、翻訳数はずいぶん減っている。 
んで、そこに私(デヴァヤナ)も参加させて(?)もらっている。





 4月29日
それまで翻訳していた和尚の「The Transmission of the Lamp」を休んで、別の和尚の講話「Krishna The Man and His Philosophy」を翻訳する。
これは1970年の講話で、テーマはヒンドゥー教の神であり、約5000年前頃にいた聖者クリシュナについてだが、
その本の中で、最も興味を引くタイトルの章「死後の生と生まれ変わり」を翻訳する。

その中で、オーロビンドというインドの聖者が、仏陀のヴィジョン(姿)を見たというが、それは本物か? という質問で、
和尚は、そういうヴィジョン(像)を見るのは、心理的な投映の場合と本物の場合の両方がある、と言っている。

ここで、翻訳で問題になったのが、オーロビンドが見た仏陀のヴィジョンは、スピリチュアルなものではなく、サイキックなものだ、と答えていること。
ここで、スピリチュアルと、サイキックの違いに頭を悩ます。
サイキックは一般的には「霊的」な意味に使われるが、この場合、オーロビンドの個人的願望の投映だから「心理的」な意味が強い。
メンタルという言葉も関連的に使っているし、ここではメンタルを「心象」と訳したが・・・

で、ここではサイキックを「心理的」と訳したが、後半になって、サイキックを霊的な意味で使っている。
和尚は、このようにひとつの言葉にいろんな意味を含ませて、別々のところで違う意味で使うことをよくする。

これが和尚の本の翻訳の難しいところだ。文脈を読んで、その意味を見つけなければならない。
話の後半では、サイキック・ソサエティという言葉を使っている。初めは、精神的社会と訳したが、どうも話の意味がわからない。
後になって、心霊協会の意味だとわかる。

それで、オーロビンドの仏陀を見た体験が個人的な想像の世界、願望の投映だ、というのに対して〜〜〜
〜〜〜実際、このように仏陀やキリストを見たという人がたまにいるが、これらもみんな、その人の願望・夢の映しなのだけれど〜〜〜
別に、本当に仏陀が現われるケースもある、として、
それは年に一回、満月の夜に、ヒマラヤの奥地で、500人のチベット僧が集まって行われる行事で、ウエサク祭といわれるもので、
私はこれを神智学のリードビータの本「大師とその道」で知ったのだが、
それは集団催眠ではないのか? という質問に、
和尚は、これらの500人のチベット僧は厳しい試験をパスした者で、このメンバーに入るには、
その人の無意識を完全に克服しなければならない、無意識を克服できれば催眠にかかることはない、
と説明している。

こういう話から、他の本や話との関連が生まれてくるのがおもしろいし、よけいにその信憑性が増してくる。
その後も、チベット僧が幽体離脱をして別の場所に移動することや、魂はなぜ前世を覚えているのか、
死後の世界を哲学的議論で証明できるか、霊の存在を実験してきた歴史など、興味深い話が続く〜〜

まだ、この章は翻訳し終えていないが、これでも全22章の中のひとつだから、けっこう中身が濃い。
やっぱり、1970年頃の和尚の講話は、こういった秘教的な話が多くておもしろい。
先の「The Transmission of the Lamp」と平行して訳していこうか、と考えいる。





 4月30日
スピリチュアルとか、宗教とかは、ようするに薬みたいなもので〜
そもそもは、人が病気になっているから、薬がいるわけで〜
でも、病気の治った人から見たら、本当はただ、病気だと思い込んでいるだけみたいで〜
その病原菌、ウイルスが、欲とか、エゴと呼ばれるもので〜
世間では、その病原菌を持っていないと、生きてゆけないわけで〜
そのウイルスの強い人が、出世したり、成功したりするわけで〜
だいたいは、その病気を楽しんでいるところもあったりして〜
病気が治る、というか、病原菌がなくなることが、逆にすごく不安になったりして〜
あまりに長く、慣れ親しんで来たため、病気であることを気にしなくなっていて〜
あるいは、わからなくなってしまっていて〜

で、病気を治したい人は、いろんな薬を求めるわけだが〜
インド人や西洋人に効く薬が、日本人に効くのかどうか〜
2500年前や、500年前に作られた薬が、現代に使えるのかどうか〜
そもそも、自分にどんな薬が合うのかがわからないし〜
自分がどんな病気にかかっているのかわからないし〜
ある人に効いたからといって、別の人にも効くとは限らないし〜
処方を間違えれば、毒にもなるし〜
副作用や、禁断症状などもあるだろうし〜

教団、セミナーなどは、病院のようなものなら、教祖、セラピストは医者だろうが、ヤブ医者も多いだろうし〜
治療代ばかり高くて、なんの効果もなし、とか〜
院内感染なんかあって、よけい悪くなったりして〜
入院するのは簡単でも、退院するほうが難しくて、
まあ、だいたいそういうところは、病原菌が集まっているところだし〜
新薬だと称して売り出す新興宗教も、その薬の実体は、古い薬の名称や外箱を変えただけのものだし〜

最近は、いろんな薬局で、いろんな薬が出てきているが、そもそもは、薬がなぜ必要なのか、ということで〜
どの薬が一番効き目があるか、など〜
やはり、即効性のある薬に人気はあるようで〜
薬に依存している人もいるようで〜

瞑想は、漢方薬のようなものか〜

そもそもは、薬なしでも正常であれたらいいわけで〜
そうなれたら、薬は必要ないわけで〜
薬がないと、生きてゆけないわけではなく、もともとは、人間は薬なしで生きてきたわけだし、生きられるわけだし〜
それでも当面は、薬は必要なようで〜
で、経典やスピ系の本は、それの処方箋のようなもので〜
すると私は薬剤師を目指しているのだろうか〜〜〜?

・・・いや、薬局の雑用係りに過ぎない〜〜

少なくとも、そこで働かせてもらえるだけでもアリガタイ。








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